第88話 運否天賦
今日もアビスの中で、高らかに声が聞こえる。私がここでアルバイトをし始めて1年半が経った。
店内は相変わらず、憩いを求めて多くの客が来る。客足は私が働きだしてから、むしろ増えていく一方だ。こんな独特な世界観なのに。
これでも私は人気がある方らしく、『シャルロット様に接客してほしい!』と言う客も多い。まぁ、文字だけ見たら『お前自分大好きが過ぎるだろ』と奏多さんに突っ込まれそうな気もするが……
ピンポーン!
「よくぞ再び来たな。闇の使徒よ」
そう、こんな風に。
「いつも仕事ご苦労様だなシャルロット黒嶺」
「だっだから!その名前は出さないでと……!」
小さな声で私に声をかける奏多さんの隣には、空ちゃんも座っていた。
「悪い。アビスの話をしたらどうしても行きたいって聞かなくてな、連れてきてしまった」
「こんにちは!えっと……」
まずい。本名で呼ばれるかも……
「シャルロットさん!」
この子!いい子だっ!
「して、何の用だ?」
安心してシャルロットになる。
「わたし紅く染まりし山岳にそびえる黄金の丘(オムライス)で!」
「じゃあ俺は……お、これ新商品か。えっと……ぜ、絶倒の海に囲まれし希望の島(カレーライス)で」
「よかろう。我らの施しを受けるため、しばし待つがよい」
そして奏多さんと空ちゃんから注文を受け、厨房に戻ろうとした……時だった。
「クックック、よかろう。新たなる2人の使徒の降臨だ!」
「「我らが悪魔の楽園へようこそ!」」
どうやら新しい2人組が来店したらしい。入口の方をちらりと……
「な、なんだか変わった感じの店だな……」
「うん。でも料理の味は保証するから、心配しないで!」
緑川さんと、その父親の潤一郎さん。……え?潤一郎……さん?
「……!」
この瞬間、私の背中に戦慄が走った。しかもよりにもよって、奏多さんと言うか、灰島家の隣の席に座っている……!
「あ、灰島先輩!先輩もこちらに?」
「よう。まぁ、そんなところだ。潤一郎さんも、お久しぶりですね」
「ははは、言われてみればそうだね!大晦日以来か」
しかも結構仲良さそう……でも、どうしよう。もしここで、私黒嶺 麗華がこんないかがわしい姿で働いてるって、潤一郎さんにバレたら……
死、あるのみ。
と、とにかく潤一郎さん、そして緑川さんにはバレないようにしないと。私は緑川さんがここに来た時は目線を合わせていないからまだバレてはいないはず。
そう思って、私は厨房の奥に立とうとして、
ピンポーン!
「……シャルロット、12番テーブルを頼む」
「うむ、承知した」
12番テーブル。確か奏多さんは11番テーブルだったから……
「それにしても、休日にキミと出会えるとは、これも神の巡りあわせかな!」
「ま、まぁ……そうかも知れませんね」
緑川さんとこじゃないですかああああ!?
いや、でも、まぁ、仕方ない。ここは店員として責務を果たさなきゃ……気付かれた時は気付かれた時。まさに『
あれ?使い方違うのかな(奏多さんに最近聞いただけ)まぁ、いいや。とりあえず私は覚悟を持って12番テーブルへ。
「……ふ、ふふふ」
「わ、わわわわわわワラワを呼ぼうとは、うぬもなっかなっか見どころがある」
「ど、どうした?」
「なんか電池切れ寸前のロボットみたいな言い方なんですけど……」
……ダメ!やっぱ意識しちゃう!私はなんとか息を整え……
「よかろうその無謀とも言える傲慢っぷりワラワは大層気に入ったワラワの名はシャルロットさぁこの契約書に示せうぬが欲する財宝を!」(この間、わずか5秒)
「あ、あれ~?前来た時はこんな感じじゃなかったんだけど……」
いぶかしげに私を見上げる緑川さん。しかし私はそんなこと気にしてる場合じゃない!
「えっと、シャルロットさん。だったか。とりあえず、私はタマゴサンドとホットコーヒーを……」
「違うよお父さん。神威に包まれし黄金色の宝玉と、黒き深淵に注ぎし熱き雫って頼むの」
「そ、そうなのか……昨今のお店と言うのは難しいものだな……」
緑川さんはアイスコーヒーとカレーを頼んでいる。
「よかろう、我らが奉仕を受けるがよい」
そして厨房に戻る。……助かった……のか?まぁ、いい。バレる危険もあるが、料理は頑張らなければ。
半熟気味にスクランブルエッグを作って、それをマヨネーズと素早く和え、軽く焼いたパンで挟む。
そしてそれを持っていく……事になってしまった。
「さぁ、受け取るがいい。絶倒の海に囲まれし希望の島は、もう少し待つがよい」
「ほう……これはなかなか」
「先いいよ。父さん」
しかしまだバレていない……のか?私は少し安堵し始めている。
それから20分ほど経って、灰島家の2人と、緑川家の2人は食事を終え、コーヒーや紅茶を飲みながら談笑している。
「……」
しかし、その間もバレないか気が気じゃない。これほどまでに緊張しながらアルバイトするのは久しぶりだ……
ちらちらと、厨房内から様子をうかがう。このままだと私は完全に不審者だ……
ピンポーン!
呼び出しが鳴る。12番テーブル……緑川家だ。こんな時に限って……
「どうした?新たなる使徒よ」
「ちょっと、父さん。ダメだよ、よくないって……」
緑川さんが止める。
「キミ、どこかで見たような気がしてな。私とどこかで会ったことはないかね?」
「……!」
ま、まさか、怪しまれている!?私の心臓は体から飛び出しそうになっていた。
「さぁ、気のせいだろう」
「そうか……?私の知り合いに似た顔がいてね。その子とそっくりなんだよ。見た目も、声も」
潤一郎さんの目線が、私の目とぶつかり合う。火花が出んばかりのその視線の激突に、私は負けるわけにはいかなかった。ここで目線を外せば、それは正体をばらすことになる。
だが、どうする……?前に紫原を追い詰めている潤一郎さんは、恐ろしいほどに冷静で、そして……圧力がすごい。
現に今もそうだ。懸命に視線を逸らさず潤一郎さんを見つめ続けてはいるが、なんというか目力がすごくて、すぐにでも目を逸らしたくなる。
もし、もしここで私が働いているなんてバレたら……
――黒嶺先輩、あんないかがわしい姿をしてアルバイトしてるんですよ……?名前は確か……シャルロット?
――え~?引くわ~マジで。
――こんな奴に風紀委員を任せていた僕がバカだった……
「う……うぅ……」
私が目を逸らそうとした、その時だ。
「まぁ、そんなことより。非常に美味だったよ」
飛び出してきたのは、驚きの言葉だった。
「ほんの少し焼いてあるのがいいね。カリカリとした食感とトロリとしたスクランブルエッグの食感。絶妙だったよ、本当に。コーヒーも実に美味だった。どうしても礼を言いたかったのだが、麻沙美が嫌がってしまってね」
「そ、そうか。人の舌に合うように作った甲斐があったというものだ」
潤一郎さんはにこにこしながら、こちらを見ている。
……私としてはもはやそのにこにこしたですらすでに怖いのだが。
その隣にいた奏多さんと空ちゃんに少しだけ目線をやると……
「カレーもおいしかったですよ!程よく辛くて!ね!緑川お姉ちゃん!」
「うん!あたしはもう少し辛いのも好きだけど、これくらいがちょうどいいというか……」
空ちゃんと緑川さんは、すっかり仲良くなっていた。やはり食事に勝る絆の結び方はないなと思う。
最初は人の心を読む力を鍛えるためにこのアルバイトを選んだのだが……結果的に私は、人を笑顔にさせることを望んだみたいだ。
「今度はハムサンドやポテトサラダサンドも食べてみたいものだ。近いうちに是非、また食べに来させてくれ」
「よかろう。いつでも待っている。うぬの、再びの冥界への堕天をな」
気取ってそう言うと、潤一郎さんはにこりと笑った。
───────────────────────
3日後。
……アタシは自宅で電話をかけている。相手は潤一郎さんだ。カリカリと、素早く文字を書き記している。
「先に頼まれていた8年前の過労死事件。わかったことがあるんだ。過労死したのは青柳 唯、君の妹である黒嶺 麗華さんの同級生、青柳 凛さん、そして1年に入学してきた、青柳 祐輔の母親でもある」
「つまり、青柳 凛さん、祐輔さんが転校してきたのは……それも影響して?」
「いや、それはまだわからん。だが、少なくとも、この事件は、思っていた以上に青柳家に根深いものを残しているようだな」
考えを巡らせる。
凛、祐輔の2人の子供はこちらの地方に来ている。だが、青柳家は確か4人きょうだいだったはずだ。
では、残りの2人はどこに……?
「残り2人の子供の名前と所在、わかりますか?」
「あぁ。青柳 ゆかりと青柳 宗悟。ゆかり、宗悟共に、地元の大会で優勝している。今では京都では知らぬ者はほとんどいない。そう言っていいだろう」
確かスポーツニュースで見たことがある。ゆかりも宗悟も、フォームからして別次元の強さと言う。
父の元陸上選手、青柳 武志に鍛え抜かれた結果、こうなったのだろう。これだけなら、ごく普通のハートフルな家族の物語……なのだが、凛は逃げてきているという。
そして凛だけ明らかに違うのは、陸上ではなく勉強で頭角を現しているところだ。
「わかりました。今後も何かわかれば」
───────────────────────
「ただいまー」
「あ、麗華ちゃんお帰り~」
お姉様は、誰かと電話をしているようだ。邪魔をするのは悪いと思い、なるべく黙りながら部屋に向かおうとして……
「あ、麗華ちゃん、ちょっと緑川 潤一郎さんから電話なんだけど」
「私に?」
こくりとうなずくお姉様に、私は電話を受け取って、
「もしもし?」
「あぁ、すまないねシャルロットさん。突然の電話、許してくれ」
・ ・ ・ ・ ・
「シャルロットさんって……何のことです……?」
「またとぼけずとも大丈夫だよ。あのアビスと言う喫茶店で会ったシャルロットさん。君なのだろう?」
「あ、いや、あの……」
言いよどんでいると……
「絶対にばらさないよ。私としては、あの時守れた君の事を知れて嬉しいし、それに、ちゃんと礼を言いたかったしね」
少し押し黙った後、私は……
「ふん。人間にしては洞察力の鋭い奴だ。ならばワラワもうぬに言いたいことがある。……ありがとうございます!」
半分は{シャルロット}として、半分は{黒嶺 麗華}として言った。
「はっはっは。面白いね君は。あぁ、また食べに行くとも、{シャルロット}」
電話の向こうで、潤一郎さんの笑い声が聞こえた。それにつられるように、私も笑顔になった。
「……その、それで……だ。その代わりと言ってはなんだが」
「えっ?なんですか?」
そして潤一郎さんが言ったことは、驚くべきことだった。
「君たちが行く京都での修学旅行。おそらく青柳 凛さんに恐怖が襲ってくる。それから、彼女を守ってほしいんだ」
問57.1721年、当時の将軍徳川吉宗が庶民からの要望や不満を聞くために設置した箱の事を、なんというか答えなさい。
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