第53話 相手見てからの喧嘩声

「……へぇー。あの黒嶺がね」

 その男は、豪勢な家のベランダに出て、何者かに電話をかけていた。


「ボクに恥をかかせようとしたあの黒嶺が、突然やめたと思ったら、まだ教師を続けていたのか?生意気な。……何?灰島 奏多?あいつまでそいつのそばに?」

 紫色のサラサラとした髪……


「仕方ない。ボクたち紫原家が重い腰を上げるしかないか。ボクとパパの輝かしい栄光に泥を塗ろうとした奴らに……」


「バッチリ制裁を与えてやらないとね。ははははははは!」


───────────────────────


「……」

 その日の夕食、空は何だか食欲がないようだった。


「どうした?」

「……あのね、お兄ちゃん。南條先生、どうしたか知らない?」

 南條先生が……?


「南條先生が、どうしたんだ?」

「ここのところずっと{お休み}になってるの。今日同じクラスの友達とお見舞いに行ったんだけど、家にいないみたいだったし……」

「……」


 ――南條……いや、黒嶺先生……もしかして……

 ――急いでる。ごめんね。


「お兄ちゃん?」

「あ、いや、何もない。……ちょっと心配だなって」

「うん……」




 翌日の放課後……

 冬の雨の日は、とにかく寒い。雪なら多少ロマンチックなこともあるだろうが……


「あぁ、黒嶺。今日は……」

「……」

 黒嶺は相変わらず、思いつめたような顔で俺の前から立ち去ろうとする。


「おい、待てって。いい加減俺の事無視しすぎなんじゃないか?お前の姉のことで……」

「……」

 けんもほろろに、俺の伸ばした手を払うように彼女は立ち去っていった。


「……」

 その様子を見ていたのが……青柳。


「……あのさ、灰島君」

「え?」


───────────────────────


「……」

 雨が降る中を、バイクを駆るアタシ。スリップするといけないので、速度は可能な限りゆっくりと。


「……何やってるのかな……アタシ」

 赤信号になったので、待ちながらあの時の事を追憶する。




 ――灰島君と……田中先生!?


 ――嘘なんかじゃないです!とんでもない奴でしょうこいつは!こいつは!


 本当は田中の発言なんて、まったく信じていなかった。顔を見ていれば分かる。灰島君は、そんなことをする人じゃない。

 でも、その言葉が出ない。そうしているうちに灰島君は見えなくなった。

 どうしてその時に声が出なかったんだろう。どうして、灰島君を守るという行動に出れなかったんだろう。


「……」

 灰島君は、それでもアタシに『南條先生』として接してくれた。『黒嶺先生』としての記憶を消した上で……

 おっと、青信号に変わった。アタシはアクセルを踏む。


 キキーーー!!


「!?」


 ガシャアアアァァァン!!


───────────────────────


「……」

 行き交う人も少なくなった図書室で、俺は青柳の話を聞いていた。

 南條先生が青柳に、俺の話をしていたこと。俺が高校1年生の時に、いじめを受けていたこと。

 ……その事で南條先生が、かなりの後悔をしているということ。そして……


 黄瀬とも会ったということ。黄瀬が俺を好きだった。ということ。その中を裂いた南條先生のことを、黄瀬が恨んでいるということ。


「……」

 正直、吐きそうになった。嫌悪感とか、そう言うものじゃない。あまりにも残酷な出来事に。


「黒嶺さんは……南條さんが、私に話したってことは」

「多分知らないと思う。あいつの事だ。嘘はつかないだろうしな」

「……ねぇ。灰島君」

 青柳はこちらを見上げてこう言った。


「やっぱり黄瀬さんのことは、未だに好き……?」

「……」

 スマホを見る。そのスマホの電話帳に、もう黄瀬の電話番号は入っていない。……それが、俺の答えなのだろう。


「好きか嫌いかで言ったら……」

 その時だった。


「青柳先輩!灰島先輩!!」

 息を切らせながら、緑川が図書室に入ってきた。


「ど、どうした?」

「図書室では静かに。だよ。緑川さん」

「い、いや、いや……そんな場合じゃないんです!」

 なおも大声を上げる緑川。


「学校の近くのコンビニ前の交差点で……この間会った南條さんが、事故に遭ったって!!」

「「!!?」」




 大急ぎで搬送先の病院に駆け込む俺たち3人。そこに……


「灰島!」「かな……がり勉君!」

 白枝と赤城もいた。


「白枝!赤城!なんでお前らまで……!」

「目の前で見てたんだよ。この事故が起こるのを」

「で、すずっちが少し応急処置したの!今れいれいが付き添ってるんだけど……」


 治療室を窓越しに見る俺たち。南條先生の横には黒嶺が立っている。南條先生は穏やかに眠っている……と言うより、気絶しているに近い。


「お医者さんの話じゃ、多分足をやられてる。全治2か月くらいだろうな。命に別状はないみたいで、ひとまずはよかったと言っていいだろう」

「そうか……」

 背を向けており、南條先生を見つめる黒嶺の視線は、こちらからうかがい知ることが出来ない。


「……」

 だが、これだけはわかる。

 あいつは本当に……姉である南條先生を大切にしている。と。


「……お前たちは先帰ってろ」

「いいんですか?灰島先輩」

「……多分あいつは今日帰り1人だ。こんな時期だし、女の子1人より俺も一緒に帰った方が安心だろ?」

 そう言うと、4人ともこくりとうなずく。


「本当はオレがいたほうがいいだろうけど……悪いな。灰島」

「気にするな。とりあえずまた明日、もう一度集まろう」


───────────────────────


「……」

 灰島君と別れ、病院を出ようと1階の受付に差し掛かった時だった。


「……?」

 なぜか病院の玄関の自動ドアの先に、マスコミがいた。アナウンサーが何かを伝えている……?

 病院の中にはすでに受付にいる人もまばらだ。とても静かになっている。


「どきたまえ」

 後ろから男の人に声をかけられたと思うと、その人に押され私は少し前に蹴つまずく。


「……おい、いきなり後ろから来てそれはないだろ」

 と、白枝さん。


「黙れ。ボクはキミたちのようにここでボーっと立っているだけのでくの棒と違って忙しいんだよ。ただでさえボクの兄さんがケガしているんだ。キミたちのようにバカみたく落ち着いていられると思うのかい?」

 その人は紫色の髪をしていた。そして……私たちをこれ以上ないほどのバカにした目線を送る。

 ……ケガ?兄が?


「……さっきの、交通事故の……でも、ぶつかった私の……」

 ……なんて言おう?うん。あれがいいかな。


「友達も、かなりのケガを負って」

「そんなことはどうでもいい。キミたちのくだらない友達より、この町の未来を背負っているボクの兄さんの方が大事だ」

 その言葉に、私はふっと怒りを沸かせる。そしてそれより先に……


「さすがに、言い過ぎじゃないですか!」

 緑川さんが言う。


「あー痛いなぁ。今この小さな子にぶつかった拍子にケガしちゃったかもなぁー。ボクのパパは教育委員会の委員なんだよなぁー。このことをパパが知ったら、キミたちもただじゃ済まないかも知れないなぁー」

「な、脅してるつもり!?」

 と、赤城さんが言うと、男の人は血相を変えて……


「命が惜しくないのか貴様らは!このボクが{許してやろうとしている}んだぞ!?」

 ものすごい剣幕で怒鳴りつけてきた。


「貴様らを消すことなど、ボクのパパの力を使えば造作もない事なのだよ!わかったならさっさと道を開けろカスどもが!」

「てめぇいい加減に……!」

 殴りかかろうとする白枝さんを、緑川さんと赤城さんが二人がかりで制止する。


「な!?離せよお前ら!」

「外見てください白枝先輩!ここでこの人を殴りでもしたら、それこそ動かない証拠になっちゃいますよ!?」

 外を見ると、確かにマスコミが集まっている。今この人を殴りでもしたら、この人がマスコミに訴え出れば……


「おや?殴らないのか?ふん。意気地なしが」

 男の人は、肩で風を切るように去っていく。


「キミたちは裏から帰りたまえ。{選ばれた一流}であるボクに遠く及ばない{三流}のキミたちにはそれがお似合いだよ」

 そう、最後に言い残して。


「……クソッ!」

 受付のソファーを殴りつける白枝さん。


「……」

 私も、はらわたが煮えくり返る思いをしていた。

 今の人は……私たちをなめているんだ。だからこそあそこまで恫喝できるし、あそこまで上から目線で言えるんだ。

 何より私には……南條さんを『くだらない』と断罪されたことが本当に腹が立つ……


 ――あいつはわたしから奏多君を奪った!

 ――わたしの青春も奪った!あいつが紫原の口車に乗せられた先生の言う事さえ聞かなかったら!


「……!?」

 私はハッとした。黄瀬さんから聞いた名前、紫原……


 私は今の男の人に、会った記憶がある……

 それも……かなり最近に……


───────────────────────


 午後9時。


「……」

 すでに照明が落とされた病院の中を、歩いて帰る黒嶺。


「お前1人で帰るつもりか?」

「!?」

 俺が声をかけると、黒嶺は駆け出した。


「……わかってる。お前、俺の事を俺が転校する前から知ってたんだろ」

「……」

 すぐに走りを緩め、立ち止まる。その背中からでも、黒嶺の動揺が感じ取れるようだった。

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