第25話 死者と花束 -後編-

 代わりに見えてきたのは、まるで古い映画のようなモノクロームの景色だった。音は聞こえないが肌に触れる《竜骸ドラガクロム》の装甲の感覚だけは感じとれる。

 団らんの風景。目に前にいるのは母親、だろうか? そこだけセピアの色がかかっているのは親しいものだからか。熱い感情がこみ上げてくる。


「シズク。深入りするな」


 その言葉で自分が死者の感情にまで同調しかかっていたことに気がついた。


「あまり死者の思い出に踏み込むな。それは不敬だし――何よりも危険だ」

「ああ。すまない」


 寂寥感に苛まされながら、無理矢理感覚を引き剥がす。

 と、同時にいきなり場面が切り替わった。めまぐるしく流れる風景の片隅に巨大な樹木。そして土煙とアピス。

 最後の戦いの場面だと気がつくのに時間はかからなかった。激しい怒りが考える間もなく、そうだと教えてくれた。

 見慣れた空での戦いではなかった。

 地上に降り立っての白兵戦。それだけで起こっていることが異常だということがわかる。

 基本的にアピスは地上に降りることはないし、それを迎撃する《竜骸ドラガクロム》もまた、地上で戦うことはほとんど無い。

 音が聞こえないのは幸いだった。

 モノクロの世界の中で、逃げ惑う人々に小型のアピスが襲いかかっている。見覚えの無い種類だった。スカイナイツで見たものや、トゥーンで戦ったどのアピスよりも小さいのに獰猛だ。

 ただ、エイリンたちから事前に聞かされていたように数はそれほど多くは無いようだった。これならば、かろうじて対抗は可能な気がする。騎士たちがほぼ全滅してしまうというほどの強さとは思えない。


『……なんだ、これは』


 セレスティーナの独白が脳裏に響く。セレスティーナは別の騎士の視点から戦場を眺めているらしい。記憶の追体験なので視界を動かせないのがもどかしい。

 そうこうするうちに、シズクが追体験している騎士は10匹ほどのアピスを屠っていた。足下を樹下の民が駆け抜けていくのを見て、安心感が沸き上がる。

 が、それに浸るのはまだ早い。

 そう思い直して、別の場所を見る。

 そして視界に飛び込んできた光景を見て、シズクの――シズクが重なっている騎士の感情が一気に沸騰した。意識が憤怒に塗りつぶされるのを感じる。シズクの意識も共に。

 それが騎士の記憶に引きずられたものなのか、それとも自分のものなのか。その区別をつけることは難しかった。というよりも区別をつける意味が無いと言った方が正しいだろうか。


「うそ、だろ」


 騎士の視線の先では一人の民がアピスによって、肉団子にされているところだった。それが樹下の民であるのか結晶人であるのか、もはや見分けがつかない。かろうじて人の面影を留めているのは肉団子から突き出た腕や足だけだった。

 出来損ないの雪だるまにイチゴシロップをぶちまけたように、モノクロの中で肉団子を彩る赤だけが異質だった。


「「うがぁぁあああああ!」」


 喉から声がほとばしる。その声が騎士のものなのか自分のものなか、シズクにはよくわからなかった。

 雄叫びが重なり、アピスへと突進して一気になぎ払う。引きちぎれるというよりも爆散するという方が相応しい勢いでアピスの残骸が飛び散っていく。

 見渡せば、そこかしこで同じ光景が繰り広げられていた。モノクロームの肉団子を彩る様々な赤。

 どす黒い赤。鮮烈な赤。少し青みのかかった赤。赤。赤。赤。赤だけがモノクロの世界で激しく自己を主張している。これはかつて生きていたのだと。

 気がつけば、仲間の騎士の姿が減っている。

 どこへ行ったのだ。このような惨状を放置して。

 怒りにまかせて、縦横無尽に戦場――というよりもアピスどもの餌場となりつつある村の残骸を飛び回りがむしゃらにアピスどもに襲いかかる。

 《竜骸ドラガクロム》も騎士自身も傷だらけだが、痛みなどまるで感じなかった。いかに《竜骸ドラガクロム》の防護フィールドが強固とは言え、打撃の衝撃などは吸収しきれるものではない。生き残りの民を誘導する余裕などどこにもなかった。

 ふいにボトリと目の前に赤に塗れた巨大な骨が降ってきた。

 骨ではない。仲間の《竜骸ドラガクロム》の一部だった。おそらくは脚部だろう。歪み砕けて原型を留めていない。

 顔を上げると、そこに明らかに他のアピスとは異なる形態のアピスがあざ笑うように羽音を響かせながら空中に停止していた。

 次の瞬間、アピスが肉薄する。信じがたい速さだった。今までに屠ってきたどのアピスとも違う。

 赤い。

 その化け物じみた複眼も、翅も、胴体も、全てが不吉なまでに赤い。

 ありったけの力を込めて、古竜の牙より削りだした刃を振るう。だが、当たらない。まるで嘲るかのように顎で挟み込まれ、かみ砕かれる。

 信じられなかった。破片が飛び散ったあとも呆然と我を失い、それが命取りになった。六本の脚で挟み込まれ、腹部に強烈な一撃を食らう。尻から突き出た巨大な針の一撃は《竜骸ドラガクロム》の斥力による盾をあっさりと貫いた。

 痛いと思ったのは、針が腹から引きずり出されてからだ。自分の内蔵と共に。

 そのまま地面に投げ出される。暗くなる視界の隅では仲間の一人が首を飛ばされるのが見えた。

 仲間は何人残っているのか。もはやわからない。

 そして、小型のアピスは丸めた人だったものを抱えて悠然と飛び去っていく。後に残っているのは自分たちが屠った小型のアピスの残骸と、仲間の《竜骸ドラガクロム》の残骸。そして民たちの血と脂。

 暗転。全ての感覚が胸の魂結晶へと吸い込まれていく。

 その先は無い。何も、無い。

 それはせめてもの救いだった。


「シズク!」


 強烈な痛みを頬に感じて、目が覚めた。

 目の前には自分の胸ぐらを掴んだままの姿勢でセレスティーナが怒ったような泣いているような安心しているような表情で息を荒らげている。


「あれ?」

「あれ? ではない。死者の思い出に踏み込むなと言っただろう! 危うく死者に連れて行かれるところだったぞ!」


 そう言われて、ようやく自分が死者と危険なほどに同調していたことに気がついた。臨死体験というのだろうか。確かに自分が消えていく感覚があり、未だに残滓というか冷たい痺れが残っている気がする。

 もっとも、死者に連れて行かれて本当に死ぬのか? というのは甚だ疑問ではあるが。何しろ、もう2度も死に戻りは経験している。


「ああ。まあ、そうなっても最悪、基地に戻るだけじゃないかとは思うけど」

「……どうだかな。お前は気がついていないようだが、自分の胸を見てみろ。随分と色が薄くなっているぞ。さっきはもっと薄かった」


 言われて見下ろせば、確かに魂結晶が色あせていた。見る間に元の輝きを取り戻していくのでもう大丈夫のようだが、これは本当に危なかったのかもしれない。

 だが、その危険を犯しただけのことはあったと思う。

 あの女騎士が、なぜその目で確かめろと言ったのかはっきりと理解出来た。言葉で聞かされても理解出来なかったに違いない。

 今さらのように怒りと吐き気がこみ上げてくる。


「それよりも――セレスも見たか?」

「見た」


 真っ青な顔でセレスティーナもうなずいた。未だに視界に赤がちらついている気がする。今いるのは緑の森の中で、頭上には空が青く広がっているというのに。視界から意識から赤が離れない。

 どこまでも不吉な赤いアピス。


「どう、思った?」


 自分の出した答えを口にするのが怖くて、シズクはそうセレスティーナに尋ねた。違う答えを求めて。あれぐらいならば、という答えを期待して。


「あれは……数で押し包んで勝てる相手ではない」


 だが、セレスティーナの出した答えはシズクと全く同じものだった。

 アピスとの戦いと言えば、数に質で対抗するというのが基本だ。

 だが、あのアピスに限っては全く逆だ。質でアピスに勝るはずの騎士が数にモノを言わせても、勝てない。勝つイメージが思い浮かばない。


「とにかく……何もわからん。また襲撃があるのか。あの赤目赤翅が他にもいるのか。そもそもなぜ、小型のアピスは人間をあのようにして持ち帰ったのだ……。よもやとは思うが……いや、まさか。あり得ない」


 あり得ないというよりも、あって欲しくないというのが正解だろう。だが、おそらくはセレスティーナが薄々感づいている通りに違いない。


「多分だけど。そのまさかであってると思う」

「根拠はあるんだろうな」

「根拠、と言えるかどうかはわからないけどな。地球――俺のいた世界にも似たような生き物がいるからさ。もっと小さいけど」

「なんだと!?」


 今までシズクたちがトゥーンで相対してきたアピスはいわばミツバチのようなものだ。明確にテリトリーを侵さなければ攻撃をしてきたりはしないし、動物を襲うこともない。

 それに対して、騎士の記憶で見たアピスはスズメバチによく似ている。獰猛で動物を襲いそれを餌とする。同じ蜂でもいくつもの種類に分かれている。アピスもおそらくはそうなのではないか。

 あれはトゥーン人や樹下の民を餌とする、食物連鎖の上位の種と考えた方がおそらく正しい。その脅威はこれまでのアピスの比では無いはずだ。

 シズクがそう説明すると、セレスティーナは真っ青な顔でうめき声をあげた。


「シズク。もし、あのアピスがお前の言うような動物を餌とする別種のアピスだとすると……この避難所も安全では無い。必ずいつかは狙われる。いや、ここだけではすまないだろう。カミラのところへ戻るぞ。これからのことを決めなければならん」


 セレスティーナは色を失った魂結晶に再び祈りを捧げ、恭しく丁寧に懐へとしまい込んだ。

 その時だった。強い風が吹き抜けて、セレスティーナの濃緑の髪をなびかせたのは。続けて《竜骸ドラガクロム》の斥力場ジェネレーターの唸る独特の駆動音が響きわたる。

 音の方向を見上げれば、2機の《竜骸ドラガクロム》が空へと舞い上がるところだった。手には抜き身のトゥーン人の武器。竜骨の剣が青白い輝きをまとわりつかせている。


「シズク!」


 それだけを叫ぶとセレスティーナは勢いよく森の外へと駆けだした。

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