第23話 腹を括った小太りは、手段を選ばない

 六月最後の土曜日。男女六人を乗せた白いミニバンが国道を走っていた。早い時間に出発した事が幸いし、土曜日ながらまだ道はさほど混んでいなかった。


 小太りな身体にシートベルトを食い込ませながら、私は車内に満ちる異様な雰囲気を察していた。


 レンタルカーを出してくれ運転席に座る南先生。助手先で南先生をチラ見しながら頬を赤らめる大山さん。


 中列に座り、その大山さんを意識する北海君。その北海君を隣で冷やかす鶴間君。後列に座る私の横では、ユリアが私の手を握っていた。


 ······この五人の気持をほぼ把握していた私は、複雑な胸中を微塵にも見せず平静を保っていた。


 ······皆。今日は只の楽しい日帰り旅行じゃないのよ。今日この日。この複雑に絡み合った人間関係を精算する日なのよ。


 どんな阿鼻叫喚的な結末が待っているか容易に想像できるわ。でも私はやって見せる。


 誰が傷付こうと。苦しもうと! 泣きわめこうと! ふ。ふふふ。腹を括った小太りなブスに怖いものは無いのよ!!


 皆、覚悟しておきなさい。今日は全員大変な目に合うから! ふはははっ!!


『······おい。小田坂ゆりえ。不気味な笑い声が微妙に口元からダダ漏れしているからな』


 六郎の声が心の中に響く。おっと。危ない危ない。口を閉じておかないと。ん? 六郎の姿が見えない所を見ると、車の屋根にでも座っているのかしら?


 「理の外の存在」と名乗る組織の正規雇用社員である玲奈さんが私の前に現れて以降、突然やる気を出した私に対して六郎は怪訝な表情を隠さなかった。


 とにかく日帰り旅行までの二週間。私と六郎は綿密に打ち合わせを行った。その私の熱意が通じたのか、六郎の私に対する不審感はいつの間にか消えていた。


 今日この日。私が鶴間君を見事に口説き落とせば、六郎はお役御免で元の生活に戻れる。それは、同時に六郎とお別れという事を意味していた。


 六郎の事だ。軽く「じゃあな」って挨拶して消え去るのだろう。それでいい。それでもいいから六郎には六郎の目的を達成して欲しかった。


 気象予報では夜から雨の予報が出されており、いよいよ関東は梅雨入り間近だった。物憂げになる雨の季節の前に全てに決着をつける。


 「痛いよ。ゆりえちゃん」とユリアに言われるまで、私は無意識の内に手のひらに力を込めていた事に気づかなかった。


 車中の外に見える空は薄い雲が広がっていたが快晴と言って良かった。長いカーブを曲がると、女子達の弾んだ声が起こる。


 窓の右手に湘南の海が見えて来たからだ。風も優しく吹き。海は穏やかに波をたゆまなく揺れさせ、その水面には薄く広がった雲を乗り越えて届いた太陽の光が反射していた。


 時間は午前十時。海岸の直ぐ後ろ手には大きな市民公園があり、公園で昼食を摂り、その後は海でゲームと花火を楽しむ予定だった。


 国道沿いにある駐車場に車を停め、私達六人は公園に足を踏み入れる。左右をイチョウの木に囲まれた茶色い煉瓦の石畳の道を抜けると、一面芝生の広場に出た。


 広大な広場では外縁をジョギングする人。小型犬を散歩させる人。芝生にテントを張る人など、皆それぞれの楽しみ方で時間を過ごしていた。


 私達は木の陰に入る場所にシートを広げ、荷物を降ろして行く。昼食まではまだ時間があったので、それ迄は公園内を散策する事にした。


「荷物は先生が見ておくから、皆は散歩でもしておいで」


 丸縁眼鏡を外し、眠そうな両目をこする南先生が欠伸をしながら私達にそう勧めた。そう言えば南先生。


 いつもより髪の毛の寝癖が酷い。無理して早起きしたのね。南先生の協力的な姿勢に感謝しつつも、私の頭の中は即座に謀略的な事で一杯になる。


「鶴間君。ユリア。ちょっと離れている場所に売店があるから、そこで皆の飲み物を買って来てくれる?」


 私は鶴間君とユリアに芝生の向こうにある売店を指差した。二人は快く了解してくれ、私は北海君と大山さんを公園内にある池に連れ出した。


 ······よし。メンバーを分断する事に成功したわ。鯉と亀が同居すると言う池に向かって歩きながら、私は無言で北海君を見る。


 北海君も私に頷き返す。この日帰り小旅行迄の二週間。私が熱心だったのは六郎との打ち合わせだけでは無かった。


 そう。非リア充のこの私に「相談する相手を間違っていないかしら?」と思わせる程、恋愛相談をしてくる鶴間君。北海君。大山さん達とも密に連絡を取り合っていた。


 そして三人には今日この日。この日帰り小旅行で告白をするように誘導したのだ。鶴間君。北海君。大山さんはの三人は、これから意中の相手に告白する事を決意していた。


 ······先ず第一の犠牲者は北海君。貴方よ! 気の毒だけど北海君。貴方には勝算は無いわ。


 私の見立てでは、貴方は大山さんに振られる。でもね。それが私と六郎の作戦では必要な事なの。悪く思わないでね。北海君。全ては六郎に仕事を完遂して貰う為なの。


 ······私は長身の北海君の大きな背中を眺めながら、以前にも同じ様に北海君の背中を見つめていた時の事を思い出していた。


 あれは雨の日だった。北海君は保護した捨て猫を大きな手のひらで抱き、私はそんな北海君を手にした傘の中に入れ二人で歩いた。


 私の耳に聞こえるのは不思議と雨だけだった。あの時を思い出すと、私の胸の中は少しくすぐったくなる。


 クラスで鶴間君とユリアに群がるクラスメイト達に、机に座る私は左右から潰されそうになった。


 そんな北海君は私に救いの手を差し伸べてくれた。それだけじゃない。北海君は当時太っていた鶴間君を庇い、対等に接した強く優しい人だ。


 猫背で無愛想で強面で。そして不器用な人。何より私の事を「友達だ」と言ってくれた初めての人。


 あの公園で保護した白猫は、現在北海家の新しい家族に加わったらしい。名前は「スリープ」暇さえあれば北海君の膝の上で眠るのでそう名付けられた。


 その光景を想像するだけで微笑ましくなる。あの仔猫はいい飼い主に巡り会えた。それは間違いなく断言出来る。


 ······私はそんな北海君をこれから陥れようとしている。振られると分かっている相手に告白するようにけしかけた。


 私と六郎の作戦に必要な事だからだ。最初に北海君に失恋して貰う。もし北海君と大山さんが上手く行けば、鶴間君は絶対に北海君に想いを伝える事を止める。


 そうならない為にも、先ずは北海君に失恋して貰う必要があったのだ。私は無意識の内に唇を噛みしめていた。


 厚い唇が裂けようとした寸前で私はその痛みに気付く。そしてその瞬間、両目に涙が溜まって行く。


 ······この涙は何? 今更感傷に浸っているの? もう覚悟はしていた筈なのに。腹は括ったと六郎に宣言したのに!


 私は涙腺を必死に堰き止め、自らを奮い立たせた。もう後戻りは出来ないのよ。もう手遅れなの!


 私は小太りな身体を大木の陰に隠した。柵の無い丸い池を楽しそうに覗く大山さんの後ろに北海君が立つ。


 北海君の失恋が、これから始まろうとしていた。










〘まどろみの果ての午睡は、カラスの鳴き声と夕焼けを連れて来る。自分以外無人の家。静まり返った様な外の世界。


 意識が覚醒した瞬間、私はあの発作が襲ってくると本能的に身構える。胃の中が軋む音。


 そこからどう仕様も無い孤独感が全身を蝕む。初めての事では無い。時折私の心を荒らす招かざる客だ。


 人と上手に関われない自分。人間の本質は孤独。世の真理を看破した哲学者を気取り一匹狼を演じていても、招かざる客はそんな私を一笑に付し耳元で囁く。


 寂しいだろう? 孤独だろう? この世にたった一人で存在しているみたいだろう? と。最近のこの招かざる客の言葉には、辛辣さに加えて悪意も混ざってきた。


 お前はこの世で無価値な存在だ。招かざる客のその毒舌に私は耳を塞ぐ。この客をやり過ごす方法は分かっていた。


 ただ待つのだ。招かざる客が帰って行くのを。それをひたすら待てばいい。私の心に絶望感と言う名の足跡を残して、やがて招かざる客は去って行った。


 寂しさや孤独感を感じる事を悲観する必要は無い。それは社会と繋がりたいと欲している健全な精神だ。


 誰かが言っていたその言葉を、私は頭の中で呪文の様に何度も繰り返していた〙

         

         ゆりえ 心のポエム


 

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