第3話 魔法とは

 あれから歩向はあの人に背負われ、促されるまま屋敷へと戻った。足は痛み、お腹も減ったのでもう抵抗する気にもならず落ちるように眠ってしまったのだ。

 畳の冷たい感触。起きたときにはまた昨日と同じ部屋にいた。


「アユム、ちょっといいかい?」


 そこに昨日と同じく、襖の向こうからルジアの声がした。警戒して身を強張らせる歩向。間もなく襖が引かれると、そこにはルジアともじもじとしてこちらを見ようとしないサリアがいた。


「……悪かったわね」


 いつまでも話し出さないサリアをルジアがじろりと睨みつけると、サリアは渋々とそう言った。それを見てどうしようもないとばかりにため息をつくルジア。


「昨日はこの子がひどいことを言ったようですまなかったね。この子もこれで反省しているんだ。許してやっておくれ」


 よく見ればサリナの目は赤く腫れていた。泣いていたのかもしれない。歩向はこくりと頷いた。


「だけど教えて。『まれびと』って何なの? もう僕はうちに帰れないの? もうお母さんたちに会えないの?」


 それを見てルジアは気の毒そうに歩向を見つめると、言い聞かせるようにして言った。


「いいかいアユム。昨日もこの子が言ったかもしれないが、『稀人』とは、この世界とは違うところから来た来訪者のことじゃ。この世界では稀にそういった人たちが現れる。

 だけど彼らがどうやって世界を渡ってきたのか、どうすれば元の世界に帰ることができるのか、誰も知らないのじゃ」


「……違うよ」


 歩向は俯いたまま、拗ねたように言った。


「僕はその『まれびと』なんかじゃない。だって僕は悪いことだってなんにもしてないし、昨日まで何も変わらなかったのに、気づいたらここにいて……。

 そうだ、おばあちゃんたちが僕をここに連れてきたんじゃないの。帰してよ。ねぇお願いだからお母さんたちのとこに帰して!」


 話し出すにつれ、目からは涙がぽろぽろとこぼれだす。何でこんな目に遭わなければいけないのかがわからず、やり場のない怒りに自分でも何が何だかわからなかった。


「アユム、こっちをご覧」


 歩向の涙が少し落ち着いた頃、ルジアは優しい声で呼びかけた。歩向が涙を拭いながらぐしゃぐしゃになった顔で見ると、ルジアが手をこちらに差し出していた。


『導きの灯。揺蕩い、我らを照らすもの』


 すると指先にぽつんと、小さな火の玉が浮かび上がった。ゆらゆらと揺れながら、辺りを照らす。呆気にとられた歩向は涙を流すことも忘れ、ただじっとその火を見つめていた。


「これ何?」


 おずおずと手を差し出す。「アチっ」それは確かに熱を持った火だった。ルジアが手を握るとすっと火は消え去った。歩向が感嘆の目でルジアの顔を見ると、彼女は悲しそうな目でこちらを見つめていた。

 

「そしてこれが坊やが稀人である最大の証明なのじゃ。アユム、お主は魔法のことを知らないのじゃろ?」


 魔法。もちろん歩向も聞いたことがある。だがそれは本やアニメの世界の中の話だ。現実には存在しないもの。そんなこと子どもである僕だって知っている。

 冗談を言っているんでしょう。歩向はまじまじと目の前の老婆を見つめた。


「『魔法』とは、誰もが使えるもの。当たり前のように存在し、個人差はあれど物心ついたころから誰でも使えるものなのじゃ。

 その魔法を知らない。そのことが坊やが稀人たる証しなのじゃよ」


 火傷でヒリヒリと痛む指先が、先程の何もないところに生れたものが本物の火であったことを物語っていた。不思議そうに見つめるその指先を、ルジアの手が包み込んだ。年寄り特有の、冷たく、皺だらけの感触に、びくりと体を震わす。


「坊や、この世界に来たのなら、魔法はお主にも使えるはずじゃ。

 ……さぁ、目をつぶって、光を思い浮かべてごらん」


 歩向はルジアに圧倒されるように言われるがまま目を瞑った。思い浮かべたのは、家の居間にある電球の光。


「光を強く思い浮かべ、その光を言葉で説明してご覧。どんな光で、どうやって点けるんだろうね」


「そんなの簡単だよ。暗くなったら、スイッチを押すだけじゃん。電気を点けるなんて、誰でもできるよ」


「そう、いい子だ。では、頭の中で『すいっち』を押してごらん」


 歩向が頭の中でスイッチを押した瞬間、瞼の向こうでサリナがあっと声を上げたのがわかった。何だろうと目を開けてみれば、サリナが上を見上げている。つられるようにして見れば、見慣れたような明かりが何もない天井に煌々と輝いているのがわかった。驚く歩向。だがその光は次の瞬間にはぱちんと消えてしまった。

 驚きとともに前を見れば、ルジアが柔らかく微笑んでいた。


「そう、それが坊やの魔法だよ。話に聞いていたとおりだね。火でもないから熱くもない、だけどどこか温かい。それにあんなに明るい光を私は見たことないよ。すごい魔法じゃないか」


 そう言ってルジアはくしゃくしゃと頭を撫でる。歩向はさっきの光が自分のものとは思えず、思わず自分の手と、それからいまは何もない天井を見上げていた。


「魔法はね、人の想いを実現する力なんだ。

 必要なのはより具体的なイメージと、それを強く想起させる言葉。

 頭の中のものを実現するから、知らないことは魔法にもできないのさ」


 歩向は黙って立ち上がり上を向くと目を瞑り「スイッチ」と唱えた。すると天井には思った通りの光が点いている。嬉しくなってしまい消える度に何度も何度も「スイッチ」と唱え続けた。


 明滅する室内にはしゃぐ歩向。ところがすぐにくらりと歩向を眩暈が襲った。頭がくらくらして、吐き気と頭痛がする。歩向はへたへたと座り込んだ。


「これこれ、無理をするでないよ。魔法はそう簡単に使うものではないのさ。魔法を使うには体内にある魔力を使うからね。魔力が切れるとそうなるのさ。よく覚えておくといい」


 ルジアはそう言って意地悪そうに笑った。


「それに、呪文は簡単に使うものではないのさ」


 気分が悪くて話を聞いているどころではない歩向は、ゆっくりと意識を失っていった。

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