第75話 ホワイトナイト、レッドクイーン(6)

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 パパの診察を、こっそり隠れて見る。

 聴診器を胸に押し当てた後、背中を向かせてさらに聴診器を押し当てる。

 そして口を開け、小さなライトで喉を見た後……口を閉じた患者さんに声をかけている。


「軽い風邪ですな、喉が腫れている様子があるので抗生物質を出しておきましょう。それで様子を見てみて体調が戻らなかったらまた受信されてください」

「ありがとうございます」


 次に胃カメラを行った男の人に説明している。


「胃カメラの結果、少し荒れている程度で薬でなんとか出来る程度です」

「はぁ、よかった……」

「これからはあまり乱れた食生活をせずに、野菜もしっかり食べなければダメですよ。あと、程よく運動もするようにしてください」

「ありがとうございます!」


 数多くの患者を、切れ味鋭く診察し、そして答えを出す。パパのその動きがとてもかっこよく見えた。

 ……まぶしかった。


「……」

 今思えば、その時からオレの夢は、本当は決まっていたのかも知れない。だからこそ……

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 ・

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「……医者に、なりたい」

 あの時の言葉を、口から出せたのかも知れない。


「……」

 でも……ダメだ。


 何もかもを諦めてしまったオレに、この白衣を着る資格なんてない。……きっと、パパも……

 いずにぃには悪いが、オレは何も着ずにやらせてもらおう。オレはその白衣を、もう一度直そうとして……


 ――ボク、大人になったらお姉ちゃんのようにやさしい人になりたい!


 ――お姉ちゃんのほうが、ゴーゴーレッドよりかっこいいもん!

 ――ボクを助けてくれたし、勇気ももらえたし!


「……」


 ――なんで?いい事でしょ?だって、立派な夢じゃん!もっと前面に押し出していいと思う!あたしも応援するし!

 ――どんな夢に進もうと、笑わないし笑わせないよ!あたしが!


「……」

 正直、何を始めるのかまだわからないままだった。……でも、奏多がやろうと言っているんだ。

 きっと……何か意味があることなんだろう。オレはパパの白衣に、もう一度袖を通した。


───────────────────────


 診察室に入ってくる白枝。


「おぉ、似合ってるじゃないか白枝」

 男用の白衣だが、充分に着られている。少しだけ丈が長いが。


「いや、似合う似合わないの前に、お前は何がやりたいんだよ……」

「え?」

「お前は何がやりたいんだよ!こんなパ……親父の白衣まで持ち出して!オレに思い出でも作らせる気かよ!」

「……だとしたら、どうする?」

 じぃっと眺める俺の視線に、白枝は少しいら立ちを見せた。


「余計なお世話だ。大体、兄貴もお袋も、さっきすれ違ったけど、薬剤師の人も何してんだよ」

「さァ、何してんだろうねェ?そんなことより、患者さんが来るよォ」

「バカ言え今日は日曜、それに今は昼時だぞ。患者なんか来るわけ……」

 診察室の扉が開け放たれる。すでに何人か人が待っていた。どの人も、少しだけ体調が悪そうだ。


「臨時営業として、今日1日開けておいたのさ。この時期、ただでさえ人多いしねェ。あァ。もちろん近所の人とかには許可を得てるよォ」

「えっいや、じゃあどうすんだよ」

「どうすんだよって……お前がやるんだよ。すず」


 ・ ・ ・


「はぁ!?どうしてだよ!?いずにぃがやりゃいいだ」

「次の方どうぞー」

 出さんと白枝の話を断ち切るように、俺が声を上げる。


「ちょっ奏多!?話を」

「いいからやるんだよ白枝。お前ならできるって」

 若い男が入ってくる。その男は、入ってくるなり……


「あれ?出さんじゃないんすか?」

 と、声を上げる。どうやらかかりつけのようだ。


「えぇ、少し。ね」

「そっすか。少し頭が痛くて……風邪かも知れないんです。診察お願いできます?」

「お願いできますって…………ん?」

 白枝はその男の目に、顔を近付ける。


「目が少し赤いですよ。昨日夜更かししましたね?」

「!?」

 図星のようで男は肩を怒らせる。それと同時に、男の目の周りをゆっくりとやさしくなぞるように指で触っていく。


「それに目の下にクマ……目を酷使しすぎて、それで目の奥が凝って頭痛を起こしているんでしょう。今日は目を休めてゆっくり休んでください」

「うぅー、どうしても昨日片付けないといけない仕事があったんすよ……だから多少無茶しちまったんですが……」

「それで倒れては元も子もないでしょう?休むことも仕事ですよ」

 それだけを聞くと、男は照れたように笑みを浮かべた。


「念のために頭痛薬を処方しておきます。どうしても痛くなったら服用してください。それでも治まらなかったら、また来院してください」

「ありがとうございまっす!」


 頭を下げ、診察室を後にする男。それを見送る白枝は、少しだけ笑みを浮かべる。

 さらに白枝は、並んでいる人々を次々と診断していく。


「油分の取りすぎで、胃が疲れていると思います。しばらくはさっぱりとしたものを食べて、胃を休めることに努めてください。どうしても辛いなら、胃腸薬を処方しておくのでそちらを飲んでください」

 ……無論、白枝は本格的な医療行為は行えないし、薬を処方することも法律的な意味で出来ない。そこは出さんと真美さんにやってもらう。


「軽い捻挫になっていますね。しばらくこちらの湿布。3日ほど経ったら温湿布を貼って様子を見てください。1週間後に痛みが残ったり、歩くときに違和感を覚えたらまた受診してください」


「診て分かりましたが喉が炎症を起こしてしまっているので、抗生物質を処方しておきます。それを飲んで今日はゆっくり休んでくださいね」


「行きますよ……一気に息を吐いて!」


 コキッ


「お、おぉ!かなり腰が楽になったわい!」

「軽く腰を伸ばしてみましたが、多分痛みの根本的な解決にはなっていないはず。あまり腰を動かさず、しばらくは激しい運動を控えてください」


 次々診察室に入ってくる患者を、続々と診ていく白枝。時にやさしく時に厳しく、話しかけ、問診していく。


「蛙の子は蛙って、本当なんだなァ」

 少し離れた場所で見ている俺と出さん。出さんが、そっと言葉をこぼす。


「見なよ灰島君。すず、活き活きとしてるだろ?」

「はい」

「医者になりたいって夢、ただ一言だけでは諦められないんだよ。きっと」

 顔を見ればわかる。白枝の顔はどこまでも晴れやかで、そしてやさしい顔をしている。それほどまでに、父親の跡を継ぎたいという思いは強いんだ。

 それほどまでに……この診療所が大事なんだ。


「それに、{すずに立派な医者になって欲しい}ってのは、親父の夢でもあるし、母さんの夢でもあるんだ」

 静かにその話を聞く。


「でも、いつしかその夢に捕らわれて……すずの可能性を摘もうとしていたのは俺たち大人の方かも知れないなァ」

 その言葉に俺は、少し疑問を浮かべた。どういう意味か聞く前に……


「兄貴」

 少しわからないことがあるのか、すずが出さんを呼んだ。


「……」




 ようやくひと通りの患者を見終わった時には、すでに夕方の5時を過ぎていた。

 誰もいなくなった診療所の待合室に、俺と白枝は来ている。


「……ありがとう。奏多」

「え?」

「その……今日は、色々と感謝してる。オレのために、無理を通してくれて」

 それを言うと俺は少し笑った。


「お礼なら、出さんに言えよ。出さんにも真美さんにも、俺より多く動いてくれたんだ。お前のために。ひいては俺のためにな」

「……そうだな。余計なことしやがるぜ」

 言葉とは裏腹に、はにかんだような表情を浮かべる白枝。そして首にかけている聴診器を、俺の耳に付けてきた。


「えっ、ちょっと、何をしてんだ?白枝」

「……」

 そしてその聴診器の心音を測る部分を、自分の胸にくっつけて……


 ドクン ドクン ドクン ドクン


 白枝の心音が、聴診器を通じて聞こえてくる。それと同時に、俺の顔も、白枝の顔も赤くなってくる。


「……思い出作りって言っただろ?あの時、本当はめちゃくちゃ嬉しかった半面、めちゃくちゃ悲しかったんだ。また、オレが迷惑かけちまったのかなって」

 照れるように話を続ける。


「本当は、受け入れるしかないって、わかってる。でも……嫌なんだ。オレの居場所が奪われるのが……オレの夢が……砕かれるのが」


 ドクン バクン ドクン バクン


 心音が少し変わった。やはり診療所の話になると落ち着かないようだ……


「……だけど、今回お前たちのおかげでわかったんだ」

「何が」

「オレ……仮にこの診療所がなくなっても……」


 バクンッバクンッバクンッバクンッ


「医者になるって夢は諦めたくないって」

 こっちの顔をキッと見ながら、白枝がそう言った。その瞳の奥には、煌めく炎が宿っているようだった。


「……今さら言っても、もう遅いかも知れないけど……せめて奏多には、ちゃんと言えてよかった」


 ドクン ドクン ドクン ドクン


 心音が元通りの穏やかなものに戻っていく。それを確認したかのように、白枝は俺の耳から聴診器を外した。


「……ごめんな。奏多。今日は休みだったのに」

「いや、これをやるって言ったのは俺の方だしな。それに……」

 そして懐から手紙を取り出す。


「これを、お前に渡したかったんだ」

「手紙……」

 すると白枝、俺の顔と手紙を交互に見て……


「……ラブレターか?」

「なんでそんな結論に至ってしまうんだよお前は」

 その手紙を開く。


「……!?」

 その最初の一文を見て、白枝はハッと目を見開いた。




『親愛なるすずっちへ』

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