第3話 命令違反



 保住が戻ってきたのは夕方だった。その間、三人は相変わらず険悪な雰囲気のままだった。大堀が無駄口を叩く雰囲気でもなく、それぞれが黙々と仕事をしていた。


 田口の風邪の症状は悪化するばかりだ。体調を崩すことに慣れていないおかげでうまく対処できていない。


 戻ってきた保住も相変わらず不機嫌だ。澤井のところで何をしてきたか言うつもりはないらしい。戻ってきて早々にデスク上に置いてあった書類を見てダメ出しを始める。


「大堀、だから言っているだろう。こういうのなし。赤で丸したところは再考しろ」


「またですか」


「文句を言うな。こんな書類はありえない」


「……はーい」


 ここに来て大堀のやる気のなさは明らかだった。見た目からして『やる気ないですオーラ』が滲み出ている。

 返された書類を直ぐに直すつもりはないらしい。マウスをいじっているばかりだ。彼を咎めるかどうか判断に迷っているとふと保住の声が耳に入ってきた。


「安齋はどこに行った?」


 ぼんやりしていたらしい。視線を巡らせるが、席に彼はいない。いつから不在なのか思い出せない。それだけ田口の状態は思わしくない。周囲の状況把握ができていなかったということだ。

 大堀も「わかりません」と答えた。その様子を確認してから、保住は無言で受話器を持ち上げた。


「推進室の保住です。そちらにうちの安齋がお邪魔しておりませんか。……やはり。すぐ戻るように伝えてください。その件は仕切り直しで。ええ。お手数をおかけします」


「安齋は……」


 大堀の問いに答えることなく保住はむっとした顔をした。田口と大堀も黙り込むしかない。とても仕事に取り掛かるような雰囲気ではないからだ。イラっとしている時の保住の殺気は恐ろしい。


 たった数分の沈黙だったと思われるが、田口にとったら一時間以上もか感じられるくらいの重苦しさだ。


 田口と大堀は自分の書類を作成する手を止めてじっと黙って座っていると、安齋が顔を出した。

 彼も不機嫌この上ない顔だった。


「戻りました」


「ちょっと来い」


 保住は安齋が席に座る前に声をかけて一瞥をくれる。そばにあるミーティング室に入れということだ。

 保住が先に入り、安齋もまた黙って書類を抱えたままミーティング室へと入っていた。

 そんな後ろ姿を見送って大堀は緊張から解放されたのか。ふと愉快そうに笑った。


「安齋の奴、ざまあみろだね」


 田口はため息を吐いてから、大堀を見つめた。


「大堀」


 いつもより低い声色に違いを感じ取ったのか。大堀は「なに?」と肩を竦めた。


「お前。もう少し落ち着いて仕事をしろ」


「だって……。こんな忙しい時に一日室長が不在だなんて。尋常じゃないよ。これが落ち着いていられる?」


「上司の意向に沿うのがおれたちの仕事だろう」


「でもさ」


「大堀」


 田口はまっすぐに大堀を見据える。彼はびくっとしてへらへらとした表情を堅くした。


「おれは確かに室長に育てられたが、まだまだ半人前だ。お前からみたら出来の悪い職員の一人かもしれない。しかし組織の人間として必要なことは心得ているつもりだ」


「そ、そんなの。おれだって……」


「じゃあ、どうして上司に対して、そんな態度をとるのだ?」


「上司って……」


 大堀はしどろもどろながらも言葉を紡ぐ。


「だ、だって。おれ達と大して年が違わないでしょう? あの人。そりゃね。副市長や吉岡部長に可愛がられているのは分かるけどさ。それってコネじゃん。本当の能力なんてわからないよね? おれは悪いけど、そんなの認められないから。おれだって必死にここまで来たんだし。田口になんかおれの苦労なんて、わからないくせに」


「わからないね」


「なんだよ! それ。冷たいね。本当。田口って」

 

「冷たいとかの問題ではない。おれは、自分の努力をわかってもらおうなんて思わないし、わかられたくもない」


「な、なんだよ。それ……」


「お前は自分のことをわかって欲しいというが、人のことを分かろうとする努力はしているのか」


「は、はあ?」


 大堀は目を見開く。


「いい加減にしろ。ここは自由気ままな場所ではない。自由気ままにできるのは、籠の中だけだ。おれたちの立場を弁えろ」


「……なんだよ。それ……」


 大堀はふてくされた顔をして視線を逸らした。だが、もう遠慮はしない。そう決めたのだ。自分の思うことは伝えてみる。

 保住には手を出すなと言われたけど、そうも言っていられない。自分だって踏ん張らなくてはいけないのだ。そう自覚したのだ。

 田口はただ黙って仕事に戻る。大堀は面白くない顔をしたまま、パソコンに視線を落とした。



***



 観光課と共有で使用しているミーティング室は小さい。職員四人がテーブルを囲むといっぱいになるくらいの小さい部屋だった。

 中心にある灰色のテーブルとパイプ椅子が四つ。そのほかにはなにもない。壁には梅沢市の観光をPRするポスターが貼られていた。


「何度も言わせるな。勝手に他部署との連携を図るなと言っているだろう?」


 安齋の持っていた書類を眺めて、保住はそう告げる。


「しかし不在の室長を待っていられません」


「そんなに急を要する案件はない。いい加減にしろ」


「いい加減にして欲しいのは室長ですよ。おれたちを放ったらかしだなんて。管理職としての責務違反です」


 一つ言うとすぐに反論してくる。これが安齋の特徴。この攻撃性は自己防衛なのだということは手に取るようにわかった。


「そうか。お前たちは上司がたった一日不在にするだけで、たちまち仕事が行き詰まるということだな」


「そういうわけでは……」


「先走った勝手な判断は思慮深い男がすることではない。自粛しろ。いい加減に浅はかな行動だと思い知れ」


「そこまで言いますか」


「言うだろう? 命令違反だ」


「おれを外したいのですか」


 安齋はじっと保住を見据えている。保住はため息を吐いた。




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