第2話 仲間には嫌な思いはさせない。



 結局は、売店に行っても大堀は使い物にならない。保住は適当に彼の分のサンドイッチを購入し、中庭の桜の木の下のベンチに座らせた。


 しばし口もきけない状況だった大堀は、大きく息を吐くと、保住に頭を下げる。


「すみませんでした。見苦しいところを」


「気にしない。それよりもなんだ。どうだ。体調は」


「大丈夫です。落ち着きました」


 彼はペットボトルの水を口に含んでから、落ち着かない様子でそこにいた。このままこうしているということは、知田ちだとのことを話さなくてはいけないと思うのだろうな。と、保住は理解した。


「落ち着いたなら戻るぞ。田口たちが帰ってきているのならいいが。からにしておくわけにはいかない」


 保住は腰を上げたが大堀に呼び止められた。


「室長には、お話しておきたいんです」


 彼はすがるような目で保住を見ていた。頷いてからベンチに座りなおす。大堀にと察知していたが、それがこの件なのかも知れないと保住は直感的にそう思った。


「知田さんは財務時代の先輩でした」


 彼はぽつりと話を始めた。彼が語る内容は正直、反吐へどが出るような内容であった。財務時代にいじめにあっていたこと。知田は大堀に親切な顔をして近づき、彼の様子を逐一、課長に報告をする内通者だったということ。知田を信頼していた大堀が、彼の裏切りを知った時の衝撃は計り知れないものであっただろう。


 下劣な行為をしていたというのに、ああして悪びれもせずに平然と声をかけてくるのだ。知田という男の人間性は疑うべきものだと保住は思った。


「当時の財務課長の伊深いぶかさんは、本当に恐ろしい人でした。吉岡部長が、なんとかおれを拾ってくれたので仕事を続けられましたけど。毎日が辛くて退職しようかと何度も辞表を書きました」


「そんなくだらないものに労力をかけるなら、仕事に時間を割けばいいものを」


 保住は腕を組んで心底そう思った。すると、隣で大堀がくすりと笑みを漏らす。


「なんだ。大堀」


「いいえ。なんだか室長らしいですね。室長はそんないじめ、受けたことないですよね。すみません。こんな話されても困りますよね。田口には以前、少し話しました。田口もそんな思いを抱えているみたいで、よく理解してくれました」


 ——銀太は大堀の件をおれに言わなかったのは、大堀に配慮したのだろう。


 大堀の名誉を傷つけかねないこの話題を、安易に自分に洩らさない田口は、やはり信頼に値すると保住は思った。


 田口もまた、パワハラ上司の元で疲れ切っていたところで保住の部下に異動してきたのだった。あの時の田口は「残業をするのが当然」と疑いもせずに口にしていた。保住はそれを咎めたことを思い出した。

 人間は慣れていく。最初の違和感はすぐに日常に変わるものだ。不当な扱いをされてきたのに、それを彼は自覚していなかった。


 保住は上から押さえつけられて、思うように仕事ができていなかった彼をもどかしく思ったものだ。


 田口は気が付いていないが、多分、大堀に近いことをされてきたのではないかと思われる。


 なんともおかしな話だ。いじめていた側が、なぜいじめられていた者を妬むのか。妬むという感情は、「自分もそうなりたい」という願望の現れだ。それが叶わない時、人は怒りという感情にすり替える。

 知田からはそんな嫉みや怒りが感じられた。怒りたいのは大堀のほうだ。


「それは思い違いだぞ。おれだって散々いじめられたものだ。まあ、半分はいじめられているということに気が付かないタイプだがな」


「それ、なんかわかりますね」


「叩かれたこともあるし、ひどい課題を出されたことだってある。徹夜しないと終わらないことも多々あったな。そうそう、残業を強要させられたり、そうだ。時間外の接待も付き合わされた。あれは不本意」


「なんだか室長が言うと、辛そうに聞こえないんですけど」


「そうだろうか」


 人間が覚える痛みは人それぞれだ。同じ痛みを与えられても、どう受け取るのかは受容する側の問題である。大堀の辛さを全て理解することはできないが、それでも彼が辛い思いをしてきたという事実は理解できた。保住は口元を上げて笑みを見せる。


「お前の過去は理解した。しかし今は今だ。お前は推進室のメンバーだろう? 過去にこだわるな。お前の能力はおれがよく理解している。お前は自分を卑下するな」


 保住の言葉に大堀は目元を拭う。泣かれてしまうのは苦手だが、保住はじっとそこに座っていた。


 ——そうだ。銀太、安齋、大堀。みんなおれの仲間だ。誰一人となく嫌な思いをさせない。


 二人はしばし、そのまま押し黙ってその場に座っていた。









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