第3話 ラスボスからの呼び出し



「田口。天沼から」


 その日の午後。電話を受けた大堀の言葉に耳を疑った。天沼から自分へ連絡が入る理由が見当たらないからだ。


「おれ?」


「そう。田口ってご指名だぞ」


 大堀が電話機を保留にするのを確認して、田口は受話器を持ち上げた。


「もしもし。田口です」


『天沼です。お疲れ様です』


「お疲れ様です。今日は?」


『副市長から田口さんにお話があるそうです。今から大丈夫ですか』


 ——今から? 自分へ? 澤井副市長がおれになんの用だ?


「わかりました。すぐ参ります」


『すみません。よろしくお願いします』


 電話の内容はそれだけだった。田口は困惑したまま受話器を下ろす。


 保住は午後から外勤で一日いない。そのため、自分が代わりに呼ばれたということなのだろうか。それとも自分自身への呼び出しなのだろうか。どちらにせよ、呼ばれたことには違いないのだ。 少々惑っていると、大堀が電話の内容を知りたいのか、目を輝かせてこちらを見ていた。


「なんだって?」


「呼び出しだ」


「お前が?」


 安齋は笑う。


恨まれているもんな」


「違う。——仕事だ」


 ——多分。


「どうだか」


 午前中の件で安齋との関係もぎくしゃくしている。二人のとげとげしたやり取りに大堀は目を瞬かせた。


「なんなの? 田口と副市長がなに? ってかさ。どうしたの? 喧嘩した? なんか妙に険悪じゃない」


「そのうちわかる」


 安齋は答える気がないとばかりに黙るので、大堀は面白くないのだろう。


「面白くない! 飲み会する! 田口に口を割らせてやる」


「悪いけどパス」


「きー!」


 怒っている大堀だが、彼の明るさには救われる。大きいことばかり言ってしまうが、本当は澤井と会うのは怖いのだ。澤井は底知れない人だ。保住への愛が半端なものだったら、直ぐに逃げ出すくらいの話だ。


 田口は重い気持ちを引きずって腰を上げ、階段を上がった。副市長室は二階に上がって北に進み、二号棟を西に進む。そこは市長室や、秘書課が入っている棟だった。


 正直に言って、田口には馴染みのない場所だ。天沼はよくここに馴染んでいるものだと思った。

 内心かなり緊張はしたが、そう顔には出ないお陰で、側から見たら素知らぬ風に見えることだろう。田口は副市長室のドアをノックした。いつものように天沼が顔を出した。


「田口です」


「お待ちしておりました」


 天沼と視線を合わせる。彼とは顔を合わせる機会が多いのに、業務以外の会話をする時間もない。昨年度は、同期会と称して安齋や大堀、天沼とよく飲みに行ったものだが、職務中でもある。いつもこんな他人行儀な調子だった。


 天沼は澤井付きに向いていた。保住は感心しているようで、よくその話題を口にするが、田口もそう認知していた。無駄口を叩くわけでもなく、澤井の機嫌を見て控えるところは控える。そのさじ加減は、鍛えて養われるものではない。


 彼の元来のセンスだろう。今年になってから澤井からの秘書課への苦情は無くなったらしい。これは一重に天沼の才能だ。保住の人選は間違いがなかったというところだろう。


「失礼いたします」


 てっきり怒鳴られるのかと思い、構えて入室するが、澤井は眺めていた資料から視線を外さずに言い放った。


「今晩、時間を空けておけ」


 唐突な言葉に田口は目を瞬かせた。


「あの」


「言葉のままだ。質問はするな。後で時間と場所は天沼から伝える」


 有無を言わせぬ言葉に田口はマゴマゴと応える。


「は、はい。承知いたしました……が。あの、おれ、ですか?」


「そうだ。保住には言うなよ。うまく誤魔化しておけ」


「は、はい」


「戻っていい」


 手で追い払われるような仕草に「話は終わり」と言うことらしい。これだけなら電話でもいいのではないかと思うが……。


 田口は頭を下げてから副市長室を退室したが、それに続いて天沼も廊下に出てきた。いつもだったらドア越しにさよならだが、彼は手に持っていたメモを手渡した。


「今晩の場所と時間だよ。澤井副市長一人で行くと思います」


「天沼、ありがとう。お前大丈夫? 仕事辛くない?」


 田口がこの部署にきてから、初めて彼と話ができた気がした。天沼はにこっと笑みを見せる。何故か、昨年度までの彼とは印象が違った。元々愛嬌のある笑みを見せる男たが、なんと言うのだろうか? 雰囲気が違ったのだ。

 澤井のところで働いていてイキイキしているとでも言うのか? いや。それだけではない気がした。


「仕事は楽しいよ。むしろ、自分らしく仕事ができるポジションだ。楽しい」


「そうか」


 田口は言葉を濁した。そんな彼の様子に疑問を覚えたのか、天沼は首を傾げた。


「田口?」


「いや、なんだか……」


 ——雰囲気が変わった? 澤井副市長の元にいて、こんなに穏やかにいられるのは天沼くらいではないか?


 保住は澤井と距離感が近すぎると田口は思っている。元々恋人だったからだ。だがしかし、天沼は? 


 澤井が誰彼構わず手を出す男だとは思っていない。だが男でも平気で抱ける人間だ。天沼は大丈夫なのだろうかと下世話な心配を抱いた。なにせ、天沼の変わった理由は仕事ではない気がしたのだ。なんというか、多分——恋人ができたのではないかと言うこと。田口の心のうちを読み解いているのか。彼は苦笑いをした。


「田口に話さなくちゃいけないことがあるんだ。でもなかなか時間がね。ごめん。そのうちね。今晩は、大事な話だから。必ず行ってね」


 天沼はそう言った。と、言うことは、澤井が自分になにを話そうとしているのか天沼はその内容を知っているということだ。 田口は困惑しながらも「わかった」と返事をしてから廊下を歩き出した。


 ——大事な話ってなんだ? 澤井が自分に?


 職務中にプライベートのことを平気で口にするのが澤井だ。それなのに、場所を変えるということは、市役所内部では話せない内容ということだ。なんだか嫌な気持ちになった。 安齋のことも気になる。自分が不在になるのだ。今晩は保住に残業はさせたくない。安齋と二人きりにはしたくなかったのだ。

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