第107話 好きこそものの上手なれ

 ……どうも最近、奏多の様子がおかしい。

 中間テストも近いのに気もそぞろになっている。

 しかも……


「奏多、ここ分かるか?」

「……」

「奏多!」

 大声を上げると、ようやく気付いた様子で、こちらを振り向いた。そして……


「ど、どうした?{梓}」

 とまで言い出した。


「奏多君!あたしはこっち!」

「あ、あぁ、悪い……」

 よりにもよって、オレと梓を間違えるか……?……あ、いや、ちょっと待て。


「あれ?今赤城先輩の事を名前で呼びましたか……?」

「!?……あ、あぁ。いや、聞き間違い……だろ?」

 ……聞き間違いなんかじゃない。奏多は梓の事を、確かに名前で呼んだ。青柳の時と言い、急に距離が詰まる……ものなのだろうか?


「……」


 解散後、オレはあまりに気になったので……


「なぁ、奏多、この後、暇か?」


 近くの喫茶店に入り、オレは奏多に聞くことにした。


「お前が誘ってくれるのって、久々な気がするな」

「あぁ、久しぶりだな。と言うか、診療所以外では初めてだ」

 2人の前に、アイスコーヒーとアイスティーが運ばれてくる。氷がグラスにぶつかる音が反響し、2人の間に独特な『間』を作り出す。

 あまりにも遠くて、あまりにも不可解な『間』が。


「……で、奏多。教えてくれるか?」

「え?何を?わからないところでもあるのか?」

「……ちげーよ。お前自身の事だ」

 それを聞くと、奏多は『ん?』と言った顔をこちらに向けてきた。


「もうすぐ中間テストって時期に、意識もなぁなぁになってるし、オレの事を{梓}って呼んだし、なんかあったのかよ」

「……」

 すると奏多は、驚くほどあっさりと折れた。


「いや、あの……俺の友達の話なんだけどさ」

 あ、これ絶対奏多自身の事だ。失礼ながら、一瞬で把握してしまった。

 だって奏多……オレたち以外と話してるとこ見たことないし。


「なぁ、白枝、教えてくれ」

「あ?」


「もし、遠い場所へ、離れ離れになるとしたら、どうしたらいい!?」


 ・ ・ ・ ・ ・


「……は?」

 まったく要領を得ない質問に、オレの目は点になる。でも、奏多らしくもないな……ここまで取り乱すって言うのは。

 とりあえず落ち着くように言った後、オレと奏多は目の前にある飲み物に手を伸ばす。……いや、なんでこのタイミング一緒なんだよ。

 カランと言う氷の音。……もう飲み切ってるよ奏多……


「と、とりあえず落ち着け。えっと……奏多……の、友達の、友達が、遠くに行ってしまうから、その心構えが出来ないとか、そんな感じなんだろうな。きっと」

「お、おう。悪い。そう言う事だ」

 まぁツッコミたい気分はあるが、ここまで取り乱すということは結構深刻な悩みなのだろう。オレは奏多をあまり刺激しないように話を聞きだす。


───────────────────────


 ・

 ・

 ・

「……」

 動けない俺に対して、梓はさらに話を続ける。


「ずっと、みんなには話をしようか迷ってたんだけど……実はね。あたしがバスケットを始めるきっかけになったアメリカにいるその人から、最近電話がかかってきたの。{アメリカでプレイする気はないか?}って」

 興奮を抑えるように、ゆっくりと話す梓。


「やっぱり……みんなとは別れたくないけど、あたしは夢も諦めたくないんだ。パパやママにはもう言ったんだけど、みんなの前で言うのは……さすがに気が引けちゃって……」

 そしてもじもじとしながら言う。

 俺は知っている。梓は……こんな嘘はつかない。きっと、これも本心から言っているんだろう。


「ま、まぁあたし……まだアメリカの大学に合格しないと意味ないけどね。うん。だから、まだお別れかどうかもわかんないけど」

 話している梓からは、嬉しそうな反面、どこか物悲しそうな印象を受ける。

 夢をかなえられるなら、それは嬉しい事だろう。だが、それより悲しい事があるのか……?


「……ごめんね、奏多君。テストも近いのに、いきなりこんな話しちゃって」

「……」

 俺は少し悩んだ後、こう言った。


「{好きこそものの上手なれ}だ」

「え?」

「{好きな事には熱心になり、工夫するから上達が早い}って意味だ。だからお前も、好きなことに熱心に取り組んだ結果がそれなんだろ?悩むことないだろ」

 それを聞くと、梓は少し落ち着いたようだ。そして梓は、俺に対してこくりとうなずいて……


「その……ありがとう。奏多君。それで……ごめんね。急に」

「お前が悩んでいたなら、俺はお前の力になりたい。それだけだ」

 だが、俺は……思う所があった。

 小学校、中学校と一緒に過ごしてきて、高校で1度別れて、そして高校2年で再び一緒になった。

 俺の人生の中には、ずっと梓が近くにいた。ということだ。

 ……………………


 俺における『赤城 梓』と言うのは、どういう存在だ……?

 ・

 ・

 ・


 俺は昨日起こったことを、赤城の名前を伏せて言った。


───────────────────────


「……」

 オレはその話を、淡々と聞いた。

 本当は心臓が飛び出るくらいの緊張と驚きがあったのだが、何とかしてこらえる。そうしないと……オレは奏多の顔を見られなくなる気がしたからだ。


 ……オレは、奏多のそばに並べない。


 『海外留学をする』のが誰かはわからないが、少なくともオレではない。そんな話を、奏多の前でしたことがないからだ。

 そして『海外留学をする』人物が誰なのか……大体見当がつく。


 ……なら、オレは……オレはどうすればいい?


 奏多にとっても大事な梓なんだろうが、オレにとっても梓は大事な人だ。

 だが、もしこれが梓に対する最適な選択肢なら……オレはそれを応援すべきなのだろう。だが、もし……

 オレの元から梓がいなくなったら、オレはどうすればいい?

 オレの支柱が、抜かれるような……そんな感覚になる。


「……悪い。お前に話しても意味なかったよな」

 と、奏多が言った。オレの意識はようやく戻ってくる。そして慌てて首を振り、奏多の目を見る。


「と、とりあえず……その友達に伝えといてくれ。今はあんまり考えなくていいって人と人ってのは……」

 『必ず別れるもんだ』その言葉が紡ぎだせない。


「……どうした?」

「……」

 どうしたんだオレ……何を悩んでるんだよ。『人と人とは必ず別れるもんだ』と、それで終わりじゃないか。

 これは奏多の話であって、奏多の話でないじゃないか。『友人の話』なのだから、それで終わりでいいじゃないか。これから、梓の事や奏多の事を考えるだけで……それで……

 それ……で……


「わ、悪い」

 そんなオレの様子を悟ったのか、奏多は申し訳なさそうな顔をして、謝罪した。


 違う。そうじゃないんだ。オレは……

 オレは奏多に、謝ってほしくないんだ。

 これは梓が決める事、そして奏多が決める事であって、オレは何も悩まなくていいだろう?じゃあどうしてこうなったんだよ。


 ――あたしだってそうだよ……!すずっちがいないと……ダメなんだよ!あたしだって、すずっちは太陽のような存在だもん!


 太陽は沈むものだろう?だから……


「……」

 納得させようにも、脳が納得を拒む。

 わかりやすく考えようにも、脳が思考を拒む。

 言葉にして伝えようにも、口と声帯が発言そのものを拒む。

 やっぱりオレは弱いんだろうか。やっぱりオレは……


「あのさ、奏多。その{友達}に……伝えといてくれ」

「え?……おう。何を?」


「{夢は……しっかり掴めよ}って」


「……何の、話だよ」

 ぎこちなく答える奏多。だが、オレに出来ることはこれだけだった。

 少なくともオレは……オレの力では、奏多のそばを歩くことは出来ない。羨ましく奏多と、梓の背中を眺める事しか出来ない。

 でも、だからこそ……その力にはなりたい。


「……とにかく、そう言う事だから。オレ、ちょっと用事思い出したから帰るわ」

 荷物をささっとまとめるオレ。それを見た奏多は……


「あぁ、今日はありがとう」

「……」

 その力にはなりたい……か。でも……


「お礼と言ってはなんだけど……」

「ん?ここの代金か?元から俺が払う気だったし……」

 その言葉をオレは、手を開いて阻止。そして……


「お、オレの事……名前で、呼んでくれ」

「え?なんでだよ」

「いいから呼べ!さっき梓ってオレを呼んだ罰だ!」

「何の罰だよ!?」

 奏多は少し戸惑いながら、


「じゃ、じゃあ……すず?」

「……」

 無性に全身がむずがゆくなった。今までオレを名前呼びした男の人は、いずにぃとパパだけだ。

 それを奏多は、平然とやってのけた。しかも息をするように、自然と。

 ここで『もし断られたらどうしよう』や『引かれたらどうしよう』なんて、思っていたオレの考えを、一蹴するように。


「……」

 オレはそれが、たまらなく悔しかった。人の気持ちを知らずに、また卑下ばかりしてしまったからだ。

 でも……


「……ありがとう。奏多」

 と、オレはその悔しさを飲み干し、店の出口へ歩き出した。

 その瞬間ひどくこっ恥ずかしくなり、オレは顔を赤らめたまま店を出た。




「……」


 ――『夢は……しっかり掴めよ』って。


 梓なら心配ないだろう。きっと。だって、オレが保証しているから。

 理由になっていない?いや、いいんだ。梓が夢を掴めば、それで。

 だったらオレがやるべきことは……梓のために色々体を張ることだ。


───────────────────────


 翌日。


「梓!おはよう!」

「おはようすずっち!」

 今日もあの2人は元気いっぱいだなぁ。俺は遠くでその2人の様子を見守る。

 梓は充実しているだろうな。夢に向かうための志も、熱もあるんだから。

 だったら俺も……そんな梓を見守って……サポートしてやらないと。俺は決意を新たに、2人の元へ歩き出した。




問65.映画やスポーツ観戦において、運賃を事前に払うことで手に入れられる、いわゆるチケットの事を日本語で何というか答えなさい。

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