第6話 同期とは



 田口の反省している様子など気にも留めることなく、大堀が興味を持った顔で言った。


「いじめられたってこと? パワハラ? おれ、初めて副市長って間近で見たけど。あれは、怖いでしょう。結構やばいよ。怒鳴られたら卒倒しそう」


「いや。おれはいじめられたとは思っていないよ。澤井副市長の言うことは、頷けることだし、理解もできる。ただ無茶な指示は多かったけどね」


「田口ってば本当に生真面目って言うか、お堅いって言うか……。無茶な指示ってどんなの?」


「企画書を一からやり直せ。今日中とかね」


「それ、きついな」


「スパルタじゃん」


 二人はため息を吐く。


「ねえねえ。あんな澤井副市長の子守しなくちゃいけないなんて、天沼は大丈夫かな?」


 大堀の言葉に田口は、今朝の天沼を思い描いてから、『澤井の秘書には、彼が適任だ』という保住の言葉を思い出す。


 ——そう。


 『逆に市制100周年記念事業推進室に配置されていたら大変な思いをするのではないか』とも言っていた。その意見には田口も賛成だった。


 天沼は自分でも「セカンドマン」と言い張るだけあって、誰かのサポートにおいては白眉の男である。一人一人が独立して企画立案するような部署に、彼は向かない。

 お弁当の漬物を口に入れてから、大堀は話を続けた。


「でもさ。そんな怖~い澤井副市長と室長って、なんだかおれたちが入り込めないような空気感あるよね。あれって仲良しなの? 仲悪いの?」


 大堀の問いに安齋は首を傾げた。


「まあ、副市長も室長も人柄的に変わっているところは馬が合いそうだけどな」


「室長は副市長と上司と部下の関係になるのが三回目なんだ。室長の仕事の仕方は澤井さん譲りだ。だから通じるところがあるんだろうな」


 田口の説明に安齋は妙に納得したような顔をして頷いた。


「嫌味を物ともしない室長の肝の据わり方。この部署で学び取らないといけないな」


「ポジティブ野郎」


 大堀は箸で彼を指す。


「大堀。行儀が悪いぞ。おれは転んでもただでは起きない質でな」


「転んだんだ」


 そこは突っ込むところではないとばかりに、安齋がじろっと大堀を睨む。二人の会話を眺めて内心ため息を吐いた。


 ——同期とは良し悪しだ。


 先輩後輩という関係性は、そこにどこか遠慮が入ってくるものがある。しかし同期という関係性はそういった配慮が薄れるようだ。同期と仕事をしたことがない田口にとっては、大変に気を遣う状況だった。


 ——上手くやれるのだろうか。澤井の元でしごかれるのもきついが、これはこれできつい。


 半日しかたっていないのにかなり疲弊しているのがわかった。お弁当に視線を落とし、じっとしていると大堀が声を上げた。


「お疲れさまです」


「おかえりなさい」


 二人の声にはっとして顔を上げると、保住が姿を見せまたのだ。

 まだ初日なのに。今朝、整えてあげたネクタイは緩められていてひどい有様だ。苛立っている様子も見受けられる。まるで自分と住む前の彼みたいだと思った。それだけ午前中の打ち合わせはストレスフルだったということだろう。


「まったく、話が通じない」


「財務ですか」


 田口の問いに彼はどっかりと椅子に腰を下ろしてから、書類をデスクに投げ捨てた。こういう振る舞いは澤井を彷彿させると思った。


「予算の件。概算もなにもない。全くもってなにも考えていないらしい」


「概算もないんですか? おかしいな」


 大堀は首を傾げた。


「昨年おれが異動する前の担当者は、電卓叩いていましたけど」


「そんな先の予算の概算など出せるかの一点張りだ」


「財務はごっそり異動になったのです。慣れていない分、そういう目測はできないかも」


「そんな事情は知ったことではないが。ともかく新しい課長は話が通じない」


「新しい課長って、廣木ひろきさんでしたね……」


 大堀は『廣木』という男を知っているようだ。微妙な顔をして黙り込んだ。


 保住は椅子にもたれると「疲れた」と言わんばかりに黙る。静まり返ったその場を眺めて、やはり前途多難だと思った。他部署の協力が得られないことには孤軍奮闘ということだ。

 しかし田口はそう悲観的ではない。むしろなんだか心が躍る気持ちになった。


「田口」


「はい」


「お前、どう思う?」


 保住は彼に尋ねてきた。田口のワクワクしている気持ちを察しているのだろうか。保住も田口の回答に期待の視線を向けてきたのだ。


「そうですね。お財布のプランニングがないなら……、ってことじゃないでしょうか」


 田口の回答は模範解答だったらしい。保住はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「なんでもって……」


 呆れて呟く大堀だが、保住の上機嫌さにはったとしたように言葉を切った。


「そういうことだな」


「室長、まさか」


 安齋は開いた口が塞がらないとばかりに言葉を止めるが、保住はさっきまでとは打って変わって、目を輝かせた。


「しがらみがないということは、好き勝手やっていいということだ。よし、役割分担をする。好き勝手やらせてもらおうじゃないか」


「室長」


「いいんですか?」


「いいに決まっている。ともかく、まずはアニバーサリーの一年間に開催するメイン企画を決めよう!」


「はあ……」


 ——嬉しそう。


 田口は苦笑した。今まで抑圧されて仕事をしてきた彼だ。前例のない部署の企画なんて自由奔放に行われるに決まっている。ワクワクした気持ちが抑え切れていない様子に笑うしかなかった。

 保住はネクタイをぐっと引っ張って緩めると、ボタンを外した。彼の戦闘態勢だ。


「さっさと昼飯食え。今日の午後は企画会議だ」


 嬉しそうに喉を鳴らす猫みたいだ。そんな彼とは裏腹に、安齋や大堀はますます顔色が悪くなる。精神的に厳しい部署に来てしまったものだという後悔の念が見て取れた。



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