第27話 口説くべき標的は、悲しげにベンチに座っている

 ······私は大股で歩き、ある目的地に向かっていた。それは、芝生公園と池の間にある場所。鶴間君と北海君が座っているベンチだ。


「六郎。あんたでしょう? 南先生に私とユリアのやり取りを教えたのは」


 私は隣で一緒に歩く「理の外の存在」の非正規雇用社員に話しかける。あの時、私とユリアの前に現れた南先生は、明らかに私とユリアの会話を知っていた様子だった。


 事情を知らぬ者が見たら、あれはどう考えても私がユリアに一方的に暴行を加えていた現場だ。


「ああ。お前とユリアを探し回っていた南教師の頭の中に、お前達のやり取りを全て送った。彼はそれを不審に思わない様に調整したから心配するな。まあ、俺の許されている権限のギリギリ範囲内って所だ」


 私は六郎の「権限」と言う言葉を聞き、場違いな可笑しさが込み上げて来た。以前、六郎は組織の先輩である玲奈に向かって規則違反を厳しく追求した。


 長い金髪に茶色いサングラス。派手な外見とは裏腹に、六郎は生真面目なのだ。そんなギャップに私は一時的に心が安らいだ。


 ユリアは南先生に託した。南先生なら、ユリアのフォローをしっかりやってくれるだろう。


 私は緩みかけた思考を切り替える。作戦は佳境に入って来た。残るは鶴間君だ。鶴間君に告白させる。相手は失恋に落ち込む北海君だ。


「六郎。同じ手法で鶴間君にも知らせて。ユリアが改心した事を」


 私は急に思いつい事を六郎に話した。六郎は首を傾げその理由を聞いてくる。


「鶴間君はユリアに脅迫されていた。もしかしたら、北海君への告白に影響するかもしれない。不安要素は可能な限り減らしたいの」


 私の返答に暫く思案した六郎は、了解したと頷く。


「不安要素って言葉で思い出したが、鶴間徹平のアンタへの現段階の点数を言っておくぜ。今の点数は······」


「止めて」


 言いかけた六郎を私は即座に静止した。


「六郎。今更その点数を聞いても意味は無いわ。点数がどうあれ、作戦は最後まで実行するんだから」


 私は以前からこの点数を聞く度に違和感を感じていた。それは、人の心を盗み見る罪悪感からかもしれなかった。


 人の気持は点数などで数値化出来る物では無い筈だ。ううん。数値化なんてしてはいけない物よ。


 人は。人の気持ちはそんな単純な構造で作られていない。六郎は私のこの言葉を作戦への強い決意と捉えた様だった。


 それでいい。私は心の中を冷たい悪意で染めていく。私はこれから、確実に失恋する人を眺めに行く。


 そしてその人の失恋に乗じて、私は心の傷に寄り添う真似をする。悲しみに暮れる鶴間君は正常な判断がつかず、私の口先三寸に籠絡される。


 ······考えただけで私は吐き気がしてきた。人の気持ちを利用する徹頭徹尾最悪の行為だ。


 でもいいの。醜く不細工な私にはお似合いの作戦よ。程なくして六郎に教えられた場所に私は辿り着いた。


 そこは芝生公園と池の中間地点にある小さな広場だった。鶴間君と北海君は木製のベンチに座っている。


 私は飲料水の自動販売機に隠れ、素早く鶴間君のスマホにラインメッセージを送る。


 鶴間君は自分のスマホをポケットから出し画面を見た。そして私が身を隠す自動販売機の方角を見る。


 私と鶴間君の視線が交錯する。私は大きく頷き、鶴間君に行動を促す。鶴間君も不安そうな表情ながら小さく頷いた。 


「······ノブ。まだ失恋のショックで動けない?」 


「······失恋ってヤツがこんなにもしんどいとは思わなかったな」


 私が潜む自動販売機とベンチはかなり距離があった。にも関わらず、鶴間君と北海君の会話が私の耳に届いた。


 私は隣の六郎を見る。六郎は無言のまま目で答えた。間違い無い。これも六郎の仕業だ。


「······徹平。暫く一人で歩いてくる」


 北海君はベンチから立ち上がり、そのまま歩き出そうとした。


「······ノブ!!」


 鶴間君も立ち上がり北海君の名を叫んだ。私の胸が急に苦しくなる。始まる。いよいよ鶴間君の失恋がこれから。


「······ノブ。覚えている? 僕が太っていた頃、いじめられていた僕の味方はノブだけだった」  


「······何言ってんだ? 徹平。お前は太った事なんて一度もねえだろう?」


 突然の鶴間君の過去の話に、北海君は意味が分からないと言った表情だ。鶴間君は小学生の頃、組織が課した過酷なダイエットをやり抜き本来の姿を取り戻した。


 太った身体から今の容姿に変わった鶴間君。彼の周囲の人達の記憶は書き換えられた。最初から鶴間君がイケメンだったと言う記憶に。


 北海君の記憶にも鶴間君が太っていた事実の記憶など残っていない。鶴間君もそれは承知の筈だ。


 では何故、鶴間君はこんな事を口にしたのか?


「······あの頃の。太っていた僕の世界で唯一味方だったのがノブだ。ノブが僕の世界の全てだった」


 ······鶴間君の一語一語が、鶴間君の心の底に溜まった想いと共に北海君に向けられている。


 ······儀式だ。これは鶴間君の儀式なんだ。これから北海君に想いを伝える前に、過去の自分がどれだけ北海君に感謝していたか。


 それを先ず北海君に告げないと、鶴間君は先に進めないからだ。だがら鶴間君は敢えて北海君が忘れている過去の話を口にした。


「······僕はね。僕は。僕はノブの事が!」


 それまで俯き加減だった鶴間君が、意を決した様に顔を上げた。その視線の先に想い人である北海君が鶴間君を見ていた。


 私は息をする事も忘れ、その光景を。告白の瞬間を目撃しようとしていた。


「バーカ。何言ってんだか知らねぇけど。徹平。お前が太っていようと。どんなツラをしてようと変わらねぇよ。お前は俺の友達だ」


 ······張り詰めた私の周囲の空気に変化が生じた。耳が痛くなるような静寂。まるで時間が止まったかのように。


 否。そう感じたのは私一人だけだったのかもしれない。


 北海君のその一言に、鶴間君は彫像の様に固まり未動き一つしない。私の胸は激しく鼓動を鳴らしていた。


 北海君はそのまま鶴間君に背を向け歩いて行く。


 ······変わらない。やっぱり北海君は何も変わらないんだ。鶴間君の容姿が秀麗でも醜悪でも。


 北海君は不変の友情を鶴間君に向けていた。それは鶴間君にとって何物にも変え難い無形の希望だ。


 でも。それでも。友情とは異なった気持を北海に抱いた鶴間君にとって、北海君の真摯なその言葉は残酷な返答と変わり果てた。


 私の視界に一人ベンチに残された鶴間君の背中が映る。今の鶴間君はどんな気持ちなのだろう。


 気持を打ち明けようとした相手は、一片の悪意も無く誠実に友情を表明した。友情と言う名の高くそびえる高い強固な壁を、鶴間君は乗り越える事が叶わなかった。


「······小田坂ゆりえ。顔色が最悪って位に悪いぞ。大丈夫か?」


 六郎の心配そうな声に、私は無音の世界から喧騒が支配する世界に戻った。今、私はどんな顔をしているだろう。


 人の気持を良いように利用し弄んだ。全ては自分の目的を果たす為のさもしさからだ。きっと今の私の顔は醜いだろう。


 外見の醜さに加えて、心に泥も塗り増しされた哀れな程汚い顔だ。でも。それでも。私は鉛の様に重くなった両足を動かし始める。


 まだ、最後の仕上げが残っているからだ。報われなかった恋心。鋭利な刃物で切り裂かれた鶴間君の心に中に、私はこれから土足で足を踏み入れる。


 そして強盗の如く弱りきった心を踏み荒らし、悲しみに暮れ冷静な判断を下せない鶴間君を口先一つで騙すように口説き落とす。


 私がこれから演じるのは、世にも醜い小太り女の詐欺師だ。事前準備は抜かりなく万端だ。


 騙す相手は可哀想な位に肩を落としている。今なら。この時なら目的を必ず達成できるはずだ。


 その時、私の肩に誰かの手が触れた。私は振り向きもせずに足を止めた。


「······もういい。小田坂ゆりえ。今日の作戦は中止にしよう。アンタはもう限界だ。顔を見れば分かる」


 六郎の声は、今までに聞いた事が無い位に真剣に聞こえた。私は短く失笑して見せる。


「冗談言わないで。六郎。私が本来の姿に戻れるチャンスが目の前で転がっているのよ? それを見逃す理由なんて一つも無いわ」


 私は感情を押し殺し、可能な限り平静を装う。


「強がるなよ! 俺の見通しが甘かった。小田坂ゆりえ。アンタは他人の心を利用するには余りにも善人過ぎた。これ以上は駄目だ。アンタの心が壊れちまう!!」


「綺麗事を言わないでよ!!」


 私は肩にかかった六郎の手を乱暴に振り解いた。

 

「私がこの容姿のせいでどれだけ辛い思いをしたと思っているの! これも全てあんた達「理の外の存在」の責任じゃない! 私は本来の。本当の姿を取り戻して人生をやり直すの! それを邪魔しないで!!」


 私は獣のような形相で六郎を睨みつける。六郎は悲しそうに。切なそうに私を見つめていた。 


 私は再び標的が座るベンチに向かって歩き出す。六郎が苦しそうに最後の台詞を搾りだす。


「······心が苦しくても。壊れそうになっても。それでもアンタは変わりたいのか?」


 私は後ろを振り返らず歩き続ける。そして冷たく言い捨てた。


「そうよ。私は変わる。その為に私は今日ここに来たの」


 そして目的を必ずやり遂げる。鶴間君を口説き落とす。


 六郎を妹の元へ。元の世界へ帰還させる為に。









〘······自分の殻に閉じこもる。その殻は、この世界の悪意と失望から私を優しく守ってくれる。だが、その殻の中は空虚で寂しい場所でもあった。


 誰かの為になら、人はこんなにも変われる。こんなにも勇気を持てると私は知った。それは、殻の外の世界に一歩踏み出す決意を私にくれた。


 ぬるま湯の殻の内の世界とは異なり、外に出れば傷つき涙に暮れる危険が付きまとう。でも。それでも。私は外の世界にこの身を置きたい。そこがどんなに厳しい世界でも。貴方の隣に居られるのなら〙


         ゆりえ 心のポエム


 

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