第96話 青き柳と夢の行く先(4)

「……い、今、{凛}って……!?」

 こちらを見ながら言う。改めて言われると、すごく恥ずかしい。


「……なんで、そうやって諦めたがる。なんでそうやって、自己解決したがる」

 去年の中間テストの時もそうだ。あいつは誰にも相談することなく、1人で勉強をやりすぎて……倒れた。

 そして今回は、1人だけ犠牲になって、それでみんなを助けるという。


「……」

 手を振りほどこうと、バタバタと振り始める。俺は振りほどかれないように、ギュッと握り返す。


「……やめてよ、奏多君」

「やめねぇよ」

「やめてよ!奏多君!」

「やめねぇよ!」

 大声を上げると、凛は首を横に振った。


「ダメなんだよ……私がいたら、みんなに迷惑がかかっちゃうから……私1人の犠牲でみんなが助かるなら、それが最善」

「それは俺の最善じゃねぇんだよ!」

「!?」

 びくりと驚く凛。


「お前のその{最善}は{最善}なんかじゃない!なんでそうやって、いつもいつも1人で背負い込もうとするんだよ!去年のテストの時も、大晦日の時も、進路相談の時も、今この時も!」

「だって……これは私の問題だから……」

「答えになってないだろ!」

 雨脚が強まってくる。履いていた靴や、着ていた衣服は雨水を吸い、重くなってくる。

 体が冷たい。頭も重い。でも、構うものか。


「{自分の問題だから}って、{自分の問題だから}って、いつも逃げてきたんだろ!?なんで……なんでだよ!」

「……事実だもん!しょうがないでしょ!今この時だって、私がみんなの前から消えればそれで大丈夫なんだよ!こうやってホテルにまで来ちゃった以上、もうどうすることも出来ないよ!」

 吐き捨てるように言う凛。……だが、俺にはわかる。

 凛の体が、寒さではなく、別の理由でぶるぶると震えているのが。

 言葉を紡ぎ出すことが出来なくなってしまっている青柳に、俺は……


「ゆかりさんに、聞いたんだよ」


 ・

 ・

 ・

「なんで、灰島君は今日あったばっかりのウチのために、そこまでしてくれるの?」

「……なんというか、放っておけないんです。青柳の事は……特に……」

 今日の夕方、タクシーの中で言っていた。


「ふうん……もしかして、恋?」

「あ、いや、そんなんじゃないです!でも……あいつ、昔の俺と似てるなって思って」

 ん?と顔を近付けるゆかりさんに、俺は話を続ける。


「自分で壁を作ってすぐに諦めて、また閉じこもる……そこが俺に似てるって」

「……そう」

 何か言いたそうなゆかりさんの言葉を、俺は待つ。

 夕陽と重なり黒い影がゆかりさんと重なった時、ゆかりさんはゆっくりと口を開いた。


「ウチはあの子は諦めが悪いって思ってた。だからこそ、いつまでもあっちに固執してるのかなって。でも……すぐに諦めるような性格に{してしまった}のはウチたちの責任ね」

 すると、ゆかりさんは何かを見せた。


「これは……?」

「ウチらの家の周辺の地図。この付近までならバスでもタクシーでも人力車でも使えば来れるから。……灰島君。お願いがあるの」

 ・

 ・

 ・


「この家に、もう一度来て。出来れば凛と一緒に。……ゆかりさんはそう言ったんだ」

「今更……会ってどうなるの……?お父さんに、謝れとでも言うの……!?」

 またうつむく凛。


「結局お姉ちゃんも……結局私の家族はみんな……」

 なおも同じような言葉を口にする凛に、俺は……


「え?」

 そっと雨で重くなった凛の両肩を持ち、


「意地っ張りもいい加減にしろ!」

 と、大声を出した。


「お前は本当はどうしたいんだよ!?このままむなしく一生を終える気なのか!?お前も、お前の母さんの事も無視して!お前を助けようとしてるゆかりさんのことも無視して!」

 雨音を俺の大声が切り裂く。雨音は徐々に強まっていくが、この時の俺の耳にはあまり届いていない。


「……本当にしたいことなんて、そんなのもう……」

「またそうやって、壁を作るのか!?お前を信じようとしている俺の前にも、壁を作るつもりなのか!?」

「……そう……だよ。それが、私の考える……{最善}だから」

 ……どうやら、折れる気はないらしい。それが彼女の『答え』なのだろう。『答え』?そんなわけがない。

 だって、幼いころの凛の『夢』は、確かに凛の頭の中にあるはずだから。


「私のお母さんは、とてもやさしくて、とても頭がよくて、とても素敵な人です。私はそんなお母さんを、尊敬しています。だからこそ、私はお母さんと同じように、学校の先生になって、色んな人の助けになりたいです」

「……!?それ、私の……私の……{夢}……!」

 その言葉を口にした瞬間、


「……夢……夢……!」

「そうだ、お前の夢だよ。お前がやりたいこと。それはここで{俺たちのために人柱になる}ことなんかじゃない!」

 凛の瞳に、大粒の涙が浮かんでくる。

 悲愴なまでの覚悟を決めていた青柳 凛の顔は、そこにはなかった。『麒麟児』と呼ばれていたいつもの隙の無い青柳ではなく。


 1人の女の子である、青柳 凛が俺の両腕の先にいた。


「……でも、どうすればいいの……?奏多君……」

 それと同時に、弱さを前面に押し出している凛の姿が浮き彫りになる。

 弱さを……前面にか。いや、これが普通なんだ。麒麟児と呼ばれている以前に、凛はまだ、17歳の少女だ。


「……それは……俺もわからない」

「えっ!?」

 震えたような声で、驚きの声を上げる凛。


「……な、なんだよ今の声」

「だ、だって、本当に奏多君を頼りにしてたから……って、今は関係ないでしょ!?」

 大粒の雨が降る中、2人で笑い合う。青柳の心の動揺は、落ち着いてきたようだ。


「……でも、何も打開策がわからなかったら、考えたらいいだろ?俺たちなら、出来るはずだから」

 その言葉に、凛は笑みを浮かべた。


「おぉい!灰島!青柳!」

「「!?」」

 と、その時、ホテルの入口の方角から、長谷川先生がやって来た。


「お前ら!こんな遅くまで!こんな雨降りになにやって……あ、うん?」

 が、そこで止まって……


「……じゃ、邪魔したか?」

「「してませんっ!」」




 部屋でシャワーを浴びた後、ジャージに着替え、なんとなく眠れないのでホテルのロビーに降りてくると……


「あっ……」

 凛と会った。去年の12月に見た、小学校の頃のジャージを着ている。


「……大丈夫。だいぶ……落ち着いてきたから」

「そうか」

 ロビーのソファーに腰かける。時刻は午後10時。消灯時間を過ぎていた。

 ロビーにいるスタッフも、まして先生もほとんどおらず、がらんどうとしている。


「……ごめんね。奏多君。私のせいで」

「これは俺が勝手にしたことだよ。お前は謝らなくていい」

 それを言うと、凛は少しだけ微笑んだように見えた。手には温かい缶コーヒーが握られている。


「お姉ちゃんは……どういう人だと思った?」

「え?……まぁ、あまりつかみどころはないように思えたな。何というか、常に余裕があるというか、何か別次元で物を考えてそうと言うか……」

「……やっぱり、そうなんだね。昔から変わらない」

 そう言う凛の言葉には、弾む様な感情が見えた。先ほどまで見せていた憎悪や怒りの感情は見当たらない。

 ゆかりさんの事を、ひいては俺の事を信じてくれているのだろうか。

 ガラスがつけられたドアから外を見ると、雨は次第に強くなっているようだ。


「……あの日も、こんな雨の日だった」

「あの日……?」

「……お母さんが、死んだ日。最期の時、むせび泣くお父さんを見て、何もできなかった日」

 外をぼんやりと見つめる凛。ドアガラスに雨がぶつかる。いわゆる荒れ模様だ。

 天気予報では明日は晴れるらしい。だが、この問題が解決しない限り、彼女の心が晴れることはない。


「あのさ、教えてくれないか?そろそろ。お前が昇陽学園に来るまでに、何があったか」

「……奏多君だから、話すんだよ?だから……」

「大丈夫だ。誰にも言わねぇよ」

 すると青柳は、ゆっくりと話し始めた。自分の幼いころから、そして、昇陽に来るまでの事を。


───────────────────────


 ……9年前。


「また勝ったー!」

 コントローラーを片手に、グッと握りこぶしを作る私。その隣で、お兄ちゃんとお姉ちゃん、そして祐輔が悔しがる。


「なんだよ凛!ちょっとくらい手加減してくれよー!」

「アイテムの量増やして、3人がかりでやっても勝てないなら勝てないよ兄さん……」

「ま、凛が楽しいならそれでいいんじゃない?ウチとしても楽しいし」

 休みの日はこうして、色んなゲームで対戦するのが青柳家の基本となっていた。

 そこへ麦茶を持ってくるのは……


「はいはーい。宗悟もゆかりも凛も祐輔も、あんまりヒートアップしないの!」

 青柳 唯。私の母であり、憧れの人だ。


「だって凛が強すぎるから」

「またそうやって文句ばっかり言って!あんまり言ってると、新しいグローブ買ってあげないよ?」

「え!?そ、それは……困る……」

 戸惑うお兄ちゃん。

 ……そう、お兄ちゃんの本来の夢は、プロ野球選手だった。幼いころから野球1本でずっと部活に入っていて、高校野球、プロ野球など、夢にまい進していた。

 同じようにお姉ちゃんも、そして祐輔にも、別の夢があったはず。今となっては、知る術はないけど。


「あんまりゲームに夢中になりすぎるなよ?凛以外通信簿、ボロボロだったんだろう?」

 お父さんが入ってくる。今では考えられないような、穏やかな顔で。


「う……父さん……り、凛姉さんに勝ったら勉強頑張るから……」

「それいつになるんだよ……」

 そして家族で笑い合う。……何も言う事はない、ごく、ごく、ごく、普通の家族だった。

 そのごくごくごく普通の家族の中で過ごすごくごくごく普通の時間が、とにかく幸せだった。


「そんなことより凛。またあなた通知表、メイン強化はすべてオール5だったらしいわね。偉いわ」

「本当、俺の自慢の娘だな。お前たちも凛を見習ってがんばれよ!」

 昔から、頭だけはよかった。それ以外の教科、とりわけ体育はひどかったが……

 だけど、こうやってお母さんが褒めてくれることが、本当に嬉しかった。だからこそ、勉強も頑張れた。

 100点のテストを見せれば、お母さんは自分のように喜んでくれた。それが本当に私も嬉しくて、どうしようもないくらいに嬉しくて。

 ……その一方で、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、体育などが得意だった。

 私とは違った。……今思えば、この時から。

 そして、その『違い』が、最悪の形で亀裂を産むようになるまで、残された時間は短かった。

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