第71話 ホワイトナイト、レッドクイーン(2)


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 ……それは、オレが小学校2年生の時だ。


「ふぅ……やっと今日の診察が終わった」

 パパが椅子に腰かけ、息をつく。


「お疲れ様、あなた。ごはんにしましょう」

「いつもすまないな。真美。お前も手伝いをしてもらって、十二分に疲れているだろうに」

「いえ、これもあなたのためです。それに……すずも喜んでますから」

 オレは慌てて、覗き込んでいた扉を閉める。しかしパパはそれに気付いていたため、歩み寄ってその扉を開け放つ。


「すず、ありがとう。いつもいつも」

 そしてやさしい声を、オレの目を見ながら言う。


「パ、パパ……」

 子供の頃からずっと、パパが大好きだった。

 パパはオレの心の支えだった。オレはパパに向かって飛びつく。


「おおっと、ははは、すず、お前は本当に甘えん坊だな」

 そのままパパの体に抱きついて、しばらく顔を擦り付ける。こうしているだけで落ち着いた。


「すず、お父さんは好き?」

「好き~!だって、みんなの事治してあげるから、すっごくかっこいいもん!」

「はっはっは、それは嬉しいな」

 そこへいずにぃもやってくる。


「ただいま……って、お?すず、相変わらずだな」

「あ、お帰りいずにぃ!」

 いずにぃはオレに向かって両手を広げるが、オレはパパから離れない。


「おいおい、俺に対しては冷たいなお前」

「だって、パパといると落ち着くんだもん!でももちろん、いずにぃも大好きだよ!ママだって!」

「お、それは嬉しいなァ。だから俺に体預けてもいいんだぞ?」

「それはいい」

「なっ、手ごわいなお前……」

 家族4人で笑い合う。

 そう、パパが生きていたころは……こんな風に毎日が楽しかったんだ。




 ……時は流れ、オレが中学3年生になったころ。

 いずにぃが診療所を継いで、オレはその背中を見つめることしかできなかった。親父は次第に診療する回数が減ってきて……やがてほぼゼロになる。


 ……そんな、ある日……


「でも、なんでウチなんだよ親父。大学病院に行きゃいいだろうが。そもそも医者なんだから、ここの診療所にこだわらなくても」

「ここじゃないとダメなんだよワシはな。ここには、特別な思いがあるから」

 パパといずにぃが話し合っている。オレはそれを静かに聞いておく。


「……」

 黙って画像を見せる。するとCT画像には、巨大な腫瘍が見えていた。


「……親父。言おう」

 その次の言葉に、オレは前後不覚に陥った。オレの時が止まった。パパも、じっといずにぃの方を見て動かない。


「残念だが……もはや手の施しようがない。今から治療を始めても、おそらく延命するだけで、根本的な寛解は望めない」

「……そうか……」

「……ごめん、親父。あの時俺が、もっとしっかり見てたら……こんな末期にはならなかったかも知れないんだ……」

 1年ほど前に、いずにぃはパパを診ていた。その時は何もなかった……はずだった。

 だが、今この状況で、親父は死を待つだけだと言う。……意味が分からなかった。


「お前のせいなんかじゃないぞ、出。これはワシのわがままが招いた結果じゃ。そう自分を責めるな」

「親父のわがままなんかじゃない。俺が見つけられなかったんだ。親父の事ずっと見て、親父を目的にして、親父を継いでるのに、肝心の親父を救うことが出来ないなんて……俺は医師失格だ」

「……」




 それから1カ月もしないうちに、パパは歩くことも出来なくなった。オレはそのパパの体を見ることもままならなくなる。

 大好きだったパパが、希望だったパパが、こんな姿になり果てて、そして……命の灯火を落とそうとしている。


「……すずか」

 パパはオレの事を、気配だけで感じ取る。


「……パパ……」

「ははは、おいで。すず」

 パパはベッドに寝転がるだけで、声を上げなければもはや生きているかもわからないほどだった。


「学校は……楽しいか?」

 笑顔でそう聞くパパ。しかしオレはすぐにその言葉に答えを出すことが出来ない。

 ミスコンの事もあり、学校は全く楽しくなかった。次第にオレは1人になっていて、何も楽しみなんてない。それに今、目の前で動けないパパだってそうだ。

 負の感情が負の感情を呼び、黒く大きな渦となっていく。やがてオレの体は、その渦に飲み込まれて沈み始めていく。


「……」

 でも、オレはここで負の感情をぶつけるわけにはいかない。パパの方が、よほど苦しんでいるに決まっている……そんな気がしたから。


「そ、そうだ。動画投稿サイトのItubeで、動画投稿を始めたんだ。学校であった楽しかったこととか、ゲームを遊んでその様子を動画で撮ったりとか」

「そうか。それで最近、よく夜にすずの声が聞こえるんだな」

「……え?」

 『よく声が聞こえる』……そう聞いた瞬間。オレの顔は赤くなった。


「ご、ごめん、パパ!うるさいよな?うるさいよな!?」

「はは、いいよ。お前が楽しいなら、それで。出にも真美にも……そしてすずにも迷惑をかけてばかりだからね」

「……」

 バツが悪そうな顔をする。オレが楽しくても……パパは……それでいいんだろうか。


「それはもしかして、本名でやっているのかい?」

「本名なわけがないよ。{ホワイトナイト}って名前でやってるんだ。ホワイトは白枝の白からで、ナイトは……騎士って意味」

 自分でも何故ホワイト『ナイト』にしたのかよくわからない。

 でも……きっとこう思う。オレは……


 オレは、強く気を持ちたかったんだ。


「すず。ところで……進路は決めたかい?」

 パパの『ところで』で意識を戻す。


「……」

 本当はまだ決めていなかった。だが、パパを前に、なんと言えばわからず……オレは口から出まかせで、こう言ってしまった。


「……医者に、なりたい」

 3割は適当に。だが……7割は本心で言った。


「……って、笑うよな。頭悪いのにさ」

「……そうか……でも、ワシは嬉しいよ。すず」

 パパがオレの手を握る。すっかり生気はなくなり、小さくなったように感じる手のひらから、少しだけぬくもりを感じ取れる。


「お前がそうやって……ワシの事を思ってくれることが、ね」

「……」

 そしてパパは、オレに語り掛けてくれた。


「……諦めるのは簡単だ。でも、あきらめないでやった方がきっと……お前のためになるぞ。すず」

「え……?」

「ワシだってまだまだ諦めたくないよ。だから、まだまだ生きていきたいと思っているし、だからこそ、こうやって今も生きていられるから」

 その言葉は、オレの体を貫いて、深く深く奥に入っていった。

 そして今も、深い傷となって、オレの心の中に残っている。




 それから1週間もたたないうちに、パパはこの世を去った。……あまりにも、あまりにも早い別れだった。

 葬式で、オレも、いずにぃも、ママも、パパを知っている人みんなが泣いた。涙が枯れるまで泣いた。人と言うのは、これほど涙が出るものなのか。そう思えるくらい泣いた。


「……結局……この写真通りにはいかないのか……」

 いずにぃが声を上げる。パパがなくなる2日前、家族で最後に撮った写真だ。

 本当はパパは動くこともままならないはずだった。だけど、この写真を撮ろう。そう言ったのはパパだった。


「どうせ自分が助からないなら、最後に形ある思い出でも残してほしいんだ」

 と、言うパパの希望だった。

 形ある思い出……その言葉が、オレには重荷になった。……オレが逃げている間にパパは……こんなにも戦っていたんだ。




 診療所に帰る道の途中。


「……決めた」

「うん?」

 オレはおもむろに話し出す。


「オレは……パパと、いずにぃのために医者になる」

 あの時、パパに言った口から出まかせを、そのまま自分の夢に昇華させる。オレにはそれが出来る気がしていた。

 根拠も保障もない。だけど……


 ――諦めるのは簡単だ。

 ――でも、あきらめないでやった方がきっと……お前のためになるぞ。すず。


 パパのこの言葉だけで、オレには十分だった。


「すず……」

「……」

 目を赤くしていたいずにぃが、こっちを見た。


「本当に……なる気があるのか?すず」

「もちろんだ。もうオレは……オレのように悲しむ人を作りたくない。もちろん、いずにぃだって、パパだってそうだ。生きることを諦めない人に、オレは寄り添って、そして……助けたい!」

 握りこぶしを作る。するといずにぃは、オレを見てハハハと笑った。


「医者になるのは大変だぞ?」

「分かってる。でもパパと約束したから!」

「……」

 いずにぃはもう一度笑みを作った。


「じゃあ、まずは……賢くならないとな」

「うっ……」

 正直言って頭には自信がなかった。でも、オレはこんなところで立ち止まれないんだ。


 だから、勉強した。ひたすら、勉強した。とにかく、勉強した。


「おいおい、白枝、あいつ最近どうしたんだ?」

「さぁ、急に勉強なんか始め出して、なんだか気持ち悪いんですけど」

「親父さんが死んで、少し気でも触れたんじゃねぇか?」


 ……だから、勉強した。ひたすら、勉強した。


「おはよう、みんな」

「……」「……」

 そそくさと、オレから離れていくクラスメイト達。……話す時間も、きっかけも失っていった。


 …………だから、勉強した。




 そして3月……


「……!?あ、あった!」

 オレは昇陽学園に入学を果たした。小躍りするように喜ぶオレに対し……


「……」「……」

 周りにいた男2人が、オレをにらみつける。


「え、な、どうしたんだよ。斎藤も高橋も……」

「なんで死に物狂いで勉強しまくった僕が落ちて、お前が受かるんだよ」

「ぽっと出のお前が受かっといて、調子に乗ってるんじゃねぇぞ」

 なぜか因縁を付けられる。……そのやり取りを見た周りの人々も……


「何あれ……?」「こんな場所で喧嘩?やめてよ」

 オレから離れていく。


「……」

 ……なんで。なんでオレはこんなに頑張ってるのに……お祝いしてくれるのは家族だけなんだよ。

 なんでオレは……他人から認められないんだよ。なんで……


 誰もオレに構わないし、誰もオレを見ようともしない。そんな現実に慣れ始めていた時、


「あ、キミ、おんなじクラス?」


 『そいつ』は、オレの前に現れた。

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