第3話 可愛い部下
「昨日の件、改めて報告しろ」
保住は視線を澤井に戻し、昨日のことを報告した。ことの詳細を聴いていた澤井は終始黙っていたが、すべての報告を聞き終わると、椅子に背中を預けた。
「まったく。吉岡め。面倒な訳アリ職員を送り込んでくれたものだ」
「澤井さん。しかし大堀には乗り越えなくてはいけない問題なのです。多分、吉岡さんは、それを期待しているのだと」
「だが、こんな大事な事業にぶつけてくることはないだろう? 職員一人のトラウマ問題の比ではないだろう? この事業は。まったく。どれだけ部下が可愛いんだか——それで。どうなんだ。大堀は」
「厳しいと思います。知田にいじめられていた頃のトラウマがひどくて、口もきけませんでしたし。それが一週間で立ち直れるかどうかは微妙な線です」
「お前なあ。いくら遅くなっても構わないと言っているだろう? すぐに報告しろよ。直接ここに持ち込まれると、おれも無碍にはできん」
「そうですね。本当にその通りです。おれの見積もりミスでした」
「まあ、忙しいという言葉では片づけられないくらい、業務が山積しているからな。さすがのお前でも誤作動を起こすのだろう」
澤井は愉快そうに笑みを浮かべた。しかし保住は少し黙り込んでから、首を横に振った。
「大堀は、このまま誰かに守られているだけでは、市役所職員としてやっていけないと思ったのです。知田とのことは、逃げてしまってもいいくらいに辛い経験だったと思います。しかし、この一年、大堀を見てきて、彼にはそれを乗り越えられる力があるとおれは思いました。今回の事業も外すのは簡単ですが、なんとか乗り切ってもらいたいという気持ちもあった——」
「だから、お前は甘いんだ」
澤井はニヤニヤと笑う。
「お前が困っている様はおれを満足させてくれる。もっと困らせてやろうか」
「悪趣味です」
「お前ならなんとかできるだろう?」
「買いかぶらないでください」
「しかし、なんとかしないとお前の大事な部下が左遷だぞ? どうする? 保住」
「なんとかしてみせますよ」
珍しく自信がなさそうなのは、人の気持ちをどうにかするということは、保住にとって、苦手な作業ではないのだろうかと天沼は思った。
「どちらが適任かを判断するメンバーは追って知らせる、お前と久留飛、も含めてだ」
「承知しました。それでは失礼いたします」
久留飛に続いて、保住も副市長室を出て行った。
——この勝負。大堀が負ければ、保住室長の責任も問われる。副市長は本当にこれでいいのだろうか。
天沼は澤井を見た。しかし、彼はいつもと変わりのない様子だ。いや、むしろ、朝の不機嫌さはどこへやら。鼻歌でも出そうなくらい上機嫌だった。
「副市長。いいのですか。状況から見ても、久留飛課長のほうが優位な勝負ではないでしょうか」
「そうか? おれはそうは思わんが」
「しかし、大堀は——」
澤井はニヤニヤと口元を緩めた。
「あいつには、あいつ自身の能力以外に使えるものがたくさんある。おれは保住が負けるとは思えないがな」
「ひいき目過ぎませんか?」
澤井は、初めて天沼を見た。
「ひいきだと? ひいき目などなくても勝負の勝敗は歴然だ」
彼はそう言い放つと、腰を上げた。
「
そこではったとした。自分としたことが。会議の時間を忘れてしまうだなんて。
「申し訳ありません」
慌てて席を立った天沼を見て、澤井はニヤニヤとしたまま副市長室を出て行った。
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