第12話 受け継がれるもの
目が覚めるとそこはいつもの部屋の中だった。何気なく胸元に手をやっても、そこには何もない。
障子を開けると、夜は更けて屋敷は静まり返り、先程までの騒動がまるで嘘のような静寂に包まれていた。月は辺りを柔らかく照らし、虫の音だけが響いている。
あれは、夢だったのだろうか。まるで悪夢だ。
アユムはしばらく呆けたように外を見ていた。
……どれほど外を見つめていただろう。「ことり」と外で何かが動く音がした。
恐る恐る障子を抜けて廊下を見つめると、そこにいたのはサリナだった。
「こんなところで何しているの?」
アユムが訊ねても、サリナはしばらく何も応えないまま同じように外を見ていた。何となく隣に座りこむアユム。二人はしばらく何を話すでもなく、何を見つめるでもなく外を見ていた。
「……もう体は大丈夫なの?」
サリナが呟くように言った。アユムは目を瞑り逡巡する。やっぱりあれは夢でなかったのだ。
「うん。もう大丈夫」
「ごめんなさい、私の家の仕事に、あなたまで巻き込んだ」
庭にはアヤメの紫の花が、闇夜に浮かぶように綺麗に咲いている。なんと答えたらいいかわからないアユムは、ただ前を見つめていた。
「私、悔しいの」
その声は微かに震えている。ちらりと横目で見れば、その頬には静かに涙が伝っていた。
「あなたまであんなことしなくてもよかったのに。
私、悔しい。きっと婆様は、私の力が足りないと思ったのよ。だからあなたを巻き込んだ。私にもっと力があればよかったのに」
言葉が堰を切ったように流れ出すとともに、サリナはわっと泣き出した。それを見てどうしたらいいかわからず、おろおろと狼狽えるアユム。
「ルジアは何故あんなことをさせたんだろう。
僕なんかがやるより、サリナだけでやっていた方が問題もなく、きっとうまくいったはずなのにね」
どうしたら泣き止んでくれるのだろう。
サリナに泣いて欲しくなくて。慰めようと、わざとおどけたようにアユムは言った。するとサリナはぐずつく鼻をすすりながら応えた。
「ごめんなさい、そんなこと言わせるつもりじゃなかったの。
……お婆様は言っていたわ。これは稀人に必要な仕事、稀人だからできる仕事なのだと。詳しくは教えてくれなかったけれど、何となくわかる気がする。
知らないことは怖いことだから
あなたのこと、村の人に知ってもらいたかったのよ」
きょとんとした顔をしたアユムを見て、サリナはくすりと笑い涙を拭うと続けた。
「田植えは一年の中でもとっても大切な仕事なの。だって田植えがうまくいかなければ私たちは生きていけないんだから。
だから皆一緒に頑張るの。
でも一緒にと言っても、同じことをするわけじゃないわ。力が強い人、忍耐強い人、料理がうまい人。いろんな人がいる」
目を閉じ、村人のことを思い描きながら、サリナは自慢げに語っていた。
「皆それぞれが得意な仕事を生かして一番うまくいくように頑張っている。
でもその人がどんな人なのかは実際に会ってみなければわからない。違う世界から来た稀人なんてとくにそう」
「稀人」どこまでも重く圧し掛かる言葉に気持ちが落ち込んだ。そんなアユムの様子を見て、サリナは慌てて取り繕うに言った。
「もちろん私たちはアユムのことを知っている。いい子だってわかってるわ。
だから実際に同じ仕事をすることで、皆にもアユムのことを知ってもらいたかったのよ」
「でもそれだけじゃないわ」。サリナはそこで、悲しそうに目を伏せしばらく黙っていた。かと思えば、きゅっと下唇を噛みしめると覚悟を決めたように言った。
「……ねぇアユム。あなたはあのとき、何を想像していたの?
何を想い描きながら、あの唄を唄っていたのかしら?」
その目は射かけるようにまっすぐアユムの目を捉えている。
「え、何も。特別なことは何もないよ」
そんなこと言われても。戸惑い、会話を終わらせようとするアユムだったが、サリナの強い目は、それを許そうとはしない。仕方なくアユムはため息をつくと、つらつらと語りだした。目を瞑り、あのときのことを思い出しながら。
「……毎年秋になると、ウチは稲刈りを手伝いにお祖母ちゃん家に手伝いに行くんだ。お祖母ちゃん家は田舎にあって、だから車で何時間もかかるんだよ。
山を下りながら、お祖母ちゃんが済む村を見下ろすと、一面田んぼで。
……黄色い穂が田んぼいっぱいに広がって、まるで絨毯みたいでキレイなんだ。風が吹くと波が立つように揺れていて。
そう、あのとき僕はお祖母ちゃん家の田んぼを思い出しながら唄っていたんだと思う」
「……そう」という声に目を開けると、サリナは何かを考えるようにして庭を見つめていた。そしてサリナはこう言うのだった。
「だからあなたは唄う必要があったのね」
サリナは悲しそうに続けた。
「あなたの世界では、それが当たり前のことなのね。
私は……私たちはそんな田んぼは知らない。一面に黄色く穂をつける。そんな美しい田を私は見たことがないのよ。
どんなに実りの多い年だって、収穫期を迎えた田には緑が混じる。倒れたり、病気や虫にやられて穴が開いている田もあるわ。
でもそれが、私たちの常識なの」
驚き、目を見張り言葉を失うアユム。それを見てサリナは悲しそうにふっと笑った。かと思えば突然立ち上がり、あえて明るい声で言うのだ。
「でもこれで、今年の実りはきっと素晴らしいものになるわね!
これはアユムにしかできないことよ。だからお婆様はアユムに唄わせたのだわ。
アユム、ありがとう。あなたはこの村に現れた祝福よ」
「秋になればきっと皆驚くわ」サリナはそう言って笑っていた。
翌日からもしばらくの間、田植えは続いた。また唄うことになるのかと身構えていたのだが、アユムが唄ったのはあれ一度きりだった。
代わりに、アユムはあちこちの田んぼの田植えを手伝わされた。
田んぼは村の至る所にあった。村の中央にある大きな田だけでなく、それは家の裏にある猫の額ほどの小さなものや、山をはるばる登ったところで石を組み上げつくられた棚田もあった。
なんでわざわざこんなところに。荒い息をつきながら登るアユムだったが、棚田の端に立ち見る景色は、祖母の村を思わせる絶景には思わず息を忘れた。それを田んぼの主は誇らしげに笑うのだった。
「この田はうちの爺ちゃんの爺ちゃんのそのまた爺ちゃんの代から、すこっしずつ開拓してきたもんなんだ。こんなとこで米さつくるなんて大変なのはもちろんだ。そんなことはわかってる。
だけど、だからといって俺の代で終わらせるわけにはいかないんだぁ」
その一方で、サリナはあちこちを忙しく動き回り実りを願う歌を歌い続けた。鈴の音とともに、あの唄が聞こえるたびにアユムはサリナが唄う姿を思い描いた。
サリナの凛とした声は、遠くにいても聞こえてくる。周りを見れば、村人の誰もがその声に耳を澄ましている。
レイまでも、目を瞑りながらわずかに笑みを浮かべ、噛みしめるように聞き入っているようだった。
「なんでサリナちゃんばかり」
だがそこで、思わぬ声にアユムは驚き振り向いた。
そこにいたのはリンだった。いつものおどおどした様子はない。遠くにいるサリナをきっと睨んでいるようだった。
アユムと視線が合うと、さっきまでの様子が嘘のように、リンはぱっといつもの表情に戻り作業を続けていた。
気のせいだったのかな。
アユムは自分が見たことがにわかには信じられず、首を傾げながらも作業に戻りいつの間にか忘れてしまうのだった。
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