第4話 人面獣心



 田口の手術は夜中までかかった。病室に戻ってきても面会は遠慮して欲しいと言われ、保住と根津は帰宅した。

 看護師との話を終え、雪割の田口の実家に電話をした。母親は動揺することなく冷静に受け答えをしてくれた。


『保住さんのせいじゃないよ。気に病まないでね。あの子が人様ひとさまに恨まれるなんで、親としては正直言って、いい気持ちにはなれないけど。仕事をしていればそういう事もあるわ。——稲刈りで忙しいんだよ。悪いわね。そっちに行くのは数日後になるかも知れないけど。保住さんがいるから安心しています。どうぞよろしくね』


 彼女はそう言った。


 ——そんなんじゃないんだ。おれは、銀太を守れなかったのだから……。


 翌日。保住は出勤早々、国保年金課に足を運んだ。国保年金課は市民が所せましと窓口対応の順番を待っている。その間を縫って一人の職員を呼び出したのだった。

 彼女は今風のひらひらとしたブラウスに、ロングスカートをはいていた。保住にはそれがお洒落なのかという判別はつかないのだが、夏に田口の姪である芽依めいから見せられた雑誌を思い出しながら、彼女を食堂の脇にあるラウンジに連れ出した。


「すまない。業務中に」


「いいえ。大丈夫ですよ。係長の許可ももらってありますから」


 彼女は笑顔を浮かべている。正直、初対面であるため、彼女が自分に愛嬌を振りまく理由がわからないが、そんなことはどうでもいいとばかりに話を進めた。


「実は、農振課時代の田口のことを教えて欲しいのだ」


「田口さんですか? ああ、あの真面目な人ですよね」


「そうだ。当時、田口は上司からの圧力を受けていたと言っていたのだが」


 女性は「ああ」と表情を曇らせた。


「圧力って言うか——」


 彼女はそっと声を潜めた。


「田口さんだけじゃありませんよ。私も嫌な思いばかりでした。当時課長だった柳瀬やなせさんって、性格悪い人だったし、情緒不安定でしてね。自分の機嫌が悪いと周囲に当たり散らすんです。無茶な残業も多かったし、仕事が出来上がらないとものすごい剣幕で怒鳴るんですよ。かといって、今度は出来上がるとそれに文句をつけてくるでしょう? 本当に嫌な部署でした」


「田口だけがいじめられていたわけじゃないんだな」


「ええ。というか。田口さんはそれに対して比較的、懸命に応えようとしている方でしたよ。私なんて、もう諦めちゃって。余計なことをすると怒られるなら、余計なことはしないようにしようって感じ」


 「うふふ」と笑う彼女だが、どれほどのストレスだったのかを想像すると、苦労が理解できる。まるで自分が澤井にやられたような状況だ。澤井の場合は、「保住を育てる」という意図が見え隠れしていたのだが……。柳瀬の場合は、純粋に自分の鬱憤を晴らす行為だったのではないかという印象を受けた。


「そんな中でもすごいんですよ。田口さん。地域の農家さんとお友達になるのが得意で、いつも強面の愛想ない農家さんたちに可愛がられていました。上から押さえつけられてばかりの状況でしたが、負けじと色々な事業を提案していましたね」


昔の田口を知る工程は保住に取ったら楽しいものである。他人から田口を褒められると、なんだか自分のことのようにくすぐったい気持ちになった。


「でも、トラブルがあって——異動前にせっかくの事業がダメになっちゃったんですよね。ひそかに田口くんを応援していた私たちもがっかりでした」


「その話。もっと詳しく聞かせてもらえないだろうか」


「え、ええ」


 彼女は「えっと」と過去に想いを馳せるかのように上目遣いになりながら話を進めた。


「確か、西地区の農家さんたちと西地区ブランドのお酒を造るって話になったんですよね。ところが、調整係の担当の人が意地悪したんですよね。農家さんたちに根も葉もない田口さんの悪い噂を流して……。最終的には農家さんたちも誤解だったってわかってくれたんですけど、田口さんは教育委員会に異動になってしまったんですよ。その事業は後任が引き継いで無事に形にはなったんですけどね」


「業務の妨害など。そんな無意味なことをする人間がいるのか」


「やだな。いますよ。そいう職員は大勢いるものですよ。人が成功するのは面白くないって感じ? 保住室長は、そういう職員に出会っていないのであれば、それは幸運なことじゃないですか」


 彼女の笑顔は無邪気だが、口にしている言葉は恐ろしい。保住はこの件で、職員間の闇を覗き見ている感覚を覚えていた。


 根津という男はこうした闇を見てきている男だ。彼が田口に危害を加えるのかと言われると、「ノー」であるという確信の方が強くなった。あの男は得体が知れないが、そこまで陰湿な感じは受けないからだ。この事件の犯人は、根津とは違った輪郭を成しているような気がしてならない。


 保住はそれからしばらく女性職員と話をしてから部署に戻った。



***



 保住がいない。大堀は暗い表情でパソコンをパチパチと打っていた。その隣で安齋がため息を吐いてから悪態を吐いた。


「おい。そんな顔されていたんじゃ、仕事にならないだろう? うっとおしいな。お前」


「だって——。田口。重症だって言うじゃない。おれ、おれ。どうしたらいいのか」


 安斎は「ふん」と鼻を鳴らした。


「まさか、お前が突き落としたのではあるまいな」


「そんなはずないだろう? なに言っているんだよ~」


「じゃあ、そんな顔するなよ。お前まで落ちなくてよかっただろう? これ以上、人がいなくなるのは困るものだ」


「安齋……」


 大堀は涙目で安齋を見つめる。安齋は大堀を責めるような顔ではない。むしろ心配そうな瞳の色だった。大堀はなんだか情けない気持ちになった。つっけんどんな物言いであるはずなのに、そこには優しさが感じられたからだ。


「ごめん。安齋。おれ」


「悪いと思うなら仕事しろ。田口の分までな」


「——わかった」


 大堀は目元を拭ってからパソコンに座りなおした。





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