第77話 ホワイトナイト、レッドクイーン(8)

「あ、兄貴……どうして」

「どうしてって、すずこそ何やってんだ?俺が貼ろうとしてたのはこっちだって」

 軽妙な言葉使いで出さんが言う。俺たちは未だに、その行動の真意が読めなかった。


「……すず、安心しろ。あとは灰島君に一任してあるから」


 ・ ・ ・


「……は?」

「いくら看護師が少なくなったとは言っても、薬剤師の仕事まで奪うのはまずい。体力的な意味合いでも夕方からの診療なら十分だろう」

 確かに、月曜日から金曜日までの16時から19時までの診察になっている。


「そんなことより、朝早くからお疲れさんだねェ灰島君。君、すずが心配になって来てくれたんだろ?」

「え、えぇ。まぁ」

「そう言う事なら、おじさんが足止めしちゃ悪いねェ。退散しよっかな。あとは若い2人でイチャイチャしててくれェ」

「な!?」

 顔を赤くする白枝。結果的に診療所の前には、俺と白枝だけが残った。


「……」「……」

「と、とりあえず……お前に一任するって言ってたけど、どういう事だよ奏多」

「……」

 もう隠せないか。


「昨日、出さんが言ってたんだよ」


 ・

 ・

 ・

「お疲れさん!灰島君も」

 『診察』を終え、更衣室で着替えている俺に出さんが声をかける。


「こう言った経験、多分もう二度と出来ないでしょうね」

「あはは、確かにそうかも知れないねェ。君がすずと結婚でもしない限りは」


 ・ ・ ・


「ところで灰島君」

「なんですか今の間」

 出さんは急に改まり、話し始めた。


「さっき言ったろ?」


 ――でも、いつしかその夢に捕らわれて……すずの可能性を摘もうとしていたのは俺たち大人の方かも知れないなァ。


「あぁ、あれですか。あれどういう意味合いがあったんですか?」

「読んで字のごとくだ。俺も母さんも……そしてすずも、彼女の夢を見当違いに考えてた」

 そして椅子に座るよう促される。俺が座るとほぼ同じタイミングで、出さんも座った。


「あいつはこの診療所こそが自分の夢の原点で、自分の夢の完成系だと思い込んでいた。そして俺も母さんも、あいつがそう言うなら、そうなのだろうと思っていた」

 静かに話を続ける出さんに、俺は目線を外すことなく話を聞き続ける。


「でも、今日の君の行動を見て分かったよ」

「何を……」

「あいつの本当の夢は、{医者になること}だ。{この診療所を継ぐこと}じゃない。あいつはそれをわかっていなかった」

 出さんが腕を組む。


「……そして、俺と母さんは、あいつ以上にわかってなかったんだ。だからあいつをいつまでもいつまでもこの診療所に縛り付けて……そして爆発させてしまった。俺は兄貴失格だねェ」

 少し下を向いた後、出さんは……


「灰島君。ひとつだけ伝えておきたいことがあるんだ」

「はい」

 ・

 ・

 ・


「{爆発しそうになったら立ち止まれ。それが大事なものを失わない秘訣だ}そう、出さんに言われたんだ」

「爆発しそうになったら……立ち止まれ……」

 白枝は目を閉じ、何かに思いを馳せる。


───────────────────────


 ……どうやって、梓と仲を深めればいいかわからなかった、そんな高校1年の4月のある日。

 この日だって、オレは帰りは1人だった。学校を出ようとすると……


「……」

 外は土砂降りの雨だった。朝が晴れだったので傘など持っていない。止むのか?と思って待ってみるが……

 3分ほど待っても、まったく止む気配はない。こうなったら、濡れて帰るか……?

 そう、思って足に力を込めた……時だった。


 ぎゅっ


「!?」

 左腕を掴まれる。振り返るとそこに、梓がいた。


「ダメだよ。濡れて帰る気?風邪でもひいたら大変でしょ?」

「赤城……」

「ほら、あたし傘持ってるから、一緒に入ろ?」

 キャラクターの絵が描かれた傘を、梓は空に向かって開く。


「いいよ。お前が濡れるだろ?それにオレは1人であることには慣れてるし……」

「そうやって自分を納得させて、キミはそれでいいの?好意には甘えていいんだよ?」

 傘をオレの方に傾ける。かわいらしいキャラクターの絵が、オレの天頂に重なる。


「なんで」

「ん?」

「なんでオレに、構おうとするんだ?」

 そして梓は、笑顔でこう言った。


「だってキミ、自分から{1人になりたい!}なんて思うはずないでしょ?だから、あたしがそばにいてあげる!いいでしょ?」

「……!?」

 ……その頃から、オレは梓に勝てない。そう思っていたのかも知れない。


「でも、ちょっとだけでも立ち止まってよかったよね。{すずっち}」

「え?」

「そうじゃなきゃ、雨でびしょびしょになるところだったよ?」

 笑顔で言う梓。


「……すずっちってなんだよ」

「え?キミのあだ名!ダメかな?」

「……いや、いいけど……」

 肩を寄せ合って、一本の傘を軸にして歩く。


 立ち止まれ、それが大事なものを失わない秘訣……

 この言葉を聞くまで、忘れていた。そんな遠い雨の日の出来事。


───────────────────────


「……その、奏多」

「ん?」

「ありがとう。……お前のおかげで……オレも、ここも守られた気がするんだ」

 白枝診療所を目にしながら言う。


「ここは、いつまでもなくならないさ。お前が立派な医者になって、そしてお前が先生をやる……そしたらそこが{白枝診療所}だろ?」

「……」

 それを聞いた瞬間、白枝はふふっと笑みを漏らした。


「な、なんだよ」

「なんだよその言葉。まるで練習してきたような言い方だな」

「悪いか!昨日空相手に練習したわ!」

「いや認めるのかよ……」

 そして今度は体ごとこちらを見る。


「だ、だから……さ」

 するとカバンから、何かを取り出す。


「これ……受け取ってくれ」

「!?これって……」

 それは、ラッピングされた袋に入った……アイスボックスクッキーだった。


「1日遅いバレンタインデーだよ。その……渡してなかったから」

「作ってくれたのか。……悪いな」

「ほ、本当は兄貴……いずにぃに、作った奴なんだ。それが……余っただけ……お、お前のために作ったんじゃねぇぞ!?」

「なんにせよ嬉しいよ。ありがとう。白枝」

 それを聞くと、白枝は顔を真っ赤にした。


「い、いいから学校に行くぞ!授業遅れる可能性あんだろうが!」

「おう。あとで楽しみに食べるからな」

 学校に向かう俺と白枝。心なしか白枝の表情が、かなり明るくなった気がした。


「……」

 すると、白枝が……


 ぎゅっ


「!?」

 俺の左手の小指を握ってきた。


「し、白枝……?」

「クッキーのお返しとして……こう、させてくれ」

「な、なんで……?」

「いいから……させてくれ」

 そのまま白枝の手をとりながら歩く。急ぎ気味に、でもかみしめるようにゆっくりと歩く。


「……」

 ちらっと白枝の方を見ると……


「……!?」

 白枝の顔は、耳まで真っ赤になっていた。


「ばっばっばっ……見るな!殴るぞ!?」

「……お前も……やっぱ女の子らしいじゃないか」

「……う、うっせぇ!」

 そう言いつつ、白枝は少し強く俺の手を握る。握られた手は体格の割にどこか華奢で柔らかく、そっと握りしめないと壊れてしまいそうな、そんな手だった。

 そして、その手のひらからでも伝わってくる。


 バクン バクン バクン……


 白枝の心臓の、高鳴りを見せる鼓動が。




「では、診療所は閉院ではなく、夕方のみの診察と?」

 生姜焼き定食と白枝の弁当を挟んで、黒嶺が言う。


「あぁ、その……みんなにも迷惑をかけて……ごめん」

 そして頭を下げる。


「……いいんだよ。白枝さん」

「え?」

「私は……ビックリはしたけど、白枝さんが立ち直れたなら、それでもうおしまいでいい」

 ニコニコしながら言う青柳に、緑川と黒嶺も続く。


「あたしも、白枝先輩がこれからもあたしたちと一緒にいてくれるなら、何も言いませんよ!」

「友達と言うものは、そう言うものですよ。白枝さん」

 それを聞いた瞬間、白枝の目に涙が浮かんだ。


「すずっち!」

 そして赤城が名前を呼ぶと、白枝は涙を拭いて、


「ありがとう……!」

 と、笑顔で言った。その顔には、少しぎこちないが笑顔が戻っていた。


───────────────────────


「……で?ちゃんと渡せたの?奏多君に」

 学食から教室に戻る途中で、オレと梓が話す。


「あぁ。渡せたよ。さっき、感想を聞いたらおいしかったって言ってくれた」

「そっか。それはよかった」

 すると少しいたずらな顔をして、梓が言う。


「すずっち。どんな感じで渡したの?」

「それは秘密だ」

「え~!?なんで!?友達でしょあたしたち!」

「ふふ、友達だからこそ。だよ」

「む~……」

 頬を膨らませ、こちらを物欲しそうに見る梓。

 ……そう、友達だからこそ、言えるわけがないんだ。


 ――1日遅いバレンタインデーだよ。その……渡してなかったから。




 ……


 『好きな人』に、クッキーを渡す時の心境なんて。



問46.『苦難や危険を顧みず物事に取り組むこと』と言う意味のことわざを、『水』と『火』を使ってなんというか答えなさい。

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