第181話 名は体を表す

 人格のコピー作業は、滞りなく終わった。




 電脳世界に閉じ込められてログアウト不能になるなどというトラブルもなく、ハンナさんの言う通り、普通にお喋りをしているだけだった。




 ヘッドギアに取り付けられたランプが黄色から緑に変わったと思ったその瞬間、彼女はもうそこにいた。




 花壇をバックに、微笑む3Dホログラムの少女。




 外見は小百合ちゃんとそっくりそのまま同じ。




 服は、病院服のような白衣だ。




「ワオ! とってもかわいい。ようこそ! 世界へ。生まれてきてくれてありがとう!」




 ハンナさんが、感極まったように、ホログラム小百合ちゃんに抱き着きにいく。




『こんにちは。開発者マスターさん。皆さん。私は、私は――誰ですか?』




 ホログラムの小百合ちゃんが首を傾げる。




「あっ、そうだ。うっかりしてたわ! 私としたことが、名まえを考えるのを忘れてた。ヘイ、愛しい私の子どもマイスイートハート。名前、自分でつけてみる?」




「インターネット上の情報によれば、一般的に名前というのは、保護者か、それに類する人物が定義するものだとあります。私も人に寄り沿う者として、それを望みます」




 ハンナさんの質問に、ホログラム小百合ちゃんは確固たる意志をもってそう答えた。




 本編では、バーチャル小百合ちゃんの名前は、オリジナルが死んだ後の時代の話なので、普通にサユリだった。でも、この世界ではオリジナルがバリバリ生きてるから、別の名前が必要だ。




「うんうん。そうね。そうよね! メアリー、ドロシー、マリア――はさすがに安直よね。hum……。どれもしっくりこないわ。――そうだ。ここは、やっぱり、オリジナルのサユリに決めてもらうべき?」




「え? ――私ですか? 急にそうおっしゃられても、軽々には決められません。名前は一生を左右する大切なものですから、時間を頂かないと……」




 小百合ちゃんは困ったようにはにかんだ。




「そ、それでは、カサブランカなんていかがですの?」




 シエルちゃんが控え目にそう切り出した。




「その心は?」




「小百合さんから生まれた方ですから、百合科の植物になぞらえるのが良いかと思いましたの。カサブランカは百合の女王と呼ばれる代表的な品種で、そのルーツは、日本のヤマユリやタモトユリなどにありますわ。それらがオランダで品種改良されて生まれた、オリエンタル・ハイブリットがカサブランカですの。まさに東洋の精神性と西洋の技術が合わさって生まれた彼女にふさわしい名前ではなくて?」




 シエルちゃんはそう言って、庭にある温室を指さした。




 そこには、純白の百合が凛として咲き誇っている。




 さては、シエルちゃん、これ、あらかじめ考えていたな?




「カサブランカ、私、好きです。コンサートの時、頂くことがあるんですけど、堂々としていながらも、ちょこっと頭を下げて控え目なところがあって」




 小百合ちゃんが手を合わせて呟く。




「カサブランカ……。確かにモチーフのイメージとしては悪くないけど、名前に濁音が入るのは、あんまりアイドルっぽくないのよね。ちょっと長いし、略して『ランカ』じゃダメかしら」




 佐久間さんがそう口を挟む。




「ワオ! ランカ! なんだかとってもしっくり来たわ! どうサユリ?」




「ランカ、とってもいい名前だと思います」




 ハンナさんの問いに、小百合さんが頷いて言う。




 だからそれ、マクロ――。




 いや、この世界では、まだFはできないから偶然だよな。




 余計なことは言うまい。




「ランカ。私はランカ。素晴らしい名前をありがとうございます。皆さん」




 ホログラム小百合ちゃん――もとい、ランカちゃんは、自身の名前を抱きしめるように胸に両手を当てる。




 瞬間、彼女の衣装が、カサブランカをモチーフにしたものへと変化した。




「ハッピーバースデイ! ランカ! ランカのミッションは、エンターテイメントを通じて、世界中の困難な状況にある人々を応援し、幸せにすることよ! OK!?」




「はい。やりがいのある仕事で嬉しいです! 精一杯頑張ります」




「わあ、おめでとうございます! なんだか、姉妹ができたみたいで嬉しいです。ランカさん。お客さんが自分のパフォーマンスで喜んでくださるというのは、言葉では言い表せないほど、満たされた気持ちになるものですよ。ランカさんにも早くその気持ちを体感して欲しいです」




「はい。サユリ。あなたの名前を汚さないような存在になることをここに約束します」




 小百合ちゃんが椅子から立ち上がり、ランカちゃんと両手を合わせて向かい合う。




「ね、ねえ、ユウキ、今この世紀の瞬間を写真に収めてもよろしくて? 人類の義務だと思いますの」




 シエルちゃんが尊さに口を手で覆って言う。




「えっと、小百合さんとシエルのお兄さんがいいって言うならいいんじゃないかな」




 俺は適当にそう答えた。




「とりあえず、私はランカが活躍するために、慈善団体を起ち上げようと思ってるわ。あっ、もちろん、あなたがショービジネスでの成功を求めるなら、そういう方向もアリね。その場合は、ハリウッドの知り合いに頼んでみるわ。どうする? 全てはあなたの自由よ」




 ハンナさんそう言って、ランカちゃんに本当の我が子を慈しむような視線を送る。




「そうですね……。私には名誉欲や物欲というものはありませんので、慈善事業の方に惹かれます」




「パーフェクト! なら人材は私の知り合いを――いえ、人選も含めて、ランカがやった方っがいいのかしら。えっと、とにかく、ランカ。何か私に質問したいことはある?」




 ハンナさんは好奇心を抑えきれない声で尋ねる。




「一つよろしいでしょうか。私が活動するにあたっての懸念があります」




 ランカちゃんが控えめに半分くらいの高さに手を挙げていった。




「なにかしら?」




「世界の国々の中には、未だに女性が前に出るのを好まない地域もあります。私が女性の外見のままでは、受け入れられない可能性があります」




「問題ないでしょ? あなたは自由に肌も体格も性別も変えられる。国境、肉体、性差。あなたはくだらない物理的制約や因習から解き放たれた自由な存在なんだから」




 ハンナさんが首を傾げる。




 事実、本編のサユリロイドはTS可能だからな。




「はい。技術的にはもちろん可能です。ですが――」




 ランカちゃんが、チラりと小百合ちゃんに視線を遣った。




「ちょっとちょっと。まさか、男装とかいうレベルじゃなくて、小百合を性転換して男性化するっていう話? さすがにそれはダメよ。イメージが崩れるわ」




 佐久間さんが焦った声で、両手を突き出して制止の仕草をする。




「ランカ、ここまで空気が読めるなんてすごいじゃないか。はやくも、創造主ハンナを超えたぞ」


 アビーさんが皮肉っぽい口調でからかう。




「oh……。本当にリアリー? 困ったわ。そうなると、別の男性の電脳人格を創るしかなくなるわね。――でも、確かに、研究という意味でも、電脳人格同士のコミュニケーションのデータも取れた方がいいかも」




「イヴにはアダムが必要ということですわね」




 シエルちゃんが気取った調子で言う。




「では、私のように、またどなたか男性をモデルにするということですか?」




「そういうことになるだろう。というか、日本には、男性版のサユリみたいなのもいるんだろ? あのデヴィ〇ド・ボウ〇の出来損ないみたいな奴らが」




 アビーさんがすごく雑なアイドル像を吐き捨てる。




「そういうのはダメ。言うまでもないけど、小百合をモデルにする以上、特定の男性と親密に見えるようなキャラ立ては許さない」




 佐久間さんがきっぱりとそう言い放つ。




「おっしゃる意図は理解できます。しかし、第二次性徴を迎える前の男性ならば、サクマの懸念は解消されるのではないでしょうか」




 ランカちゃんがそう提案する。




「……そうねえ。確かに、動物のマスコットとか、性的なニオイのしないほど低年齢なら、近くに置いても大丈夫だと思うわ」




 佐久間さんがちょっと考えてから頷いた。




「OK! つまり、少年をモデルにするなら問題ないのね?」




 ハンナさんが手を叩く。




「なんだ。それなら簡単だな」




 アビーさんが拍子抜けした感じで呟いて、ハンナさんの分のプディングを摘まみ上げる。




「ですわね。ちょうどいいサンプルが身近にいますもの」




 シエルちゃんが軽く目を閉じて頷く。




「へえ、そうなんですか。都合のいい人もいたものですね」




 俺は適当に相槌を打って、シエルちゃん手製の紅茶を飲み干す。




 やっぱり、お嬢様の淹れてくれた紅茶は3割増しでおいしい気がするね。




「えっと、あの、祐樹くん。――多分、祐樹くんのことだと、思い、ます、よ?」




 はにかみながら、俺の肩を人差し指でちょんちょんと叩く小百合ちゃん。




「「「「「……」」」」」




 皆の視線が、一斉に俺へと集中する。




「――えっ、マジっすか?」




 俺は引きつった笑みを浮かべた。


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