第8話 大堀の告白


 今日も当たり前のように残業だが少し違っていた。


「夕飯買ってきます」


 大堀の言葉にはっとして、田口も立ち上がる。


「じゃあおれも。室長や安齋はどうしますか? なにか買ってきますけど」


「おれはいい」


「おれも大丈夫だ」


 二人の返答を受けて、大堀と田口は視線を合わせる。


「じゃあ、二人で行ってきます」


「ああ」


 保住の上の空の返答を受けながら、二人は庁舎を出た。


「おれの駐車場はこっち」


 大堀に案内されて田口は彼の駐車場に足を向けた。


 夏真っ盛り。まだまだ暑い。セミの鳴く声がどこからともなく響いてくる。だいだい色の夕日を眺めながら歩く道。ムンとした湿度の高い空気が鼻を突いた。田口は帰宅する職員たちと一緒になって、大堀の後ろをくっついていった。


「すまないな。面倒をかけて」


「ううん。別に。面倒でもないし。それに、田口がぬいぐるみを抱っこして、ぎゅうぎゅうしている図を想像出来て面白いしね」


 田口は顔を赤くする。


「それより室長は体調、大丈夫なのか?」


「え?」


「いや、だって。昨日のグッズ打ち合わせのとき、なんか気分悪そうだったからさ」


 ——そうなの?


 昨晩は別段、体調が悪い様子は見受けられなかったと田口は思う。


「室長って熱中症の前科があるし。なんか口元を押さえて顔色悪いから。おれ、つわりの奥さんを抱えた旦那の気分だったよ」


 なんともコメントしにくい話だ。


「……いや。聞いていないな。具合悪いなんて。今日も普通だろう?」


「そうだよね……昨日のは、なんだったんだろう?」


 大堀は首を傾げてから、自分の愛車のカギを開ける。コンパクトなステーションワゴン型の白い車だった。大堀らしいチョイスだ。


「これなんだけど、大丈夫?」


 彼が車の後部座席から取り出したのは、少し大きめの灰色うさぎのぬいぐるみと、小さい袋に入っている黄色いクマのぬいぐるみだった。さすがの田口でも少し表情がほころぶ。


「確かに、かわいらしい」


「にやにやしちゃって」


 大堀はそんな田口の横顔を見て笑顔になる。


「笑うなよ」


「バカにしているわけではないんだよ。田口って不愛想でさ。本当、可愛くないなって思っていたんだけど。中学生みたい」


「中学生って……室長と同じことを言うんだな」


「え~。そんなこと言われてるの? ウケる」


「自分だって言っただろう?」


「それはそうだけど。室長がそう言うなんて。おかしい」


 彼はにこにこだ。


「安齋は嫌いだけど、室長も田口もいい人だし。まあまあいい部署だよね」


 二人は今度は、ぬいぐるみを田口の車の乗せるため歩き出す。

 今日はぬいぐるみがあるので車で来た。市役所側の日額駐車場だ。


「本当に大堀は、安齋が嫌いなのだな」


「おれが嫌いなのもあるけど、安齋だっておれが嫌いみたい。むしろそっちが強いでしょう? なんか避けられているし、なんか言うと突っかかって来るもん」


「それはそうか」


「おれ、なんか悪いことしたかな~……」


 大堀は少し、しょんぼりとした顔をする。


「いや。お前が悪いわけじゃないだろう。安齋は誰彼構わず嫌いなタイプだ。星音堂せいおんどうに行ったときも、後輩の子が安齋の話題を出すと青ざめていたからな」


「あ~、わかる。それ。おれも同じ心境だな」


 大堀は苦笑した。


「ああ、そういえば……。あの子と大堀って同じタイプかもな……」


「え? タイプで嫌われているってこと!?」


「そうかもな……」


「それじゃあダメじゃん。なにしても嫌いってことだよね~……」


 大堀は大きくため息を吐いた。


「別に喧嘩したいわけじゃないし。仲良くできるならしたいし」


 ぶう~と膨れる大堀を見て田口は笑った。


「大堀って、本当にいい奴だよな」


「なんでだよ」


「だって、嫌われている相手と仲良くしたいって」


「仕方ないでしょう? おれ、平和主義者だから」


「そうか? 安齋とは口喧嘩ばっかりなのに」


「口喧嘩できる相手がいるってことは幸せなんだよ。田口」


 ふと大堀の声色が変わり、田口は目を見張った。


「え?」


「……無視されたりするとね、誰も話なんてしてくれないんだから」


 ——無視、だって?


 田口は彼の横顔を見つめた。


「お前、無視されていたの?」


「財務の時ね。嫌な課長でね。おれ、なにしたんだかわからないけど、気に食わなかったんじゃない? みんながよそよそしくてね。でもさ。一人だけ熱心に話聞いてくれた先輩がいてさ。うっかり信用しちゃったんだよ。ほら、おれこんな性格で単純じゃん。——騙されてたんだね。その人、みんなとグルで。おれが愚痴った内容を課長に告げ口してたってわけ」


 ——この大堀がいじめだって? 愛嬌振りまいて、マスコットタイプなのに?


 一瞬。田口は自分のことも思い出す。保住に出会う前の職で。係長が毎日怒声を上げていた。


『残業はして当たり前。休みなんてあると思うな』


 そんなことを呪文のように繰り返していた男だ。農業振興係で梅沢市の農作物を周知する任にあったが、のびのびとアイデアを出せるような状況ではなかった。


「お前、辛かったな……」


 田口は自分の味わった気持ちを思い返すが、気の利いた事が言えないと押し黙る。しかし大堀はきゅっと口元を上げて笑顔を見せた。


「あんまり孤立していたからね。吉岡部長が見兼ねて拾ってくれたんだよ。部長付きになったらね。手のひら返したようにみんな話してくれる訳。人間って嫌だよねぇ。ま、そんな曖昧なコネだからさ。当てにならないよね。ごめん。ちょっと大きく見積もってたよ」


「そこで素直に白状するんだ。お前って本当にいい奴だよ。気にするなよ。おれも嫌な経験の一つや二つはある。しかし室長と出会ってから、そんな思いはしていない。室長はお前のことも大事にしてくれる」


「……そうだね。そうだと思う。おれも、そう思う!」


 二人は田口の車にぬいぐるみを乗せてから、コンビニに足を向けた。



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