キメラ少年生存録〜とある研究者との契約〜

Lizard

序章 肉体改造編

一 死にたいなんて思わない

 生きたいなんて思いとは、無縁の人生だった。

 誰もいない家への帰り道を、いつも通りの山道を歩きながら、少年は考える。

 死にたいわけじゃない。けれど生きたいとも思わない。願いなど……ない。

 社会に対する諦めが心を支配したのは、まだ幼い時分だった。強烈な、脳裏に焼きつくようなキッカケがあったわけじゃない。深い思考も意味もなく、大人たちの言う「正しいこと」が、大人たちの言うようには存在しないと悟った。それだけのこと。つまらなく下らない、爽やかさとは無縁な、少年の人生を決定づける「気付き」。

 いつも以上に暗雲立ち込める思考が、少年の頭を埋め尽くす。

 原因は、大した意義もなくただ笑いたいだけの−−嗤いたいだけの言葉だった。



『なーなー、お前さ……何で生きてんの?』


 厭らしい笑みとともに、明らかな嘲りを込めてそんな言葉が放たれた。

 授業が始まる数分前、いくつもの言葉が交わされる教室の中で自身の席について本を読んでいた少年は、瞠目した。

 少年と同じクラスに属するというだけ。それだけの間柄だったその相手は、慣れ慣れしく、そしてあからさまに必要以上の力を込めて背後から少年の肩を叩いた。当人からすれば特別な悪意があったわけではない。言うなれば、少しだけ……ほんの少しだけ人を馬鹿にし、嘲りたい。

 そんなありきたりな嗜虐心。

 もうすぐ高校生になる身で、よくもそんな馬鹿なことを……そう心中でつぶやく少年はしかし、その問いに対して笑って誤魔化すことはできなかった。


『さぁ……何でだろうね?』

「本当に……何でだろうね……」


 思わず漏れた独り言。

 少年は微かに羞恥心を覚え、辺りを見回した。

 ガードレールの隙間から夕陽の光が漏れ、道路に黒と赤のコントラストを描く。

 いつも通りに車すら通らず、歩行者など少年一人だけだった。

 周囲に人がいないことを知った少年は、普段は家まで止めることのない足を止め、ガードレールに手をのせた。

 空を仰ぐ。

 さざなみのような雲が紅に染まり、紺色の空を彩っている。

 風が吹く。堅い黒の制服が揺れることはないが、少年の黒髪を揺らし、思考で煮詰まった脳を冷やした。

 少年は思う。やっぱり、風は好きだと。懐かしい景色を思い出させてくれる。幼い時分の感受性豊かな気分を、一時の間蘇らせてくれる。

 気づいた時には両の手でガードレールを掴み、少年は夕方の景色に魅入っていた。

 暫しの後、おもむろに息を吸う。


「――――ぅあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 高揚する気分のままに、少年は叫んだ。先ほど抱いた羞恥心など忘れて。

 普段、大声を出すことなどない少年の、渾身の叫びだった。


 生きる意味など、幾度となく考えた。答えは出た。

 「解なし」、という答えが。そもそも問題が間違っている。

 「生きる意味」とは何か? そんなもの最初から僕らには与えられていない。考えるだけ無駄。

 そこまで考えて。それでもなお、思考は走り続けた。止められなかった。


(分かってる、僕は生きる意味を知りたいんじゃない。生きる理由が欲しいんだ)


 似ているようで、その隔たりは大きい。

 生きる意味を考えてしまうのは、生きる理由を欲しているから。生きる理由がある人は、そもそも意味など考えない。


「――――うぅ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 想いをのせて、二度の叫びを空に解き放った。

 息を吐き、少年は清々しい面持ちで夕陽を見やった。


 それは美しく、としては極上のものに思えた。

 悲壮なものではなく、むしろ明るい健やかな心をもって少年は道路の中央まで歩いた。

 車が通らず、人もいないのを確認した少年は――息を吸い、おもむろに走りだした。

 夕陽の方向。ガードレール目がけて。

 ぶつかる直前、足を撓める。


 そして少年の想像を超える滑らかな跳躍をもって、大人になりきらない子供の体が宙に躍り出た。眼下に広がるのは深緑。遥か下にある森。

 少年は崖から飛び降りた。

 ……再度言おう、そこに悲壮な想いなどなかった。

 魔が差した、というわけではない。少年にとって"死"は恐れるものでなく、一つの選択肢としていつの間にか持っていたものだったから。

 自死、自殺、自害、身投げ、呼び方は何だって構わないが、少年にとってのそれは悲しい出来事とは限らなかった。死よりも辛い、「退屈な生」を少年が見限ったというだけの話。

 馬鹿馬鹿しく、下らない、新たなる門出だった。


(……死んだら馬鹿も治るだろうか)


 少年の心境はそんな程度のもの。

 学生鞄を空中で放り出し、荒れ狂う風に打たれながら落下する。制服のズボンと袖の端がバタバタと騒ぎ、重力によって増す速度は容易く意識を奪っていく。

 ――――森の木々が眼前まで迫った時。

 少年の視界は、移り変わった。

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