第3話 性悪クラブ



高梨たかなしくんから協力要請が来ましたよ」


 赤ちょうちんの一室——奥の和室の一つで、ビールが注がれているコップをあおった男はにこっと笑みを見せた。その外見は、若さで満ち満ちている。まるで今の時間を謳歌しているかのように、自信が滲みでているのだ。まくり上げられたワイシャツからは、小麦色に焼けた太い腕が覗いている。短く刈りあがっている髪は、彼を爽やかなスポーツマンに見せた。


「そう。万事予定どおりだねえ」


 向かい側で同じくビールを飲んでいた男は口元を歪めた。


久留飛くるびさん、こういうことを想定して、おれを今の部署に置いたんですか? 何年も前から?」


「そんなはずないでしょう? 嫌ですねぇ、知田ちだくん。考えすぎですヨ」


 知田の隣には、もう一人若い男が座っている。髪を栗色に染め、人好きのする愛想のよい笑顔。べっ甲色の細いフレームの眼鏡とくせ毛かかった髪は、彼をほのぼのとした雰囲気に見せているが、悪く言えば軽い、いい加減そうな風体でもあった。


「本当、用意周到で嫌になっちゃうくらいだ。久留飛さんは——」


「相原。そんな嫌味は、僕には賛辞としてしか受け取れませんヨ」


 久留飛は、ぽっこりとしたお腹を揺らして笑った。


「それより、今回の件。知田さんで良かったんっすかね。知田さん、大丈夫?」


「相原——」


 好青年——知田はむっとした顔をして相原を見つめていた。


「そうそう喧嘩するなよ」


 久留飛の横に座っている真面目そうな黒縁の眼鏡男は、若い二人をたしなめる。


「やだな。伊深いぶかさん。だって、せっかくの好機でしょう? おれの方が信用なりますよ。確実に潰して見せるのに。知田さんは、結構ツメが甘いじゃないっすか」


「相原。お前なあ」


 若い二人が言い合いになりそうなのを見て、久留飛はグラスを置いた。その音で、一瞬。その場が静まり返る。


「酒が不味くなるじゃない。ここにいる四人は同志なのだから。仲良くしましょうヨ」


 不穏な空気は、乾いた笑みに包まれた。この場を支配しているのは久留飛だ。他の三人は、平然とそこにいるかの如くだが、その実、内情は穏やかではない。久留飛のご機嫌を取りたいという気持ちが滲み出ているようだった。


「それよりも、知田くん。その依頼についてはキミ、出られるの」


「ええ。室長には話がついていますよ。おれが確実に手伝いに入ることができるでしょう」


 相原は知田を見つめる。


「知田さんが手伝ってどうするの? 市制100周年記念事業推進室100チームの事業でしょう?」


「ほらみろ。お前は頭が足りないんだよ。相原」


 知田はビールを口にしてから、大して興味もなさそうに続けた。


「おれが行って、台無しにしてくるんだろう? そんなの当然じゃん。おれ、そういうの得意だし」


「ああ——知田さんって、影でこそこそするの上手ですもんね」


「そうそう」


「陰険」


「それな! すげえ褒め言葉」


 知田は嬉しそうに相原を指さした。


「だけど、そんな失敗程度では揺るがないんじゃないっすか? 副市長のお気に入りでしょう?」


 相原の問いに答えたのは伊深だった。


「それは最初の火種に過ぎないのだよ。相原。なんだ」


「始まり? へ~。なんか面白そうなことが隠れているんだ」


 久留飛は笑い顔の表情をますます愉快そうに歪めた。


「きっと面白いことになるヨ。相原クン。来年はプレ・イヤーになってしまうでしょう? 本腰をいれていかないと」


「とかなんとか言って。メイン・イヤーにドカンとデカい仕掛けあるんじゃないでしょうね?」


「まさか。いくらなんだって、僕は善良な梅沢市役所職員だヨ? 市長の椅子を揺るがすようなことになれば、市役所の恥にもなる。澤井さんには降りてもらいたいところだけれど、市役所を犠牲にするつもりはないんだ。君たちにも言っておくけれども、そこだけは肝に銘じて欲しいんだ。市役所は守る。その中でなら、好き勝手してもらっていいんだヨ」


「久留飛さんの市役所愛には脱帽っすよ」


「そんな好きですか? 市役所」


 相原と知田の問いに、久留飛は笑う。


「ああ、好きだ。僕はこの場所に人生をかけているんだヨ。澤井さんがそうしているように、僕もね——」


「今の若者には理解できないことだろうな」


「伊深クン。若い、年寄りと区切っちゃダメだヨ。知田や相原だって梅沢の将来を考えてくれているからこそ、僕とこうして同志になっているんじゃない。ねえ? 二人とも」


 久留飛の視線に、二人は背筋を伸ばした。


「もちろんです」


「その通りです」


「この事業はいずれ僕の管轄になる。澤井副市長には惨めに退場願おうじゃないですか」


「久留飛さんは、澤井さんとは懇意にしていたのではないんですか」


 相原の問いに、彼は視線を伏せた。


「あの人と気が合うわけではないんですヨ。保住派を抑え込むために共闘していただけなんです。だがしかし——。最近、澤井さんのほうが保住派と近しい。保住の息子が入庁してきてからというもの、保住派の動きも活発です。現に、今回のこの事業は澤井さんと保住派の共同経営みたいなものです。ここに割り込まない手はないわけです」


 三人はただ黙って久留飛の言葉に耳を傾けていた。


「澤井さんが、大成功で退職されたのでは、そのまま澤井派、もしくは保住派に持っていかれる。次につなげるためにも、こちらでの根回しが必要な時期に迫られているのです」


「ここ二年が正念場だと?」


 伊深の問いに、久留飛は頷いた。


「まだまだ保住の息子はひよっこだ。澤井さんの庇護が受けられるのもあと二年。今の間に徹底的に潰しておけば、おとなしくなるでしょう」


「やっぱり性格悪いっすよね。久留飛さんって」


 相原のコメントに、久留飛は上機嫌で両手を打ち鳴らした。


「それっていいね! 最高の褒め言葉だね。なんだか心が弾んでウキウキするヨ」


「性悪しか集まらないなんて、久留飛さんの人柄ですよねえ」


 知田も笑った。くつくつと笑う久留飛の声は、まるで悪魔の声のように響き渡る。四人は「じゃあ、乾杯しましょうか」とグラスを傾けて人の悪い笑みを浮かべていた。





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