第11話 祈り

 午後の田植えではアユムも段々と作業に慣れてきたため、周りを見る余裕も生まれるようになった。するとそれを見たマリが、「どれ、アユムもやってみるかい」と、手植えをやらせてくれたのだった。


 慎重に田んぼの中を進む。大丈夫、もう転ぶことはない。気のせいか苗を育てていた田んぼよりも歩きやすいように感じた。

 苗は大きさに応じて3~5本を目印に沿って植えていく。初めは浅すぎて倒れてしまったり、逆に深すぎると注意されることもあった。

 植え終わったら苗を倒さないように次へ進むのだが、足は泥にとられて進みにくいし、ずっと同じ態勢でいるからかすぐに腰が痛くなってしまった。思わず立ち上がって腰を伸ばす。その際周りを見渡せば、ほかの母ちゃんたちは腰を曲げた状態で楽しそうに唄いながら、すいすいと進んでいくのが見えた。まるで初めから腰が曲がって生まれてきたみたいだ。

「ほれもうちょっと頑張りなさい」マリに励まされやっと1往復終えたときには、もうやりたくないとアユムは座り込んで笑われるのだった。

 

 とそのとき、涼やかな鈴の音が聞こえた。


「おや、来なさったね」


 周囲の視線が遠く、ある一方に向けられていることにアユムは気がついた。その先には白い装束を羽織った者と、それにつき従うようにして後ろを歩く者がいる。

 ……ゆっくりとこちらへと歩み寄ってくる。よく目を凝らし見れば、つき従い歩く老婆は、ルジアであるようだった。そして白い装束を羽織った少女、それはサリナだった。装束の袖に着けられた鈴が歩くたびに「りん」と鳴く。


 視線を一身に受けながら、サリナは田の水口に立つ。


「これより、巫女による祈りを捧げよう」

 ルジアの宣言に皆の視線はサリナに注がれ、辺りは静寂に包まれた。


 いまかいまかと皆が待つ。ところがサリナは中々動こうとしなかった。どうしたのかと周りが訝しがる。


「アユム、こちらにおいで」


 そんな中、なんとルジアがアユムを見て呼びかけてきた。途端ざわめきが起こり、周りの視線はアユムに注がれた。

 不穏な空気が辺りを満ちる。あまりの気まずさにアユムはさっと顔を伏せ、ちらりとルジアを伺い見た。何かの間違いじゃないかなとむしろ祈る気持ちでいたのに、ルジアはちっとも目線を逸らしてくれようとはしない。レイにも小突かれ、アユムはすごすごとルジアの元へと進むしかなかった。まるで先生に叱られて後ろに立たされるような気分、いやもっと悪い。

 

「アユム、お主もサリナと共に唄うのじゃ」

 

 それを聞いて周囲のざわめきがさらに増した。しかしそんなことはお構いなしにルジアはそう言って、アユムに直径2㎝ほどの青い石のぶら下がったペンダントを首にかけた。


 その途端、空気が一気に膨れ上がるように、ざわめきが最高潮に達した。中には怒鳴り声をあげる者さえいた。


「長老、何故それを稀人になんて渡すんだ。この儀式は村にとっても大切なもの。それを台無しにするつもりか!」


 もう嫌だ、帰りたい。そのあまりの剣幕に怯えるアユムの肩に手を置き、ルジアはにこりと笑ったかと思えば、アユムをくるりと村人に向けさせた。


「鎮まるがいい」

 

 背中越しに、それまで聞いたことがないほど鋭い声が響き渡った。


「これはカズイシ村の長老であるルジア=フェリルの決定である。逆らうことはオオカミ様に弓引くことと心得よ。

 たとえどのようなことになろうとも、我が名において責任は儂がとることを誓おう」


 さっきまでの勢いが嘘のように、村人たちは静まりかえり、一様に顔を伏せている。それを見てルジアは満足そうにうなずいた。


「さぁアユム、唄うがよい」


 こんな中で唄えるはずがない。だが先程の鋭い声に怯えたアユムは後ろを振り向くことができず、助けを求めるようにサリナの方を見た。


 そこにはこれまでの喧騒など何もなかったように、静かに目を瞑り前を向いている少女がいた。よく見れば理不尽を噛みしめるように、下唇をきつく噛んでいるのがわかる。何故サリナはこんな表情をしているのか。わからないままアユムは圧倒され目を離せなかった。村人よりも、サリナの方が怖かった。


「アユム、お主は何も気にしないでよいのだよ」


 耳元でルジアの声がした。甘いような不思議な香りが鼻孔をくすぐる。老婆の細い手が、肩にきつく食い込んできた。


「魔法の基礎は覚えているかねぇ。魔法は人の想いを実現する力。

 お主はただ先程の唄を唄えばいい。ただし、黄昏に実る穂を、その心に強く思い描くのじゃ」


 何のことやらわからず戸惑うアユム。だがそのことを気遣う様子も見せず、サリナがあの唄を唄いだす。 


『苗を植えましょこの村に~』


 だが先程までの陽気な感じとは打って変わり、凛とした声は厳かに響き渡る。誰もが声を発することもできず、その様子をじっと見つめていた。


「さぁ、唄うのじゃ」


 耳元でルジアが迫ってくる。甘い香りで頭がくらくらする。その場の空気に飲まれ、混乱した頭は冷静な思考を許してくれなかった。

 聞き覚えのある声がすぐ近くで聞こえたと思えば、アユムの口から、あの唄が流れ出していたのだった。


『まっすぐまっすぐ健やかに、黄昏に輝くその姿、勇ましき姿を見せとくれ』


 目に浮かぶのは、いつか見た田んぼの風景。実りを迎え、頭を垂れる稲穂が水田いっぱいに広がり、風を受けると波のようにそよいでいる風景だった。

 

『オオカミ様よ見てとくれ~』


 体内にある魔力が消えていく。だがその一方で、何かが体の中に入ってくるのもわかった。

 温かい。

 ゆっくりと目を開けると、淡く、そして青い光が胸元の石から放たれていた。


 アユムはそこで意識を失った。

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