深淵より ②

 洞窟の深奥で長い眠りに付く竜。

 竜は世界に変化があるその時まで、ずっと眠り続けている。

 変化がある時まで、十年でも百年でも眠り続けるのだ。


「……」


 前回の目覚めから、まだそれほど時間は経っていない。

 文明が出来るのも、新たな知性体が出現するのにも時間が早すぎる。

 それとも、世界に何かしらの変化があったのか。

 竜は、重い瞼をゆっくりと開いていく。


 何だ?前回目覚めた時からそこまで時間は経過していない筈だ。

 それとも、いつの間にかもう何十年も経っていて、変動でもあったのだろうか?

 特にそのような気配は感じられないが…… だが

 なんだろうこの感覚。

 不思議な違和感。


 竜はやや寝惚け気味のぼんやりとした頭で考えていた。

 前回眠りに付いた時から僅か数年しか経っていなかった。

 だが、永遠の命を持つこの竜は、人間のようにいちいち時間を数えていたりはしない。

 ましてや眠っている間に過ぎた、時の経過など分からない。

 人間のような自然死の無いこの竜が誕生してから、ゆうに1万年を超える時間が経っている。

 千年を超えるまでは自分の年齢を覚えていたが、いつの間にか年齢を数えるのを止めた。

 もしかすれば2万年生きていたのかも……


 幾度となく文明が生まれ滅びゆく過程で、竜種の中でも自分は特別で、とてつもなく長命である事は知っていた。

 故に年齢を数える事に意味を見いだせなくなっていたのだ。

 竜は一度眠りに入ると、世界に変動が起こった時か、もしくは我が身に危険を感じた時以外には目覚める事は無い。

 だが、最強である竜の身に危険を与えられるあらゆる存在などある筈もない。

 危険を回避する為にではなく、無意味に眠りを妨げられないように、この洞窟には幾重にも厳重な結界が張られている。

 怪物はおろか、虫すらも入ってくる事は不可能なのだ。

 にも拘わらず、この不可侵の洞窟の中で動く者がいる事に竜は違和感を覚えていたのだ。


 やはりおかしい…… 決して、誰も踏み入る事など出来る筈も無いこの洞窟に、

 奇妙な生命反応だ。それとも自然現象か?

 おかしい。いつの間にか深く眠り過ぎて結界を解いてしまっていたのだろうか?


「……」


 いや、結界は機能している。なのに何だこの感覚は?

 この世界には、知的生命体など居ない筈だし、万が一居たとしても私の結界を破れる訳が無い。

 やはり自然現象か?それとも、この洞窟内であらたな生命が生まれたのだろうか……?


 少し冴えてきた頭で、竜は洞窟内の魔力を探知する。

 竜がその気になれば洞窟内に限らず、この世界のありとあらゆる場所での魔力変動を探知する事が出来る。


「やはり、魔力反応は無い……」


 魔力変動は感じない。

 魔力を持たない生命体など存在しない。

 故に、洞窟内にある何かは生命体では無いという事を指す。

 生命反応の無い、動く存在。

 だが…… 漂ってくる有機物の匂いが、コツコツと響いてくる音が、私の特別な全ての感覚器が、確実に何かが近付いているのを感じていた。


 恐怖は無い。

 例え何が現れようと、私に危険を与える事の出来るものなど存在しない。

 例え世界が、未曾有の天変地異で破滅しようとも、私に死を与える事は出来ない。


「なんだと言うのだ。久しぶりに興味が湧く。」


 恐怖などよりも、私の結界内で自由に動いているその正体に深い興味を抱く。


「しかし、臭う。なんだこの悪臭は……信じられんが、どうやら生命体のようだ。しかし、この酷い悪臭には耐えられん。く…… 鼻が曲がりそうだ!」


 恐怖は無いが、興味はある。

 だが、得体の知れない何かに大しての若干の不安も感じる。

 それに、このどんどん強まってくる血生臭い匂いも不快だ。

 興味はあるがあまり良いモノでは無さそうだ。


「ならば……この洞窟より去るがいい……」


 弱く《威圧》の力を使う。

 これで、この生命体は私に恐怖を感じて引き返すだろう。

 まともな生命体だったならば、に調査すれば良いだけだ。


「ん?信じられん。まだ来ると言うのか……」


 不思議な何か、は若干の戸惑いを感じたようではあったものの、すぐに歩みを初めて再びこちらへと近付いているようだ。

 悪臭は更に強まってくる。

 生物の死骸が腐敗したような、嫌な匂い。

 なにかは分からんが、私にとって決して良いモノでは無さそうだ。それに、もうこの匂いには耐えられん……


「むぅ……」


 私が本気で《威圧》すれば、大半の生物はそのあまりの強大な魔力にあてられ、心臓が強制停止させられる程の威力を持っている。

 だが、いくら強烈な悪臭を振りまく正体不明のだとしても、無意味に生命体を殺すのは不味い。

 こいつが将来文明を築く存在だとして、最初の一人目を殺す訳にはいかない。

 何故ここに迷い込んだかは知らないが、身体の自由を奪い、ここから追い返すぐらいの恐怖を与えるぐらいなら大丈夫だろう。

 そして私は、《威圧》の力を強めた。

 が……


「……!?なんだと」


 思わず私は絶句する。

 まだ本気では無いとはいえ、かなり強めに威圧の力を使ったにもかかわらず、生命体は引き返すどころか更にこちらへと迫ってくるのだ。

 何者なんだ? この時代に私の《威圧》が効かない程の存在が生き残っていたとでも言うのか?

 いや、それだったら前回の調査で発見している筈。まさか、私の魔力探知を掻い潜ったとでも言うのか?有り得ない。そもそも、コイツには魔力自体が感じられない。何かしらの自然現象か?

 いや、だとしたらこの吐き気を及ぼす程の悪臭の説明がつかない。何だ?何が来たというのだ?


 私は数百年ぶりの激しい混乱に陥った。

 いや、数千年だったかも知れない。

 この世界のありとあらゆる事象を体験していると思っていた私にとっても、このような正体不明の存在は初めての経験だったのだ。


「面白い…… 何かは分からんが私の結界を超えてくる臭き者よ。来るがいい。その正体を確かめてやる!」


 竜はムクリと起き上がった。

 数年ぶり動いた巨大な体躯のせいで頑丈な石畳がミシミシと音を立てていた。

 この距離までくると、悪臭だけではなく足音や息遣いまでもが広間へとハッキリと響いてくる。

 テクテク。テクテク。と不気味な程に規則正しく。


「来たか……」


 足音や響きから、は二足歩行で人型サイズの生命体である事は分かっている。

 知能があるかどうかは別として、魔力も持たぬ人型の生命体に遭遇するのは長い時を生きた私にとっても初めての経験になる。

 久しぶりに興奮して緊張状態にある自分に驚いている。


「……」


 そして、この広間に入る唯一の洞穴から、激しく目に染みる程の悪臭を身にまといながらは現れた。




✩.*˚序章 完✩.*˚


読んで頂きありがとうございました。

これより第一章に続きます。

もし少しでも興味を持って下さった方は評価とブックマークのほど、よろしくお願い致します。

m(*_ _)m


















 

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