第116話 幕間 罪深きアイ(1)

 新月の夜。




 光無き森を、アイは駆け抜ける。アステカの遺跡で太陽神への信仰に目覚めたアイにとっては、最もキツイ時間帯だ。だけど、だからこそ訓練になる。




 時折、木に登って、枝から枝へと跳び移る。




 気に入った枝ぶりの一本を見つけたら、そこで懸垂。逆さにぶら下がって腹筋。




 ブブブブブブブブ、と、嫌な虫の羽音。




(おイタはだめよぉ?)




 不穏な気を放つ虫がいたら潰して遊ぶ。




 ぬばたまのクソビッチの気が濃い土地なので、たまに変なのが湧くのだ。




 マスターはこの森を厳重に立ち入り禁止にしているので、一般人雑魚が被害に遭う可能性はほぼないが、それでもリスクは潰しておくに越したことはないだろう。




(本当ぉー、アタシぃって忠犬ねぇー)




 虫遊びに飽きたら、臭いを辿る。鋭敏なアイの嗅覚にとって、獣臭を把握することなど容易い。




「キキキキキキキッ」




 猿が徒党を組んで枇杷びわの果樹園を荒らしている。




 鹿とかイノシシは肉が美味いので狩る猟師もいないことはないのだが、猿はあまり人気がない。アイとしては脳みそとか結構おいしいと思うのだが。




 ともかく、一般人雑魚共は、猿は法律がどうとか、姿形が人に似てるから撃ちにくいとか、つまらない理由でこいつらをのさばらせている。




「アンタぁー。最近、評判悪いわよぉ? パクるなとは言わないけどぉ、生かさず殺さずにしなさいよぉ。ババアが萎えて、農業辞めちゃうわよぉ?」




「キキキキキキキキキ!」




 猿はアイの忠告を無視して、生意気にも威嚇してきた。アイの外見だけを見て、ただの人間の子どもだとナメてるのだ。




 まあ、今回は練習相手にするために、アイはわざと殺気を消してるので当然なのだが。




 シュシュシュシュ。




 アイは適当に小石を投げて、猿を挑発する。




「キャァ! ギャギャギャギャギャギャギャ!」




 興奮状態になる猿たち。




「かかってぇ、来なさぁーい」




 アイは耳栓をし、自身の両手を木のつるで縛り、さらに片足立ちになる。それから目を閉じた。嗅覚すら使わず、気配だけで猿を感じ取る。




 まあ、この程度なら、ヒドラと言わず蛭子クラスなら皆できることだ。




(中途半端に力を使うのってぇ、めんどくさいのよねぇ)




 襲ってくる猿たちを適度にいなしながら考える。




 マスターに出会うまでのアイにとって、敵とはただ殺すものに過ぎなかった。なので、敵にはただ、全力で向かっていけばよかった。しかし、マスターは、生け捕りや無力化などのオーダーを出してくることが多いので、それに応えるには力の微細な調整をする訓練が必要なのだ。




「キキキキキキキキ!」




 猿の気配が遠ざかっていく。




(もう逃げるのぉ。根性なしぃ)




 アイは自身の拘束を解くと、退路に先回りし、猿たちをまとめて縛り上げた。




「これからしばらくは、この辺りには近寄らないことぉ。来たらぁ、殺すわぁ」




 全ての猿たちの毛をムシって、全力の殺気をぶつけ、痛みと恐怖を覚えさせる。




 命を奪うことは容易たやすい。でも、練習の度に殺していたら、すぐに野生動物が近隣の山から絶滅してしまうので、敢えて控える。動物の山狩りは部下の訓練にも使うので、個体数は上手く調整しなければならない。




(こんな、ものかしらぁ)




 ウォーミングアップを終えたアイは、山の清水で汚れを落とすと、街へと降りて行った。




(さぁて、グレーテルちゃんたちはおいしく育ってるかしらぁ) 




 一見、普通の一般住宅パンピーハウス。その実、最先端技術で要塞化された拠点に、アイは辿り着く。指紋と網膜認証のダブルチェックをパスして、中へと入っていく。




 グレーテルたちの寝所に向かう。




 風の力を使い、音も立てずに中に入る。




 整然と並んだいくつもの二段ベッド。すやすや眠るグレーテルたち。




 ちっちゃいオレンジ色の豆電球の明かりが、仄かに室内を照らしている。




(まだまだ、おこちゃまねぇ。闇を受け入れられない限りは強くなれないわよぉ)




 大方、ヘルメスが甘やかしたせいだろう。こいつらの呪いが解けて、しごける環境になったら、身の程を叩き込んでやらなければならない。




(ポン子は、いたいたぁ)




 強化ガラスの窓枠に腰かけて、意味のない微笑を浮かべ、焦点の定まらない瞳を室内に向けている。




「う、い、いや。違うの。わざとじゃない。釜の薬は。たまたま手についた。本当。やめてええええ」




 グレーテルの一人が、苦し気にうわ言を漏らす。




「……」




 ポン子は山猫のように二段ベッドの上に飛び移ると、ぎこちない仕草でグレーテルの頭を撫でた。




 グレーテルから発せられた気の一部が、ポン子に流れ込むのを感じる。




 グレーテルが、再びスゥスゥスゥと穏やかな寝息を立て始めた。


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