第90話 螳螂之斧

 5月13日。

 この日から、3年生……つまり先輩方は修学旅行でいない。あたしは誰もいない図書室で自習をすることにした。


「隣、よろしくて?」

「どぞどぞ~」

 西園寺が隣に座る。


「……ところで緑川氏、今日はおひとり?」

「ん。先輩方はみんな修学旅行に行ってる。場所は京都だってさ。ま、あたしらも来年はそうなるんだろうけどね」

 そして自習を始めようとする。


「……」


 ……そして、自習を始めようとする。


「……」


 ……そして……自習を……

 まずい。


 自習の仕方が、さっぱりわからない……


「どうしましたの?緑川氏?」

「……あ、あのさ。西園寺はどうしてここに?」

「図書室に行く緑川氏が見えたもので。もしかしてまたあの灰島氏と一緒に何かやろうとしているのか?と思い来ましたの。深い意味はなくってよ」

 なんか含みがありそうな言い方だなぁ。


「……」

 ともあれ、この時間は慣れておくいい機会だ。どの道来年からは先輩たちはもういなくなる。だから今のうちに自分だけで勉強できるようになっておかないと。


 3分後。


「何にもわからな~い!」

「み、緑川氏……?」

 まず何から始めるべきか。次にどうやってやるべきか。それがまるで分からない。普段から灰島先輩は……


 ――じゃ、とりあえず分からないところがあれば聞いてくれ。


 こんな感じであたしたちに基本は放任している。

 どうしてもわからない箇所があれば教えてもらえるけど、今日は教えてもらえる人もいない……


「う~ん……」

 こんなに何にも出来なかったなんて。改めて自分には灰島先輩が必要なんだということがわかる。


「緑川氏!さっきから何を悩んでいるのですか?」

「かくかくしかじか!」

「あぁ。なら、クイズ形式でいろんな問題を出してみるのはいかがですか?」

「クイズ形式?」

 すると西園寺は、ノートに何かを書き始めた。


「例えるなら例題。これは何と読むでしょう?」


『雨だれ石を{穿つ}』


 これは簡単だ。


「あめだれいしをなんとかつ!」

「{}の中だけ読んでいただけるかしら……とにかく不正解です」

 不正解!?


「じゃ、西園寺は何と読むのかわかるの~?」

「……{Aさま!}や{冷静教育委員会}、{タタック25}、{クイズ赤デミーSHOW}などのクイズ番組が人気が出る理由。それは楽しみながら学べるからです」

 スルー!?……でも、確かに西園寺の言う事もうなずける。


「そこで、お互いに教科書を読み合って、そこからクイズを出してみることにしてはいかがでしょう?楽しみながら学ぶ。と言うことです」

「あ~、自分たちでクイズを出しあう。とか、そう言う感じね?面白そう」

 どの道このまま何もわからないまま勉強し続けるよりははるかにいいはずだ。

 あたしはその話に乗ることにした。


「では、再びわたくしから行きますわ!」

 西園寺は手に持ったスマホを操作し始め


「ちょ~っと待った」

 あたしが右手を開いて見せる。西園寺は『どうしました?』と言う感じでこちらに向かって首をひねる。


「一応勉強だよ?教科書とか、そう言うのを活用しないと意味なくない?」

「それもそうですわね……なら……」

 国語の教科書を手に取り、ペラペラとめくりだす。そしてあるページで手と目を止める。

 しばらくの間教科書をじっと眺めたあと、動きを止め……『これで多分あってる』と一言。そして問題を出す。


「……相手かまわず前足を上げ威嚇する{クモ}の様子からその意味が付いた、無謀。身の程知らずと言う意味がある四字熟語の名前、わかりますか?」

「……」

 クモ?前足を上げて威嚇する……クモ?クモ……

 確かにあるゲームのクモのモンスターはよく前足を上げて威嚇してくるけど……それが四字熟語になるのか?

 しばらく考えながら、状況を思い浮かべてみる。

 …………いや、まったく頭の中に思い浮かばない。そもそもクモが入る四字熟語なんてあるんだろうか?出来れば灰島先輩や青柳先輩に聞きたいんだけど……


「クモ……{蜘蛛ノ糸くものいと}!」

「ブーですわ!正解は蜘蛛之斧くものおのですわ!」

 蜘蛛之斧?そんな言葉聞いたことないんだけど……念のためその漢字を見せてもらうと……


 『螳螂之斧』と書かれていた。


「ちょっ西園寺、これ蜘蛛じゃないじゃん」

「え?そうですの!?ではそれならなんと読みますの?」

「え?」

 螳螂。……いや、なんと読むの?これ。斧を持った虫へん……つまり、何かの虫……斧……

 斧……オノ……おの……英語で確かアックス……アックス……だから……


「{ゴキブリ}!」

「ゴキブリのオノ!?な、なんだか弱そうですわね……でも、そうやって読むのですね」

「いや、さっきから本人がわかってない問題を出してもしかたなくない!?」

 しかし『ゴキブリのオノ』とは初めて聞いた。今度詳しく灰島先輩に教えてもらおう。


「では次、緑川氏が出してください」

「あ、わかった」

 とはいえ、自分がよくわからない答えな問題を出しても仕方ない。……とりあえずこれを出してみようか。


「……はい、これ読んで」


『大石内蔵助』


「おおいしうちくらすけ!」

「まんますぎん!?違う。正解は{おおいしくらのすけ}って読むの」

「どうして{内蔵助}と書いて{くらのすけ}と読むのですか?」

 ……あ。言われてみれば確かに。

 青柳先輩や灰島先輩はわかるだろうか?でもあたしは言うまでもなくわからない。


「き、きっと、{蔵の中を攻めるぞ!}って強い考えのもと、この名前を名乗ったんだよ!間違いない!」

 ある。(か、どうかはわからないが、きっと)


「なるほど……」

 目を煌めかせる西園寺。ま、まぁ……ごまかせたからいいか。うん。きっと。


「では次はわたくしですわ!これはなんでしょう?」

 そこにあったのは、理科の実験に使用するものだった。


「難しいので、{ほにゃらら皿}で、いいですわ」

 ……皿!?皿ってどういうこと?


「皿……え?{シャーレ}じゃなく?」

「……{しゃーれ}?でも皿って書いてありますわ!急にそんなこと言うなんてやめなシャーレですわ!」

「寒。とにかく皿……皿……さらさらわっかんない。皿だけに」


 ・ ・ ・ ・ ・


「せめてリアクションして?」

「正解は{ペトリ皿}ですわ。教科書にも書いて」

「いや、シャーレも書いてるじゃん!じゃあシャーレ正解でいいじゃん!」

「違いますわ!今回問題を出したのはわたくし!つまりわたくしがルールです!」

 ぐぬぬと見つめ合う二人。


「じゃああたしから問題!ベルヌーイの定理を説明しなさい!」

「はぁ!?無理に決まってますわ!ベルヌーイ自体初めましてですもん!ちなみにどう説明すれば正解なのです!?」

「さぁね!あたしですら説明できないもん!だからどう答えても不正解~!」

「ひっどい!?クイズとしてのていをなしていませんわ!」

 再びぐぬぬと目線をぶつけ合う2人。西園寺も、あたしもまだまだ子供だなぁ。そう思っていた時だった。


「こら~~~!」

 あたしたちは2人でびくりと肩を怒らせた。突然聞こえた大声の方向を振り向くと、そこには生徒指導の先生がいた。


「図書室では静かにしろ!」

 と、カミナリが落ちる。


「「だって西園寺(緑川氏)が」」

「普段緑川は静かだろうが!なんで今日に限ってやかましいのだ!」

「うぅ……だってクイズ答えたかったし……」

「クイズ?」

 試しに問題を出す。出すのは……


「「ゴキブリのオノってなんだか知ってますか!?」」

「……は?」




 螳螂之斧とうろうのおの。相手かまわず前足を上げ威嚇する{カマキリ}の様子からその意味が付いた、『無謀。身の程知らず』と言った意味が付いた四字熟語。

 言うならば、先生に対して、そう言ったクイズを出した……


「……」「……」

 今ものすごく騒いだことで説教を受けている、あたしたちにピッタリの四字熟語。




 結果的に説教から解放され、帰路につくあたしと西園寺。


「緑川氏……申し訳ありません……わたくしが盛り上がりすぎたせいで、緑川氏まで……」

「いや~いいよいいよ。あたしだって、騒ぎ過ぎたしね」

 すでに陽は傾き、夜の闇も少し見えてきている。太陽は1日の役目を終え、月が昇り始めている時間だ。


「にしても……あたし、ここまで何にも出来ないなんて……灰島先輩にどれだけ依存してたかわかるよ」

「ううーむ、でも、そんなことでは灰島氏が卒業されれば、大ピンチでは?」

「大ピンチと言うか……もう立ち行かなくなっちゃうかも」

 ため息と共に、焦燥も少し感じた。あたしは2年生。灰島先輩は3年生。奇跡のようなことが起きない限り、灰島先輩たちと共に過ごせるのはあと1年もない。

 灰島先輩と……一緒に……か。去年出会ってから、本当灰島先輩にはお世話になっているなぁ。

 今この瞬間、灰島先輩は修学旅行を楽しんでいるんだろうなぁ。あたしは少し天を仰ぐ。

 あたしも灰島先輩のようになりたい。頭がよくて、とても頼りになる。そんな先輩に……


「灰島先輩……今、何をしているのかな」

「……あ、あの、緑川氏」

 西園寺が、あたしの肩をツンツンと突く。


「ここ、一応外なんで、あまりここにいない個人名を出さない方が……」

 周りから視線が突き刺さる……


「し、失礼……いたしました……」

 あたしは顔が真っ赤になり、その場に立ち尽くした。と、その時……


「あれ?その着信音、緑川氏では?」

 電話が鳴っていた。待ち受け画面を見ると……『灰島先輩』と書いてある。


「もしもし……?」

「み、緑川!落ち着いて聞いてくれ!」

 灰島先輩の声は、焦りに満ち溢れていた。


「潤一郎さんかあきら先生に、すぐ調べてほしい事があるんだ!急いで調べてくれないと……」




「青柳が、人間として殺されちまうかも知れないんだ!」


 その一言に、あたしの背筋が一気に伸びた。


問59.ローマ帝国末期の独裁官、ガイウス・ユリウス・カエサルが残した、カエサルの腹心に対して言った言葉を答えなさい。

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