第3話 夜中の来訪者
副市長室は、市長室と同じ並びにあった。一般人が出入りしないその場所はひっそりとしていて静かなものである。澤井はこの静寂が馴染まない。もともとは現場が好きな男だった。本来は管理職など向いていないと自分で自覚しているのだが。
——おれはやらなくてはいけないことがある。
十一月に控えている市長選。その前にやっておきたいことは山のように積みあがっているが、体は一つ。一日は二十四時間しかない。これは、どんなに恵まれた人間にも平等に与えられている制約だ。
自分のお抱え秘書である天沼を帰し、一人で作業を黙々とこなす。週末の金曜日は、彼を残業させないように決めているのだった。
天沼という男は、放っておくと倒れるまで仕事をするタイプだ。以前、気に留めていなかったわけではないが、ほったらかしにしておいたら案の定、無理をしてくれた。それ以来、澤井は彼を休ませる日を決めているのだった。
金曜日は残業はなし。週末、公務以外は原則出勤を禁じている。そうでもしないと休暇を取らない男だからだった。
昔は保住を酷使して楽しんだこともあるが、それは自分の趣味だ。天沼にそこまで強制するつもりはなかった。
目の前にある書類を眺める。市制100周年記念事業についての案件だ。
——本来なら、
梅沢市には姉妹都市提携を結んでいる行政区がある。それが戸沢市だ。現戸沢市長は梅沢市出身で、彼が市長に就任した時に姉妹都市として提携を行ったのだ。
保住には指示を済ませてはいるが、澤井の頭の中では戸沢市と組んで大がかりなイベントを開催する構想があるのだ。関東圏で梅沢市の華々しい事業を展開する——これぞアニバーサリーの目玉にふさわしい事業だと自負していた。
現市長の安田はそれで承知している現状だが、その肝心の市長が交代する事態に発展した場合、その澤井の構想がなし崩しになる可能性が高まるのだ。
澤井は内心、
「さて、どうしたものか」
いつも強引に仕事を押し付けているように見せているが、その実、相手がそれをこなせる能力があるか、もしくはこなせる可能性があるかを推し測りながら指示を出しているのだ。できない人間にやらせるのは、時間の無駄であり、悲惨な結果を招くことも知っているからだ。
この案件は、天沼や保住にでも指示をすればやれるだろう。しかしかなり無茶をさせる話であるということを承知している。躊躇している自分を持て余しているのだった。
そんなことを考えていると、副市長室のドアがノックされた。反射的に時計を見る。すでに二十三時を回るところだ。「こんな時間に」と思った瞬間。相手は返答を待たずに顔を出した。
「澤井副市長。申し訳ありませんね。お時間よろしいでしょうか」
そこには財務部長の吉岡と、外部の音楽ホール館長
「なんだ。こんな時間に。二人そろって」
澤井の言葉に吉岡と水野谷は顔を見合わせた。
「相談事が」
「こんな時間ではないと、目立ちますからね」
吉岡の後ろで丸眼鏡の水野谷は肩を竦めた。彼は吉岡の後輩で、彼が最も信頼している男だということを澤井は理解している。
「この部屋には盗聴器なんて仕掛けられていませんよね」
吉岡と水野谷が入って来るのを確認して、澤井は腰を上げた。
「定期的にチェックしている。まあ、大丈夫であろう。聞かれては不味い話か」
「まあ、かなり。——市長選に関することも含まれますので」
吉岡と水野谷の目の前に座った澤井は大きな声で笑う。
「おいおい。おれたちは市長選には口出しできんだろう?」
「また。そんなことを。それに、澤井さんが口出しをしなくても、横槍を入れてくる動きがあると言ったら、どうされますか」
吉岡の言葉に、澤井は相手の腹の内を探るかのように二人を見渡した。
「お前たちがおれに情報提供だと?」
「確かに。我々は、あなたが保住さんを死に追いやった元凶であると認識して今までやってきました。しかし、そこにはさまざまな
吉岡はそう言うと水野谷を見る。彼も同様に頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます