第34話 回復系の黒魔法

 そして、アイちゃん治療の当日がやってきた。




 神殿の奥、四方の木戸が閉ざされ、かがり火がだけが室内を照らす、『いかにも』な空間に俺たちは集合していた。




「それでは、皆様、準備はよろしいですか?」




 たまちゃんが穏やかながらも、真剣さを感じさせる声で俺たちの顔を見渡す。




 水垢離みずごりを終えたばかりの彼女の肌に、肌襦袢がぴっちりと張り付いて、肉感的なフォルムを現出させている。




 エッッッッッッッロ!――とは思わない。




 くもソラが全年齢対象のゲームだからか、それとも身体が小2だからか、今の俺には性欲というものはほとんどなかった。




「よろしくお願いします。儀式に関しては何も役に立てませんが、いざという時は、私がこの手で――」




 ソフィアが決然とした表情で、祭壇の上に全裸で寝かされたアイちゃんを見遣る。




「すぅ……。すぅ……」




 ふわふわしたピンク色の髪を持つアイちゃんは、耳にコードネームと同じ、紅縞瑪瑙のイヤリングをつけていた。まつ毛にはエクステ、手には一見、普通のオシャレアイテムだが、実は特殊合金なツケ爪をしている。




 アイちゃんは、一言でいえば、原宿で虹色のわたあめでも食ってそうな、今風の若者な外見だ。田舎にはそぐわない。




 そんな彼女も、今は眠くなるお薬をガンガン打たれまくった結果、静かな寝息を立てている。一応、四肢をがっつり縄で拘束しているが、改造人間である彼女のような相手には気休めのようなものだ。




 なお、言うまでもなく、ソフィアの役割は、アイちゃんが暴走した時の保険である。俺が強制するまでもなく、彼女自身が立ち会いを申し出た。また、シエルもこちらに来たがっていたが、ソフィアが『お嬢様を危険に晒す訳にはいかないので』と説得し、例の洋館でお留守番となった。




「始めよう。いつまで彼女が大人しく眠っていてくれるかわからない」




「はい。これより、儀式を始めさせて頂きますー。儀式中は、くれぐれも言葉を発せられませぬようお願い致しますー」




「「……」」




 俺とソフィアは無言で頷いた。




「かけまくもかしこきぬばたまのおおみずちのひめにかしこみかしこみ申す。あめつちうまれしより先にくろぐろのやみ仕りて、あまてらすおおみことてらすおんときにあかつきのとみにまばゆきに、あまつはら、よもつひら、うつしよのやけたまえるにただとこしえのやみ奉りて、よろずまもり給いし御徳のことわすれぬ巫女のここにあるや。願わくは、そのむへんなるじひをたまひて、よの穢れひとの穢れ賜りたるむすめを払い給え。分かち給え。包み給え」




 たまちゃんが、ヒオウギの葉っぱで作った大幣(神官が振る棒)を振り回しながら、祝詞をそらんじつつ、優雅な仕草で神楽を舞う。ちなみに、ヒオウギの実がぬばたまであるが、特に覚える必要はない。




「く、う、うゥゥゥん!」




 アイちゃんが苦しげにうめく。




 かがり火が消える。




 いや、炎はその存在を保ったまま、闇に溶けて、均質化されていく。




 闇は全てを包み込む。栄光も、罪も、愛も、憎しみも、分け隔てなく包み込んで、全てを薄める力を持つ。




 真の闇ではなく、かといって昼でもなく、モノクロ写真の中に入り込んだような灰色の空間に、俺たちはいた。




「あ、あああああああ! やめて、溶ける! 溶けちゃう! 私が、私の特別があああああああ!」




 アイちゃんが意味をなさない繰り言を紡ぐ。




 それは、例えるなら、ぬるま湯に浸かっているような、量販店の服を着ているような、匿名でSNSに埋没するような、どこか後ろ暗い安心感。




 まあ、これ、回復魔法とはいっても、属性で言ったら闇、ジャンルとしては黒魔法の方なので、朝の女児アニメみたいに綺麗にすっきりとピカピカヒーリングッバイで根治される訳ではない。あくまで呪いを薄める緩和療法的なものだ。くもソラは伝奇ものだからね。単純にはいかないさ。




「鎮め給え。赦さずも、わすれ給え。世のことごとは、ままならぬまま、ままならぬ。蛭子のなみまにただようがごとく、おとめのおろちに捧ぐるがごとく」




「わするるものか、腐れ月、宙の鯨のまなこに蛆、くちおしや、うらめしや、ニライカナイ、ほむらぬすびとどもの末裔に災いあ。ああああああああ! ああああああ! ああ……」




 アイちゃんが目をギョロギョロさせながら、ぬばたまの姫の記憶の断片を絶叫と共に吐き出す。




 瞬間、世界に色が戻り、秋の虫たちの涼しげな鳴き声が聞えてきた。




「はあ……。はあ……。終わり、ましたー」




「お疲れ様。すぐに奥で休んで。臨時の巫女さんの手配とかは済んでるから、神社の仕事の方は心配しないで」




 地面にくずおれそうになるたまちゃんを、俺はすかさず支える。




「よろしくお願い、しますー」




 たまちゃんは安堵したように目を閉じた。




「アイ! 私! ソフィアです! 覚えてますか!」




 ソフィアちゃんがアイちゃんに駆け寄り、肩を揺さぶる。




「……ん、んんっ、はっ、チュウ子ぉ?」




 チュウ子というのは、アイちゃんがソフィアにつけたあだ名である。ソフィアの銀髪をねずみに見立てたことに由来しているのだ。




「そうです! チュウ子です! 遅くなりましたが、助けにきましたよ!」




 クールキャラのソフィアが、ボロボロ涙を流す。




 原作では手遅れだったけど、こっちは大丈夫そうで良かったね。




「相変わらずチュウ子は泣き虫ねぇ。もう涙を流す必要なんてないでしょぉ――」




 アイちゃんは、ふわりと微笑む。




「アイ!」




 顔に喜色を浮かべるソフィア。








「だって、死んだら涙も出てこないものねぇ!」」








 刹那、アイちゃんはツケ爪を一閃。縄を切り捨て、自らの戒めを解くと、そのままソフィアへと襲いかかった。


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