第118話 グリーンメイル・グリーンソード(4)
「……その善意は、本当に善意なんですか」
他人の心の中と、家庭の問題に土足で入っていくような感覚で、俺は直球的に聞いた。
「え……」
「どうか、思えてください」
少しだけ押し黙った後、日菜子さんは『はい』とだけ言った。
「……わかりました。こんな話をしましょう」
俺は一呼吸置いた後で、こう語り始めた。
「あるところに、1人の麗しい姫がいました。その姫、アサーミィは本当は周りの民と、交流を深めていました。いつしかその姫の国は、民たち皆が姫を慕う国として、広く知れ渡る様になりました。ところがある日、大臣ヒーナは、こうすれば国は豊かになると、姫に進言します」
(絶対あたしとお母さんだ……灰島先輩、隠すのが下手過ぎませんか……?)
「アサーミィ姫は最初はヒーナの言う事を聞きます。ですが、そのうちにヒーナの手によって国は豊かになっていきますが、次第に民の心は離れていきます。それでも、大臣の言う事は絶対。何故なら、国が豊かになったのは事実だからです」
静かに聞く日菜子さんから、反応はなかった。静かに聞いているのか、それとも聞いていないのか。
少し待っていると、
「……何が言いたいのです」
日菜子さんはようやく口を開いた。
「善意は時に……人を、そして周りを壊すという事です。俺はあなたが向けてきた{善意}が悪いとは言いません。ただ……それによって、緑川が」
「傷付いている……とでも言うんですか?」
日菜子さんの声は、徐々に冷徹さを増していく。こちらの声が、まるで通じていない……?
「仮にあなたのそれが本当だとして……ワタシは麻沙美に何をしろと?まさか{麻沙美に近付くな}などと言いませんよね?」
「……」
「ワタシは麻沙美の母です。いくら麻沙美の恋人と言えど、許しませんよ?」
そんなことが言いたいわけじゃない。だが、それ以降言葉が出てこない。
「もう一度言います。ワタシは麻沙美に、たくさんの愛情を注いできました。それが悪い事など、微塵も思ってはいません」
「えぇ、俺もそれ{自体は}悪い事だと思っていません」
「出会ったばかりのあなたが、ワタシの家族に口を挟まないでくれますか?」
出会ったばかり、か……確かに日菜子さんとはその通りだ。
でも、高校に入ってからの緑川の話が本当なら、高校に入ってからは俺の方が緑川と付き合いが長い。そう、思っていた時だった。
「あら?ダーリン、お帰り……えぇ、灰島さんからの電話……代わって欲しいと?」
潤一郎さんが?俺は少し戸惑ったが、その後の会話を聞く。
「……灰島君。代わったよ」
「あ、はい。でもなんで、潤一郎さんが……?」
「少し聞かせてもらったんだ。ひなちゃんと{キミの会話を}ね。だが……どうやらキミの考えは私たち緑川家と合わないようだ」
潤一郎さんの冷たい言葉が、俺の心に突き刺さる。
「キミの事を買っていたつもりではあったのだがね、まさかキミが、私たちに対して反抗するとは思わなかったよ。それでもキミは麻沙美の彼氏かね?」
「それは……」
不安になってくる緑川に、俺は背を向ける。
ここで緑川の方を向いてしまっては、緑川はさらに追い込まれそうだからだ。
「もういい。実は今から、キミの家に向かうつもりなのだよ。麻沙美を連れ戻すためにね」
「?」
その言葉に少し違和感を覚える。俺はさらに話を引き延ばそうとする。
「で、でも……」
「言い訳など聞かん。キミには失望した。それだけだ」
「……」
有無を言わさないような口ぶりで言う潤一郎さんに、俺は思い切って、
「わかりました。今から来てください。俺も、あなたに話があるので」
とだけ言って、電話を切った。
「は、灰島先輩!」
「……」
それから15分もしないうちに、大きなリムジンが俺の家の前に止まった。俺はそのリムジンに乗り込む。後部座席には、すでに潤一郎さんが鎮座し、運転手以外の人間は誰ひとりとしていなかった。
――いいか、俺が帰ってくるまで絶対に家から出るな。電話もかけないでくれ。……破ったら絶交だからな。
と、緑川に釘を刺してはみたが……さらに不安になりそうな気もする。
それよりもなによりも、今はこの状況を何とかせねば。俺は潤一郎さんが話すのを待つ。
リムジンの中を少し静寂が包んだ後、潤一郎さんは、運転するよう運転手に伝えた。大きな鉄の籠が、道路を走り始める。
「……私の嘘は、少しわかりやすかったかね」
潤一郎さんが、後部座席に座り、俺の方を見ずにそう言った。
「お互い様ですよ」
潤一郎さんが、本当に俺に対して失望していないことはわかっていた。何故なら潤一郎さんは『キミとひなちゃんの話を聞いた』と言っていた。
つまり、俺と彼女の話を聞いていただけでは、緑川が俺の家にいる……そのことを潤一郎さんが知ることが出来るはずないからだ。
「すまないね。こうまでせねば、ひなちゃんは捻じ曲げることが出来ないんだ。自分自身の事を。彼女は自分がやっていることはすべて{正しい善意}だと、信じて疑わない故にね」
「えぇ。俺も、日菜子さんが向けている善意、そのすべてが間違っているとは思いません。でも……それで緑川が苦しんでるのも事実なんです」
「やはり、そうなのか」
『やはり?』俺は潤一郎さんの声に瞳を緑川さんの方向へ向ける。
「実は昨日、西園寺君から電話がかかってきてね。麻沙美が生徒会選挙に出る。と」
西園寺は日菜子さんだけでなく、潤一郎さんにも電話していたのか。それは自慢なのか、それとも……
疑問は残るが、その疑問の間を消すかのように潤一郎さんは続ける。
「そして、黒嶺君からも聞いたのだよ。麻沙美の掲げた公約が、何者かによって手を加えられている可能性がある。と。生徒会選挙がある。と聞いてまさかとは思っていたが……ひなちゃんはやはり、行動に移していたようだね。出張を早めに切り上げて正解だった」
「いや、出張切り上げるって……」
はっはと笑う潤一郎さんに、不思議と突っ込む気はなくなった。
リムジンは町の中を走っていく。日が暮れて、すでに多くの無機質なビルが、明かりをともしている。
「ひなちゃんは、失敗させてしまうのが怖いのだよ」
「失敗させてしまうのが……?」
こくりとうなずく潤一郎さん。
「ひなちゃんは昔、親友と呼べる友人がいてね。その友人と、同じ大学に入学するために、色々なことをやって来たんだ。同じように夜遅くまで勉強したり、彼女が悩んでいたら相談に乗ったり。だが、今の麻沙美に対する善意のような物ではなかった。もっとも、それが悲劇へとつながるわけだがね」
悲劇……大体察しがついていた。だが、俺はあえて聞かない。人の口で言わせるようなものではないと思ったからだ。
そして少しだけ間が空いた後、潤一郎さんは静かに語りだす。
「おおよそ灰島君は察しているだろうが……そう、その友人だけが、大学入試で落ちてしまったんだ。ひなちゃんはそれを今も悔やんでいるようでね……自分のせいでもないのに自分を責め続けた。そして麻沙美だけには……同じ思いをしてほしくないと思ったんだ。だから、麻沙美に対してその友人とも比べ物にならないほどの善意を向けた。……だが、ひなちゃんの暴走とも言える善意は、徐々に私の心とかけ離れていった」
暴走……か。確かにそうかも知れないが、そう言った背景があるなら……
納得は出来ないが、理解はできる。
だが、それで緑川が苦しんでいる、と言うのも紛れもない事実だ。
「灰島君。今回の一番の被害者は、誰かと思うかね?」
潤一郎さんは、静かにそう聞いてくる。多分、どんなことを言うか、わかっているつもりなのだろう。
「……誰もいません」
「何?」
「今回の事で、一番の問題は、{悪意}が一切存在しないことなんです。日菜子さんは嫌がらせと言う意味ではなく、純粋な善意の上で行ったことですから、責めることなんて出来ません」
「……ほう。それはひなちゃん……と言うか、私たちを買いかぶりすぎではないかね。現にキミの彼女を、悲しませているわけだから」
2人で笑い合う。
「安心したまえ灰島君。ひなちゃんには私から伝えておく。今日は……麻沙美を頼むよ」
「ありがとうございます」
「礼には及ばないよ灰島君。キミの事を信じているからね」
「……そんなことが……」
家に戻ってきた俺は、潤一郎さんが話していたことを緑川に伝えた。緑川はどこか冷静に、そしてどこか驚いたような反応を見せる。
時計の針はすでに19時を回っていた。
「でも、もしこれで負けてしまったら、お母さんは何と言うでしょうか……先ほどの怒り方といい、あたしを許すなんて」
「許すだろうな」
「え?」
食い気味に言葉をかぶせると、当然のごとく緑川から疑問の言葉が漏れた。
「親子って言うのは、そう言うもんだろ?むしろ、日菜子さんは待ってるんじゃないか?お前が、自分自身の力で出来るって証明するのを」
「……」
「そのために公約に手を加えたなら合点がいくんだよ。あとは自分の手でやりなさいってことだろ?結果的に言えば、割とまずいことになってるけど」
少し考えている緑川。
「今日は家に泊まっていくといい。明日からの事は、明日学校に行ってから考えればいいんだからな」
「はい……でも、灰島先輩」
「なんだか、ものすごく嫌な予感がするんです……」
翌日、その嫌な予感は……完璧に当たってしまった。
「……!」
先に登校した俺は、衝撃の光景を目の当たりにする。
『実現不可能な嘘まみれの公約! 緑川 麻沙美に騙されるな!』
このようなプラカードを立てたその後ろで、男の生徒が声高らかに何か言っている。それを聞く……1年生や2年生の生徒たち。
「このような嘘と御託のみで出来上がった公約!皆さん!信じてはいけません!我々は知っているのです!この緑川 麻沙美と言う大ホラ吹きの女の実態を!」
にわかにざわめきだす人の波。俺たちはとりあえずそれを無視しようとして……
「へ~?興味ないんだね?先輩?」
昨日緑川に絡んでいたギャル3人に行く手を阻まれる。
「……何が言いたい?そもそも俺たちに投票権はないんだ。こんな選挙、どうでもいいだろ」
「あ~れれ~?なんでどうでもいいの~?その割には、昨日随分ナベ君に詰め寄ってたじゃん」
薄い紫色の髪の女……昨日緑川が言っていた……
「岩清水……だったか」
「あら?知ってんの?嬉しい!」
「なんでこんな事やらせてるんだ。選挙って言うのは、公平に行われるべきだろ?」
すると岩清水は、突然他のギャル2人に目配せした後、
「アタシたちがやったってしょーこ、どこにあんの?」
確かに、そう言われると何もない。こいつらがやらせている証拠など、何も。
「つーかさー、仮にかおりんがやらせてるとしてもー、おあいこじゃん」
そして背後のギャルの1人が言う。
「何がおあいこなんだよ……印象操作だろうが」
「そもそも実現できると思ってんのこんな公約。あの緑川の力でー?緑川のち・か・ら・だ・け・でー?」
「無理な公約掲げて{騙されて}当選させないように、アタシたちが釘刺してあげてるだけ。むしろ、{ちゃんとしてる}アタシたちに、感謝してほしいくらいなんだけど?」
そう言った後、3人で大声で笑い始めた。
その笑い声はとても無邪気で、とても純粋で、とても耳障りな笑い声だった。
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