03 組織と野良猫



「あなたは、そんなに組織が大事なのですか」


 澤井の腕を掴み見つめ返す。


「ああ。大事だ」


 彼は平然とそう言いのけると、そのまま続ける。


「今日昨日入ってきたお前にわかってたまるか。理解してもらう必要はない。だが、規律は守ってもらわないといけない。お前を地べたに這いつくばらせても、言いなりにさせる」


「おれは、あなたの思う通りにはなりませんよ」


「そうか。なら、身体で覚えさせるまでだ」


 澤井はそう言うと、そばに山積みになっていた書類に視線を向ける。


「明日までに、この書類を読み、要点をまとめろ。A4用紙一枚だ」


 ——山のようにある資料の要点を一枚にだと?


 資料はここ部署の事業計画書だった。


「フォントの大きさは10.5で。明日の朝。おれに直接提出だ」


 ——書類の要約だなんて。なんの意味がある?


 保住は黙り込むが、澤井は保住を急き立てるかのように睨んだ。


「返事はどうした? 保住。貴様は組織を否定するが、その組織にくみしているのだぞ。上司からの指示だ。返事をしろ」


 ——これでは、ただの嫌がらせじゃないか。


 しかし保住は自分の立場を、全く理解していない馬鹿ではない。


「……承知しました」


 ——不本意。不本意なのに。


 保住の返答に、澤井は満足したかのように口角を上げる。澤井の手が離れると酸素が急激に入り込んできた。興奮していて気が付かなかったが、思ったよりも締まっていたらしい。


「パワハラで人事に訴えてもいいぞ。もみ消すだけだがな」


 少し咳き込み、保住は澤井を見る。


「……そんなこと、いたしませんよ」


「そうか? 面白いことを言う。虐められて喜ぶタイプだな」


「そんなんじゃないですけど。面倒なことは嫌いなだけです」


 保住の返答に、澤井は愉快そうに笑う。


「そうか。面倒が嫌いというのは、組織人としての素質はあるようだ。なるほど。お前は自覚はないかもしれないが、いい組織の一つになるだろう」


「な、なにを……」


「そう喜ぶな」


 完全にからかわれている。面白くないのに。澤井はますます笑った。


「ただの馬鹿ではなく素質もあるようだ。おれが、この一年で徹底的にお前をしつけてやろう」


「……そうですか。あなたにおれが変えられますか」


「なかなかのじゃじゃ馬だが、それを乗りこなすのは楽しみでもあるな。明日も問題を起こせ。叩きのめしてやる。保住。おれを楽しませろ。お前が暴れるほど、おれの楽しみが増えると言うものだ」


 澤井は邪悪な笑みを浮かべ、そして保住のネクタイを直した。そして、さっさと打ち合わせ室を出ていった。本当は息苦しかったのだろう。少し咳込んだ。

 思うようにならない。社会人になって初めて知った。

 悪趣味な男だと思った。澤井という男——。

 目の前の書類を眺めて、さすがにため息だ。


「めんどくさい」


 ——書類をまとめるだなんて。業務には全くもって関係のない仕事じゃないか。


 保住を黙らせる口実だ。


「くそっ! こんなものは時間の無駄だろうが! ……あの男。殺す」


 保住は頭をくしゃくしゃにしてから、書類を抱え上げた。



***



 澤井は毎朝八時に出勤することにしていた。ここ数年それは守られてきたことだ。そして朝は機嫌が悪い。それも自分で自覚していることだ。だから誰もそばに近寄らない——。


 しかし今朝は違った。カバンをデスクに置いて上着を脱いでいると、目の前に人が立っていたからだ。

 保住の目の下にはくまができていた。漆黒の瞳は充血しており、あまり寝ていないということがよくわかった。


「おはようございます。昨日の課題です」


「そこに置いておけ」


 彼は黙って課題をデスクに置くと、頭を下げてから踵を返した。パソコンに電源を入れながら紙を確認する。


 ——どうやら、言いつけ通りA4一枚にまとめて来たらしいな。


「悪態ばかりつくくせに、素直なものだ」


 ——いや。違うな。


 上司の言いつけを守るというよりは、『おれにできないことなどない』とでも言いたげだ。


 ——ただの負けず嫌いか。


 澤井は苦笑した。


「いいだろう。面白い。この一年でお前を徹底的にしつけ直してやるぞ。






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