第140話 たった一つの冴えたやり方

 放課後。




 一度自宅に帰り、荷物を置いた俺は、早速シエルの家へと向かった。




 彼女の家の前では、すでにソフィアちゃんが待機しており、黙って門扉を開けてくれる。




 ソフィアちゃんは無言で顎をしゃくり、俺を洋館の中のシエルちゃんの個室へと案内してくれた。




 ソフィアちゃんが『ようこそいらっしゃいました』とかは言わず、従者ムーブをしていないのは、今日は、あくまで俺は『友だちとして』この家に来ているからだろう。ソフィアちゃんと俺も対等の立場なので、格式ばった挨拶は不要と言う訳だ。




「悪いな。俺のためにわざわざ時間を作ってもらって」




 小さなテーブルを一つ挟んで、シエルちゃんと差し向いで座った俺は、初っ端そう呟いた。




 テーブルの上には、ティーカップに注がれたミントティー。その爽やかな香りが、梅雨のジメジメとした不快感をいくらかやわらげている。




 なお、ソフィアちゃんは部屋の中にはいないが、ドアの外で警備をしてくれている。




「それは別によろしいのですけれど、ふふっ」




 シエルちゃんは一回真面目くさった顔になってから、忍び笑いを漏らす。




「何がおかしい?」




「失礼致しましたわ。ユウキが捨てられた犬のように縮こまってる姿を見るのが珍しくて……。ビジネスに関しては、いつでも即決即断ですのに、色事に関しては、あなたも年相応に照れたり悩んだりしますのね」




 シエルちゃんが親しみのこもった声でからかってくる。




 いうほど年相応かなあ。本来、小学生男子なら、『女と一緒にいるなんて恥ずかしいからあっちいけ!』ムーブが年相応だと思うけど、まあ、シエルちゃんはそもそも精神年齢高めだからね。




「勘弁してくれ。それとこれとは全然違う話だろ」




 俺は肩をすくめて答えた。




「ですわね。――ええっと、それで、コテツの件でしたわよね。そもそも、ユウキはコテツのことをどう思ってますの?」




「虎鉄さんはてらうことのない、真っ直ぐで素敵な心を持った人だとは思うけど、正直、異性としての好意があるかと言われると……」




「NOということですわね。恋人や夫婦になりたいと思える相手ではないと」




 言葉を濁した俺の意を汲んで、シエルちゃんが先を継ぐ。




「ああ、シエルの言う通りだ。率直に言って、既に俺の中で虎鉄さんの告白に応えることができないという意思は固まってる。極論、彼女が見てるのは俺自身ではないからね。虎鉄さんが欲しいのは、俺自身の愛情ではなく、組を存続してくれる人材だ。もちろん、政略結婚が悪いとは言わないけど、ビジネス的な面で考えても、俺には虎鉄さんと結婚するメリットはゼロに等しいし」




 俺は素直にそう白状する。




「もっともですわね。でも、ユウキの中でそのように答えが出ているなら、何を悩むことがありますの?」




 シエルちゃんが小首を傾げて言う。




「……どう伝えればいいか、迷ってるんだ。なるべく、虎鉄さんを傷つけないで済む言い方はどうすればいいか」




 俺はミントティーの鮮やかな緑色に視線を落として、眉根を寄せる。




「なるほど。そうですわねえ……。無難なところですと、『他に好きな人がいる』、『今は、仕事・学業etcエトセトラに集中したい』なんて断り文句が一般的なところでなくて?」




 シエルちゃんが、しばし逡巡してから言う。




「嘘はつきたくないんだ。だから、『他に好きな人がいる』はナシ。後者は、嘘とは言えないかもしれないけど、そういう表現で虎鉄さんが納得するか、怪しいと思う」




「まあ、ああいうタイプの性格の方には、遠まわしに言っても、伝わりそうではありませんものね。『仕事が忙しいっすか? 了解っす! 落ち着くまで待つっすから、暇になったら結婚してくださいっす!』とか言いそうですもの」




 シエルちゃんが、虎鉄ちゃんの物真似をして、場を和ませる。




 かなり上手いな。さすがは芸達者なお嬢様。




「そういうことだ。婉曲な表現で、虎鉄さんが納得するとは、俺には思えなくてね。でも、代わりになるいい表現が思いつかない」




「なら、やはり、ここは、正直にはっきりと、ユウキの思いを告げるしかないのではなくて? 『コテツのことは人間としては好きだが、異性としては好きではない』と」




「ああ、俺も今はそれしかないと思っている。シエルは、虎鉄さんがそれで納得してくれると思うか?」




「さあ? そもそも、ワタクシなら、婉曲な表現をされても十分に理解できますもの……。でも、そうですわねえ。漏れ聞こえてくる彼女のこれまでの生い立ちを聞くに、相当な頑張り屋さんみたいですから、そこまではっきり言っても、諦めないかもしれませんわね。『仕方ないっすよね! まだ会ってすぐっすもん! でも、これから小生、マスターに好きになって貰えるように頑張るっす! マスターは、どんな女性が好みっすか?』」




 シエルちゃんがまた物真似をして言った。




 確かに、いかにも虎鉄ちゃんが言いそうなことだ。さすがの人物観察眼である。




「それだよ。そう言う展開になる可能性を俺は危惧している」




「『マスターは、どんな女性が好みっすか?』」




 シエルちゃんがレコーダーのように物真似を繰り返す。




「ノーコメントだ。どさくさに紛れて、俺の嗜好を探ろうとするのはやめてくれ」




「あら、それは残念」




 シエルちゃんは肩をすくめて、すまし顔でハーブティーに口をつけた。




 全く、貪欲に情報を引き出そうとするお嬢様の社交術は恐ろしいね。




「ま、冗談はともかく、だ。俺としては、先ほどシエルが言ったみたいに、素直に『人間としては好ましいが、異性としては見れない』と伝えた上で、彼女の求めているものをフォローしようと思っている」




「フォローとはどのように?」




「俺の関連企業に、グレーゾーンな経営に強い男が何人かいる。その人たちを、虎鉄さんと引き合わせるんだ」




「なるほど。良いではありませんの。確かに、彼女の言い分では、マフィアの後を継げる経営能力がある人材をリクルートしたいようでしたものね。後を継ぐのは、必ずしもユウキでなくても構わないという訳ですわね」




「そう。でも、この案にもまだ問題があってさ」




「はあ、まだ何か懸念がありますの」




 シエルちゃんが若干うんざりした様子で溜息をつく。




「うん。経営能力的に申し分ない人材でも、現組長の虎鉄さんの親父さんの査定をクリアできるかは未知数――というか、正直低くてさ。真の任侠道を解する――『弱気を助け、強きをくじき、一般人には迷惑をかけない、器の大きいヤクザ』なんてそうそういるものじゃないから」




「うーん、確かにそれは面倒ですわね。仮に、そのマフィアのボスの査定に、婿候補が認められなければ、コテツは結局、またユウキの所に押し掛けてきますわよね。『やっぱり、マスターじゃなきゃだめっすー!』って」




 そう言って、シエルちゃんが腕組みをして考え込む。




「そうなんだよ。だから、悩んでいるんだ。――そういうめんどくさい事情も加味した上で、シエル。何かいい案はあるか?」




 などと、俺は殊勝ぶって質問する。




 でも、ぶっちゃけ、いい答えが返ってくることは期待してない。




 シエルちゃんでも答えられないくらいの難問に頭を悩ませていると伝わればそれで十分だ。




 などと考えていると――




「……一つ、アイデアがないこともありませんわ」




 シエルちゃんが予想外の返答をしてきた。




 まじかよ。ラッキー!




 さすがはコミュニケーション能力に秀でたお嬢様。きっと、男の俺では思いつかない、女心の妙を捉えた腹案があるのだろう。




 俺はギャルゲー的な女心は分かるが、実質的な女性経験値はクソ雑魚だからな。マジで助かるぜ。




「本当か?」




「ええ。100%、コテツはもちろん、全ての女性が納得する、客観的で完璧な断り文句がありますわ」




 シエルちゃんが自信満々な笑顔を浮かべて言う。




「そうか! そんなに素晴らしいアイデアがあるのか! 早速、教えてもらってもいいか?」




 俺はテーブルから身を乗り出してがっつく。




「ええ。といっても、至極簡単なことですわ。ユウキはコテツにこう言うだけで良いのです。『俺には他に婚約者がいる』」




「ん?」




 んんんんんんん? んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!?




「もう鈍い方ですわね。ですから、ユウキがワタクシと婚約すれば、万事解決だと申し上げているのです」




 んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!!????

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