第188話 幕間 最弱の貴公子

『エゼキエルの書に改定あり。成瀬祐樹について調査せよ』




 スキュラにて与えられた自室。




 ミケは、一方的に送り付けられる『金の人々』のメッセージを拝聴する。




 金の人々からの命令は、いつも簡潔で傲慢だ。




 エゼキエル書とは、世界のこれまでのこれから――人類の辿るべき歴史について記された予言書である。




 旧約聖書に同様のエゼキエルの名を冠した章があるが、世間に流布しているのはその表層をなぞりノイズを加えた偽典にすぎない。




 本当のエゼキエルの書には世界の重要なターニングポイント、『起こり得るべくして起こり得る未来』について記述されている――らしい。その詳細な内容は『金の人々』が握っており、ミケは任務を通じてその断片を知るのみだ。




「成瀬祐樹――このスキュラのプロフェッサーの息子ですね。若年起業家で、確か、ハンプトン財閥の実質傘下にあると把握しています。ハンプトン財閥に関しての最近のトピックといえば、コンピューター関連でしょうか。でも、それならば、なぜ、ハンプトン家の当主本人ではなく、その傘下の少年を?」




『……』




 金の人々は答えない。




 彼らは、必要最低限の言葉しか口にしない。




「そうですか。ボクには知る必要のないことだと。それで? 確認ですが、『調査』だけでいいんですよね」




『そうだ。調査と報告のみで良い。必要があれば、追って命令を出す』




「わかりました」




 ミケは唯々諾々とその命令を受領した。




(ひとまずは殺しじゃなくてよかった)




 ミケはほっと胸をなでおろす。




 自身の手がすでに血で汚れていることは自覚している。それでも、やはり殺しは気持ちのいい物ではない。罪であり、悪だ。




 ミケは、自身にそう何度も言い聞かせる。そうしないと、異常な世界に身を置く自分の感覚は、容易く麻痺してしまいそうだから。




 人は慣れる。たとえそれが、許されざる禁忌であっても、繰り返していれば日常になる。その方が楽で、簡単だから。それはきっと、あらかじめ人に組み込まれた防衛本能なのだろう。そうだとしても、その本能に流されてはいけない。いくら、やむにやまない事情があったとしても。




(ともかく、祐樹君ね。個人的には気になっていたし、調べてみるのも悪くないかな)




 成瀬祐樹。この研究所では、比較的よく聞く名前だ。




 プロフェッサーと彼が親子関係にあるということもあるのだろう。




 スキュラとそれなりに頻繁に人材交流が行われているらしい。




(まずは手近なところから聞いて回るかな)






 *




「はあ、はあ、はあ、何がタルクですか。硬度1の強さじゃないじゃないですか。詐欺ですか」




「ははは、異能を使用しないというハンデを貰ってるからね。もし、異能ありならどうなっていたかわからないよ」




 寸止め形式の模擬戦を終え、ミケはオニキスに微笑みかける。




「――それで? 楓に聞きたいことってなんですか? タルクが勝ったら、質問に一つ答える約束でしたが」




 オニキスはクールダウンするようにストレッチをしながら言う。




「いや、大したことじゃないんだけど、成瀬祐樹――君のお兄さんについて教えて欲しくてね。どんな人なのかな?」




 ミケはさりげない調子で尋ねた。




 瞬間、オニキスがピタっと動きを止める。




「お兄ちゃんについて? なんでいきなりそんなことを聞くんですか? まさか、タルクもお兄ちゃんを狙ってるんですか? 最近、ただでさえ他のヒドラ共がお兄ちゃんに色目を使っていて不愉快極まりないのに、嫌がらせですか?」




 オニキスが懐から暗器を取り出して、ミケにゆらゆら近づいてくる。




「他のヒドラはともかく、ボクは男だよ? 同性を性的な対象に見るような嗜好も持ち合わせてはいない。だから、その点は安心してくれていい」




 ミケはオニキスをなだめるように言った。




「はあ? 何言ってるんですか? あなたは何も理解してませんね。お兄ちゃんはこの世に存在するあらゆる生命体の頂点であり、最高で最強でマーベラスで極上なんですよ。お兄ちゃんの魅力をもってすれば、馬鹿メス共はもちろん、ノンケの男すらその気になる可能性があるに決まってるじゃないですか! そんな生まれたての赤子でも知っている当然の真実に気付かないフリをしてお兄ちゃんについて探るなんてどう考えても怪しすぎますよね。まさか、タルクはお兄ちゃんについての情報を私から引き出してそれをネタに」




「――わかった。もう十分だよ。ありがとう。余計な心配をかけて悪かった」




 タルクはオニキスの言葉を遮って頭を下げる。




 オニキスの精神状態は不安定な上、彼女が語る言葉は主観的すぎてとても報告には上げられない。




 ミケは早々にオニキスとの会話を切り上げた。




   *




「また、大変な任務だったみたいだね」




「……」




 とある日。




 タルクは、スキュラの医務室でダイヤに手をかざし、治療をしていた。




 ダイヤはいつも忙しそうだ。




 こうして、怪我を負って帰ってくることも珍しくない。




 もちろん、ヒドラの生命力をもってすれば、一晩も寝れば治る程の怪我なのだが、そんな暇すらないほど、ダイヤは忙しいのだ。




「――成瀬祐樹君ってどんな人?」




 治療の手持無沙汰を装い、前置きもなく、そう切り出した。




 普通ならば唐突すぎる質問だ。




 だが、ダイヤは会話の無駄を嫌うのでこれでいい。




 と言っても、ろくな反応はないだろうが――




「……弟」




 などと考えていたら、予想外の答えが返ってきた。




「弟? それは、成瀬祐樹君とダイヤの間に血縁関係があるということ? それとも、弟分的な存在という意味での弟?」




「……」




 ダイヤは再び無言。それ以上、何も答えることはなかった。




 だが、成瀬祐樹の名前を出した瞬間、ほんの少しだけ雰囲気が柔らかくなった気がする。




 ミケがダイヤと、曲がりなりにも最低限のコミュニケーションをとれるようになるまで、半年以上かかった。そんな彼女の心をわずかな接触期間の間に開くとは、成瀬祐樹は中々コミュニケーション能力に長けた人物らしい。




 そんなことを考えながら、ミケはダイヤの治療を終えた。






     *






 またあくる日、ミケはサファの部屋でおままごとに付き合っていた。




「そのお友達、初めて見る子だよね? 前に来た時はいなかったけど」




 ミケはサファが抱きしめているぬいぐるみを見つめて言う。




「あっ、この子? ユウキお兄ちゃんからもらったのー。いいでしょー?」




 サファがぬいぐるみを掲げて、ミケに見せびらかしてくる。




 見た目は普通のテディベアだが、その内側にとてつもない禍々しい気配を感じる。




「中々の美人さんだね――その祐樹お兄ちゃんって、どんな人だった?」




「ユウキお兄ちゃん? 優しいよ。あっ、優しいのはタルクお兄ちゃんもだけど、ゆうきお兄ちゃんは楽しい人なの。お祭りに連れて行ってくれたりね。コンサートで【お友達】がいっぱいできたし。また一緒に遊びたいなー」




 サファがニコニコして答える。




「そう。また会えるといいね」




 ミケは微笑みかける。




 彼女の言う【お友達】が生者ではないことに、ミケはもちろん気が付いている。




 しかし、治せない。今、仮に無理にサファに人としての正しい在り方をねじ込んでも、彼女の心が壊れてしまうだけだ。彼女にそこまで深い関わり方をするならば、救済も一緒に用意する必要がある。それくらい、異能者たちの世界は過酷だ。




(おっと、そんな心配をしている場合じゃない。今は、祐樹君のことだよね)




 歪んだ死生観を持つサファに好感を持たれるということは、逆説的に倫理的に真っ当な人物ではないということになる。しかし、確か、サファが前に駆り出されたのは、ハンプトン家の戦争だったはずだから、成瀬祐樹はその指揮を任されたにすぎない。だとすれば、客将のサファに対しておもねった態度を取るのは普通だ。今の自分と同じである。




 つまり、サファの証言は成瀬祐樹の人柄を判断する根拠にはなりえない。強いて言えば、任務に忠実だということが推察できるくらいだ。






    *






 その後も、何人か関係者に聞いて回ったが、報告するに足ると思えるほどの情報は集まらなかった。




「辛気臭い顔してるわねえ。悩みがあるなら聞くわよ」




 食堂で肉野菜定食から肉をよけてつついていたミケに、ヘルメスが話しかけてきた。




 誰も信用できないこの世界においては、貴重な友人と言っていいだろう。




 なにせ、彼女はあまり隠し事ができるタイプの人間ではなく、ミケに近づいてきた目的が明らかだからだ。




「……そんな顔してたかな?」




 ミケは箸を置いて、首を傾げた。




「ウチにはわかるのよ。アンタみたいにいつでも無理して笑ってる子を、たくさん見てきたから」




 そう言って、ミケの前の席につく。




 メニューは、大盛りのとんかつ定食だ。




「そう。ヘルメスには敵わないな」




 過酷な異能者の育成現場において、他人を思いやる余裕がある人間は本当に珍しい。




 ヘルメスはその能力からして規格外であるが、その精神力も大したものだ。




「で? 何か困ったことでもあるの?」




「困っている、というほどでもないんだけど――ヘルメスは、祐樹くんに言われたから、ボクに会いにきてくれたんだよね?」




「そうよ。ユウキから、ミケがウチの子たちを呪いから救えるって聞いたから来たの。だから、さっさと強くなってよね」




「そうは言われても、困るな。日々の鍛錬は欠かしてないつもりだけど、何度も言っている通り、ボクには呪いを解くほどの力はないんだ」




 確かにミケには人の傷を癒す能力がある。




 それは裏世界とそれなりに関わりがある者ならば、誰でも知っている周知の事実だ。




 だが、呪いを治す力などない。そんな力があれば、ミケはとっくに自分自身に対して使っている。




 そもそも、成瀬祐樹はなぜミケに解呪の力があるなどと考えたのだろうか。




(やっぱり、直接本人に聞いてみるのが手っ取り早いかな)




 暗殺の任務ならともかく、今回は調査が目的だ。




 百聞は一見に如かず。情報を得るには、調査対象に直接接触してみるのが一番だろう。




「はあ。先は長そうね。ウチにできることがあれば言って。協力するから」




「ありがとう。じゃあ、早速なんだけど、一ついいかな」




「なに? お金なら貸さないわよ。子どもたちに仕送りしないといけないから。ユウキが面倒みてくれてるけど、あまり借りは作りたくないの」




 ヘルメスはとんかつにケチャップとしょうゆをドバドバかけながら言う。




 中々、独特の食べ方だ。




「お金はいらないよ。十分な活動資金は貰っている。――ボクがヘルメスにお願いしたいのはね。その祐樹君の件なんだ。ボクは祐樹君に会いたい。だから、ヘルメスが顔をつないでくれる?」




「はあ? なんで?」




「色んな人から名前を聞くし、最近目覚ましく活躍しているみたいだからね。ヘルメスの言う解呪の力の件も含め、どうにも気になってる。だから、ボクも祐樹くんに直接会って直接話を聞いてみたいんだ」




 ミケは半分だけ正直に言った。




 成瀬祐樹に会うことを望むのは、もちろん、金の人々に命令されたからだ。だが、前々からちょくちょく名前を聞いて気になっていたこともまた、嘘ではない。




「ふーん、まあ、いいんじゃない? 手紙のやりとりはちょくちょくしてるけど、ウチも久々にあの子たちに会いたいし。ウチの方から、ユウキに連絡してみるわ」




 ヘルメスが快く頷く。




 それから、キャベツにタバスコをふりかけ始めた。




「そう。よかった。じゃあ、ボクの方は、プロフェッサーに外出の許可を取っておくよ」




 ヘルメスはニンジンを口に運びながら言う。




 プロフェッサーは、ミケと成瀬祐樹の接触を好ましくは思わないだろう。




 しかし、金の人々の名前を出せば、彼女は拒むことができない。




 金の人々にはそれくらいの力がある。




「わかったわ――で、いつも通りその肉は食べないの?」




「うん。食べさしでよければどうぞ」




 物欲しげに見てくるヘルメスに、ミケは皿を押しやる。




「ミケは本当に小食ねえ。そんなんでよくお腹がすかないもんだわ」




 肉だけ残った皿にフォークを突き立てながら、ヘルメスは興味深そうに呟いた。


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