第6話 影



「大堀はどうして安齋が嫌いなんだ?」


 二人取り残された推進室で、保住の問いに大堀は顔を上げた。


「え? おれ嫌いなんて言っていませんよ」


「そう? 安齋なんて大嫌いって顔に書いてあるけど」


 保住はすっかり仕事に飽きていた。田口が心配なので早々に帰宅したいが、安齋が送っていったのだ。自宅で鉢合わせなんて困ってしまう。

 きっと田口のことだから無事自宅に帰ったらメールを寄越すに違いない。それを待っている状況であるため仕事に身が入らないのだ。


「え? 書いてあります? え?」


 大堀は本当におかしい。からかうと面白いのだ。吉岡のいいおもちゃにされていたに違いないと思った。


「大堀って本当、可愛いな」


「か、可愛いなんて。やめてください」


 頬杖をついて見つめると、大堀は頬を赤くして恥ずかしそうに視線をそむけた。


「いいではないか。大堀は、おれの可愛い部下だろう?」


 それでもなお彼を見つめていると、視線を逸らした大堀は言いにくそうに口を開いた。


「し、室長は……安齋のことも可愛いんですか……」


「え?」


 ——安齋が? まあ、可愛いという形容詞に値しない容姿ではあるが。


 保住は苦笑した。


「おれはみんな可愛い部下だと思っているんだけどね……。安齋には嫌われているようだが。それに大堀は安齋だけではなく、おれのことも嫌いだろう?」


「え!? 嫌いなんて言ってませんけど」


「そうか? 顔に書いてあるぞ」


「なんでも顔に書いてあるとか言うのやめてくださいよ」


 大堀は顔を赤くして焦った仕草をした。面と向かって言われると困るだろうなと理解しながらも聞いてみたい。

 大堀は口数が多い割に心の内を見せていない。保住はそう睨んでいた。

 口数が多いのはなにかを隠そうとしているということがよくわかるからだ。


 ——たまにはいい。大堀のことを突いてみるか。


「おれは吉岡さんとはタイプが違う。多分、澤井タイプだからね。大堀は厳しいって思っているのかも知れないけど」


「そ、それはそうですよ。厳しいですよ、室長は。正直、こんな書類の作り方を指摘されたことはありませんから」


「吉岡さん、教えてくれなかったの?」


「吉岡さんも細かいところは指摘しますけど。結局、最後は『いいんじゃない~』で終了でした」


「あの人らしいね。感情論優先なタイプだからね。情に厚いとても優しい人だろう?」


「はい。とっても優しい方でした……」


 大堀はいつもと違うテンションだ。雰囲気が違うと違和感も生まれるものである。保住は彼の名を呼んだ。

 大堀は笑みを見せたが、それはぎこちないものであった。


「やだな。……なんでもないです」


「そう? なんでもないって顔していないみたいだけど?」


 ——違和感の正体はなんだ?


 保住は疑念を持った。


「やだな〜。室長って。冗談は顔だけにしてくださいよ」


 ——大堀にはやはりなにかありそうだな。吐き出させるには時間がかかりそうだ。


 話題を変えてくる彼の態度に、そこのところは突っ込んで聞く必要がないと理解した。


「冗談みたいな顔してるかな?」


 保住はきょとんとしてから自分の顔を両手で触れた。大堀の話題に乗ることにしたのだ。


「まあいい」


「え?」


「なにか話したくなったらすればいい。おれはいつでもお前の話を聞く準備がある」


「……室長……」


 大堀は手を握りしめてじっとしていた。どことなしか困惑している様が見て取れるが、これ以上の深追いは得策ではないと判断し話しを打ち切った。


「どれ、帰ろうか」


 保住のスマホが鳴ったのだ。


 『安齋に送ってもらって自宅です。車のカギを鞄に入れました』


 田口からのメールを眺めながら帰り支度をする。


「え?! なにも進んでいませんけど」


「いいじゃないの。田口の風邪がうつると困る。今日は早く帰って早く寝て。明日も元気に出勤してこい」


 保住は大堀の肩を叩いて笑顔を向けると、大堀がおずおずと視線を上げた。


「室長……」


「なに?」


「室長の笑顔って……いいですね」


「え?」


 荷物を抱えた保住は大堀を見つめた。彼はいつになく真面目な顔をしてその視線に応じてくれた。


「……もう少し頑張ってみます」


「そうか。嬉しいな。期待しているぞ。大堀」


 二人は帰宅の準備をして部署の照明を落とした。




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