第146話 誰がためのレッド・ドリーム(4)
「……見たんだな。高橋さんのインタビューを」
俺が静かに問いかけると、梓はこくりとうなずいた。そして遠回しに名指しされてしまったことについても、梓は落ち込んでいる。
「でも……当たり前だもん……あたし、奏多君のことも、すずっちの事も……何もかも無視して……自分1人で突っ走って……その結果がこれだもん、何も言えないよ……」
確かにオーバーペースしていたのは事実だ。そしてそれが原因でケガをしたのも事実だ。
「……あはは……奏多君、もう、いいんだよ。だから」
ガシッ
「!?」
梓の両肩を掴む。梓は驚いた様子でこちらを見る。
「もう一回言うぞ。無理をするな」
「だから、無理なんて……して、ないよ……」
「だったら、お前の夢も諦めるのか」
「諦めるって、何を……諦めるも何も、あたしの夢なんて、もう叶いっこないよ!」
目を赤くしながら言う梓に、俺は次の言葉を待つ。しかし、梓は何も言わなくなった。そして少し経ってから、梓が一言紡ぎ出す。
「……ごめんね……奏多君……空気まで読ませちゃって……」
そのまま梓の左手を握る。
「あっ……」
「確かに今回の出来事はお前のせいだとは思ってる。これは間違いない。でも、それは間違いなく努力が起こしたことだ。俺はその努力を笑わないし……笑う奴は許さない」
その言葉を言うと、梓は露骨に不安な顔をする。
「それ……高橋さんの事を言ってるの……?」
「あぁ。たとえそれがお前の憧れの人であっても……許すわけにはいかない。あいつは遠回しにお前の努力をバカにしたんだぞ。お前はそれでいいのか?」
「うん」
驚くほど即答だ。
「だって、高橋さんが言った言葉だもん……間違いないよ。あたしは独りよがりな……どうしようもない女なんだよ……」
「{高橋さんが見に来るからがんばる}{高橋さんが言ってたから自分はそう言う奴だ}……お前の言う事は全部高橋さん依存なのか!?」
「高橋さんは……あたしの……赤城 梓の全部なんだよ。だから……だからあの人が言う言葉に間違いなんて、間違いなんて……あるはずないんだよ!」
梓の意見ももっともだ。と言うより、間違えているのは俺の方だろう。何より……
「へぇ、そんな脳無しな頭でも、そう言う考えは回るんだね」
部屋の入口に、高橋さんが立っていたからだ。
「高橋……さん……!」
梓は唖然とした様子で、その高橋さんの顔を見た。部屋全体の時間が止まり、まるで灰色になったかのようにすべての鳴動がなくなる。
スーツを着た高橋さんは、まるでこちらを見下すかのような目線を向ける。
「あー、君のような人に名前を呼ばれることすら、僕にとっては屈辱なんだけど。そのバカみたいな口、塞いでくれない?」
俺は慌てて、梓の前に出る。
「今日、ここで入院患者を見舞うイベントがある……そう聞きました。その前にどうして、この病室を訪れたんですか?」
「無論だよ。うるさいんだよね。ここで君を心配する素振りを見せないと、スポンサー関係の奴らがさ」
うんざりした様子で俺に向かって言う高橋さんの顔からは、どこまでも黒いオーラが漂う。
「まったく僕が君なんかに期待を持ったのが運の尽きさ。自分の体のことすらわからないまま練習して、それでこの大ケガ?手術が必要?とんだお笑い草だよ」
何故か笑いが合間合間に漏れ出す。
……なんで笑えるんだ。
確かに梓がやっていることは、どうしようもない独りよがりなことだし、このケガも自業自得だ。
でも仮にも、梓はケガ人だ。それを見てなんで笑える?
「さすがにそれは言い過ぎでは」
「なんで?紛れもない事実じゃないか。むしろ……」
いきなり部屋に入ってくる高橋さん。俺はそれを止めるまでもなく通してしまう。
間近に顔を近付けられ、梓は驚きと言うより怯えの表情を見せる。
「なんで君、バスケなんかやってたの?君のような独りよがりな奴が」
「……!」
「僕はね……君のような楽天的な奴が大嫌いなんだ。君1人で何とかなると思ってたり、君1人の力を過信しすぎたり、バスケットボールと言うのはね。他のチームメイトと息を合わせてやることが肝要なゲームなんだよ。君みたいな人がいると風評被害も甚だしいんだよね」
徐々に顔を近付けていく高橋さん。梓は引こうとするが、足が固定されているため動けない。
まるで巨大な壁が迫ってくるかのように、梓は徐々に追い詰められていく。
「まぁ、これではっきりわかったよね君も。君はバスケと言うスポーツでは……」
「存在価値のない人間だってさ」
嫌味たっぷりに言う高橋さんの黒いオーラが出た背中を、俺は見守ることしか出来なかった。背後を振り向くと、梓はまるで魂を抜かれたかのようにびくりとも動かない。
それはそうだ。憧れや夢を、彼女は一度に、しかも憧れの人自身に否定されたんだ。
今にも砂となって崩れそうな彼女の体を気にしながら、部屋を出る高橋さんの方にも視線をやった瞬間……
「ごはっ!?」
「!?」
高橋さんが、勢いよく『飛んで』きた。
「……今、なんて言ったんだ?おい。梓の事を……なんて言ったんだ!」
すずだった。すずは熱を持った右手を少し引いた後、ゆっくりと歩み寄る。まるで獲物を追い詰めた獣のように瞳は赤く光り、ゆったりとした足取りで、殺気をほとばしらせながら高橋さんに近付く。
「!?やめろ!」
俺は慌ててすずを止めようとする。
「止めるなって言っただろ奏多……こいつは……殴り倒しても気が済まねぇ……」
そう言ったすずはじわりじわりと高橋さんへの距離を縮めていく。まるで導火線に火がついているかのように、その距離は徐々に短くなっていく。
ここですずを止めないと、すずの『友達を思って起こした行動』は『犯罪行為』になってしまう。俺は勢いよくすずに駆け出して、前に立ちふさがる。
「なっ……止めんなって言ってるだろ!」
「止めるわ!お前、ここでこいつを殴り倒せばお前は犯罪者になるんだぞ!今でもかなり怪しいだろ!?」
「うっせぇ!そのぐらいなら……オレは梓のためなら、なんでもやる!大体こいつのやってる事を見ただろ!あいつにオーバーペースさせといて、それでケガさせたらこの始末か!よりにもよってケガした梓を!言葉で追い詰めるのがプロのやり方かよ!?」
すずは俺をかいくぐろうと左右に動く。俺はすり抜けを防ぐように、同じように左右に動く。
「……めて……」
「邪魔だ奏多……お前も殴るぞ!なんでお前はこいつを……」
「やめて!」
大声を上げた梓に、すずの動きが止まる。やがてゆっくりと、大きな門を開くかのように、梓が重い口を開いた。
「……やめてよ、すずっち……悪いのは……あたしなんだから」
「んなわけねぇだろ!確かにケガはお前自身が負った事なんだろうが……お前はこいつに何もかもを否定されたんだぞ!こいつがお前に期待してたからあんな練習量になったにも関わらずだ!それにお前をなんで個室にしたのか……それも今日のこれをやるために決まってるだろ!」
すずの血液の温度が、さらに上がっていく。殺気から、狂気にも似た目の色に変わっていく。
「まったくその通りだよ。悪いのは彼女だ。僕はただ背中を押した{だけ}。そもそも手術が必要なほどのケガを負ってしまうなんて、それはただ彼女が未熟なだけでしょ?僕のせいにされてもなぁ」
その言葉を聞いた瞬間。
「……?」
俺の頭の中に、猛烈な違和感が浮かび上がった。
「てんめぇ……いい加減に……!」
「すずっち、お願い、やめて……!」
「いい加減にって、君こそやめればどうだい?僕の顔を殴って、何になる?彼女のケガが治るとでも?」
その言葉を聞いたのか聞かないのか、すずは高橋さんに猛スピードで駆け出し……
5分後。
「……もしもし?あぁ、灰島君?」
俺は、入院患者や面会者用の談話室で、ある人物に電話をしていた。ここなら電話を使っても問題はない。
「お久しぶりです……あきら先生」
あきら先生だ。
「はっは~ん?アタシに電話ってことは、何か調べてほしい事があるんでしょ?」
「話が早くて……助かります。昇陽学園出身の……あきら先生なら……もしかしたらと思って……調べて欲しい事があるんですが……」
俺はあきら先生に、調べて欲しい事をお願いした。そのお願いの最中にも……
「……ところで大丈夫?灰島君。何だか苦しそうだけど」
「い、いえ、大丈夫です」
腹部を触る。まるでハンマーで殴られているような、そんな鈍痛が体の中を這いまわる。だが、ゆかりさんには関係がない。今は耐えるほかない。
「……そうね……麗華ちゃんとかにも頼んでみるね。1人よりみんないたほうがいいでしょ?」
「ありがとうございます。お願いします……」
電話が切れた。
調べて欲しいとお願いしたのは、高橋さんの引退についてだ。
メディアでは『突然の引退発表』と言われただけで、そう言った検索サイトにも、理由が不明のまま今日に至っている。一部のメディアは『女性関係のもつれの責任をとって』だの『チームメイトとの不仲』だの、根も葉もない噂が立っていたという。
そしてこれでもし、俺の考えが正しかったら……そう、思っているうちに……
「……」
俺の意識は、そこで途切れた。
・
・
・
すさまじい衝撃が、すずの目の前で巻き起こるかのように、切れ味鋭いパンチだった。
「……!?」
すずが殴ったのは、高橋さんではなく……俺の腹部だった。
「か……かなっ……!?」
少し意識が飛びそうになるのを、何とかこらえる。……どうやらすずも、さすがに本気では殴れないらしい。
「奏多君!」
梓が大声を上げる。そのまま俺は、地面に繋ぎ留められたかのように動かなくなった。
「すずっち……じゃあ、すずっちは、本気で……」
「だ…………ろう、なっ……」
腹部に痛みが走り、満足に喋れない。異常なほどの冷や汗が体中から駆け巡る。
「……い、いや、違う……!た、確かにオレは……お前も、殴るって言ったけど……!」
青ざめながら後ずさりするすず。その顔からは、先ほどまでの殺気はない。
俺たち3人を尻目に、高橋さんは立ち上がり、
「いやぁ。よかったね君。彼の働きによって、君は守られたんだ。感謝するといいよ」
病室を出ようとする。
「本当に……するとはね。驚いたよ」
最後に、こんな言葉を残して。
「ぐっ……くぅ……はぁ……はぁっ……」
俺は鈍い痛みがほとばしる体を立ち上がらせる。
「ちょっ奏多君!?どこに行くの!?」
「ちょっと電話かけねぇといけない……場所があってな……すぐ、戻ってくる」
そう言った俺は、ふらふらになりながら病室を出た。そんな俺の姿を、すずと梓は、泣きそうな顔をしながら見送った。
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