第221話 人の過ち、神の恨み

 桃の木から、さらに体感一時間ほど、俺たちは黙々と歩いた。


 景色は相変わらずの殺風景だが、陰鬱な気配は更に濃くなる。


 俺の脳内で、パワハラ上司の怒声や満員電車の湿気とおっさんのポマードの匂いが何度も何度も反芻される。


 思わず叫び出キチゲ解放しそうになった時、唐突にそれは現れた。


 数多の躯の山の上に、苦しげに横たわる憂いを帯びた表情の女性――彼女こそが、イザナミに違いない。


 その皮膚には無数の蛆虫がたかり、辛うじて無事な部分も蛇の鱗のように変質しており、イザナギが一目見るなり即逃げしたグロさを呈している。


 身体の各部位にまとうのは、計八柱の雷神。


 すなわち、頭には大雷おおいかづち、胸には火雷ほのいかづち、腹には黒雷くろいかづち、陰部には拆雷さくいかづち、左手には若雷わかいかづち、右手には土雷つちいかづち、左足には鳴雷なるいかづち、右足には伏雷ふしいかづち。この一つ一つが神様であり、まとめて八雷神やくさのいかづちのかみと言うらしい。


 まあ、とにかく、イザナミ様は、闇+雷属性ってことね。


 その周りを固めるヨモシーの軍勢、総勢約1500匹。


 臨戦態勢はばっちりだ。


「俺、成瀬祐樹は伏して申し上げます。イザナミ様にどうしてもお願いしたい議があり、こうしてまかり越しました。どうか俺の話を聞いては頂けませんでしょうか」


 俺は二礼二拍手一礼をしてから言う。


 戦闘は不可避でも、一応、礼儀はつくさないとね。


「全て見ていました。イザナギの下にも押しかけたようですね。――あなたはもはや妹を愛してはいないのですか」


 イザナミが擦れた声で言う。それは枯れ葉が擦れ合うような、もしくは、蛇の威嚇音のような、寂しく恐ろしげな声だった。


 イザナギには最初はシカトされたけど、イザナミは最初から会話に応じてくれるらしい。


 まあ、冥府に生きたまま下ってくる人間なんて珍しすぎるしね。


「俺は楓を愛しています。しかし、それは家族としての親愛の情であって、夫婦としての性愛ではありません。それ故に、俺は御柱に南の国の神を捧げ、二柱を夫婦とすることで契約の代わりとしたく存じます」


 俺はイザナミを真っ直ぐ見つめて言った。


「人はいつも手前勝手な理屈を振りかざします……。人と神の境を破り、生と死の理を破りここまで来ておきながら、賢しらに兄妹の倫理を説きますか。全く男子おのこは――。いつも土壇場で逃げ出す……」


 恨みがましい口調で「男の人っていつもそうですね」と某ネットミーム的ななじりをしてくるイザナミ様。


 まあ、ちょうどゾンビ風な見た目だしね。


 イザナミの不機嫌に呼応するように、八雷神がゴロゴロと雷雲を起こす。


(ほらー、イザナギ様がチキったせいでトラウマになっちゃってるじゃん)


「逃げるのではなく、むしろ向かい合うために参りました。俺の母は人の子の技術によって、御柱を欺こうとしている。しかし、俺はそれではを無礼と考え、こうして直接お願いに上がったのです。それが浄明正直であると信じるが故」


 一応、浄明正直は神道で大切な心掛けらしい。


 まあ、大体どの宗教でも、素直であることは美徳だろう。


「それも人の子が勝手に定めた教え。我が国の民は容易く信仰を歪める。始めは仏、次はデウスキリスト。異国の神で日ノ本を汚し、そして、いまや、自らが神にならんと驕っている」


 イザナミが纏う黒雲がさらにその色を濃くする。


 あっ、なんか地雷踏んだ。


 ミーハーな国民性でごめんね?


 そういう難しい宗教論争はよくわかんないから、遠藤周作文豪にでも言ってくれる?


「はぁ、全くブスババアの話は長いわねぇ。ごたくはいいから、さっさとやりましょうよぉ。ずっとヒドラをぶん殴りたいと思ってたのぉ」


 アイちゃんがイザナミの言葉を遮り、一歩前に進み出た。


 確かにイザナミ様は、ヒドラの親戚といえば親戚みたいなもの――かな?


 ヒドラは確か9本首だが、こっちは8本――いや、イザナミ本人の首も加えればちょうど9本でいいのか。


 かつてスキュラにいた時に、アイちゃんが目指していたヒドラのクラス。


 その象徴じみた敵が神の姿をとって目の前にいる。


 そういう意味でも、アイちゃん的にはテンションが上がる敵なのだろう。


「また遠つ国の神ですか……。身勝手な人も、やまとこころのなき遠つ国の神も、私は好みません。そして、私は今や黄泉の国の司る者。そして、人を呪う者。故に全員殺します」


 ついにイザナミの全身が雷雲に覆われて見えなくなる。


 ヨモシーたちがざわざわと耳障りな声で鬨の声をあげた。


「腐れババアはアタシの獲物よぉ! 他の雑魚ババアは任せたわぁ」


「「「「はい!」」」」」


 兵士娘ちゃんが鶴翼のフォーメーションを組む。


「サファさんは、俺の部下と共闘し、ヨモシーを一人でも多く『お友達』にしてください」


「戦争ごっこね? これだけたくさんの子たちと遊ぶのは久し振りかもー」


 サファちゃんがスキップしながらヨモシーの大軍に向かっていく。


 敵は人数だけならこちらの数十倍。


 戦争は数だけど今回ばっかりは質勝負。


 300スリーハンドレッド並に勇壮で頼もしいアイちゃんと兵士娘ちゃんたちの背中。


 少数精鋭の意地を見せてやれユーアースパルタン


「か、楓は……。楓も……」


 楓ちゃんが小刀を手にプルプル震える。


「楓。無理はしなくていいんだよ。俺たちはイザナギ様とイザナミ様のおかげで生きていられる。恐れや申し訳なさを感じて当たり前だ」


 俺は楓ちゃんを後ろから抱きしめて言った。


 楓ちゃんはイザナミ様の祝福を受けているので、精神の一部も同調している。


 イザナミに立ち向かうのは半分自傷行為のようなもの。創造主には中々抗えない。


 加えて、楓ちゃんは戦力としても、正直、俺を除けば断トツで弱いので、参戦しても足手まといになるだけだ。


「マスター! 全力でお守りはしますが、雷で目と耳をやられるかもしれません。念のため、ゴーグルと耳栓を。こちらの世界では気休め程度ですが、ないよりはマシです!」


 兵士娘ちゃんが警告するように叫ぶ。


 なにそれ怖い。


「わかった。何もできなくて申し訳ないが、よろしく頼む」


 俺は頷く。


 今回はイザナギ戦のように呑気に観察している余裕はないらしい。


 まあ、敵さんの殺意が段違いだからなあ。


 急いで楓ちゃんに射撃用の耳栓とゴーグルをさせてから、自身も同様の装備をつける。


 俺の仕事は、アイちゃんと兵士娘ちゃんを育てた所で終わっている。


 後は、彼女たちを信じるしかない。

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