翼の折れた天使の子へ

総督琉

翼の折れた天使の子へ

「リーダー。お先に失礼します」


「お疲れさま」



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 真夜中の十二時。

 一人の女性が、バイトが終わり家へと帰宅をしていた。

 黒淵のハンドバッグを右手に提げ、長い黒髪を優雅になびかせている。左手にはスマホを持ち、知人からのメールの確認をしている。

 そんな何気ない日常を破壊しに、一人の男が背中に翼を生やし、現れた。


「ねえ、餌になってよ」


 人気のない石畳の塀で囲まれた裏道。

 そこで女性の行く手を阻んでいたのは、右の肩甲骨から真夜中でもはっきりと見える真っ白い翼であった。大きさは狐の面を被ったその男と同じくらいだろう。


「な、何!?」


 女性は思わずスマホをハンドバッグにしまい、男の翼に目が釘付けになっている。


「美味しそうだな。俺の相棒がお前を喰いたいって言ってるんだ。なーのーでー、いただきまーす」


 男は女性へと駆け寄り、体を一回転させて翼を女性へ直撃、


「させねーよ」


 仮面をつけた一人の少年は、両方の肩甲骨から生やした巨大な蛇のような翼で男の翼を受け止める。少年は力を振り絞って男の翼を押し飛ばし、男はそのまま後方へと身をふらつかせた。

 その隙を見逃さず、少年は女性を抱えて連なる石畳の塀の上を駆ける。


「大丈夫ですか?」


 少年は優しく声をかける。女性は物事を理解できないでいるも、小さく「大丈夫……」と返事をした。

 背後に気配を感じた少年が振り向くと、自分と同じようにして塀の上を走って追ってくる男がいる。少年は背中から蛇のような翼を生やし、その蛇の口から空気砲を発射する。


「はあぁぁぁ」


 男は翼に力を込め、空気砲を翼で弾いた。


「ちっ。相変わらず化け物じみているな」


 少年は汗を額からこぼし、民家の上の屋根瓦の上を駆ける。


「こうなったら、とことん付き合ってやるしかないな。リーダー、家はどっちですか?」


「え!?」


 リーダー。

 その言葉に、彼女は思わず反応してしまう。

 その反応を見て、少年はしくじったとばかりに頭を抱える。


「ねえ。もしかして君って……」


 女性が何かを言い欠けた途端、背後から飛んできた白い一枚の羽根が少年の肩へと刺さった。少年はお姫様抱っこしている彼女を手離し欠け、すぐの力を入れ直して再び塀を走る。


「大丈夫?」


「はい……」


 少年は弱々しい声で返事をした。

 少年は駆け、塀を走る。だがしかし、男は執拗に追う。


「いい加減に捕まっていろ。『カタルシスの追憶』」


 男が少年へと手をかざすと、少年の心臓にはまるで刀が刺さったような激痛が走る。その痛みに耐えつつ、少年は男へと手をかざす。


「『暴風』」


 男に暴風が吹き荒れ、男は真下にあった屋根瓦へと落下した。その隙を見て、少年は一つのトンネルへと入った。


「リーダー。逃げてください」


「君も一緒に……」


 女性は少年の手を引っ張る。だが少年は壁に背をつけ、力が抜けたように座り込んだ。


「大丈夫?大丈夫?大丈夫?」


「大丈夫ですよ……。それよりもリーダー。速く逃げてくださいよ。でないと、僕の本気を出せないじゃないですか……」


 心配する女性をこれ以上心配させまいと、少年は強がり、震える足を無理矢理立たせた。


「一緒に逃げるよ」


「無駄です。『カタルシスの追憶』からは、誰であろうと逃れられない。それに『カタルシスの追憶』を発動した者とされた者の距離が離れれば、された者、つまりは僕に激痛が走るんです。だから僕は逃げられない。リーダーだけでも逃げてくださいよ」


「でも君は……」


「リーダーに死なれたら困るんですよ。これからも僕みたいな新人がたくさん入ってきます。だからリーダーには指導をしてもらわなくては。なのでリーダー、生きてください。それに僕は、あんな奴らには負けませんよ。だから安心して逃げてください。ここからは、"僕のターン"です」


 そんな長話をしていると、男が少年の居場所に居場所に気づき、少年の前へと現れた。少年は背中に生やした二体の蛇を操り、目の前の男を威嚇するように蛇を自分の正面へと構えた。


(リーダー。僕は弱いから、だから命を懸けないと、リーダーは救えないんです。だけど安心してください。僕はリーダーのためなら命を張れるんです。だから……)


「翼の折れたお前には、俺を倒すことはできねーよ」


 狐の面を被った男は神々しい羽を広げ、少年の前へと降りた。


「お前じゃ何も護れない」


「いいや。護ってやるさ。何もかも」


(もうあの頃の僕じゃない。何もできない僕じゃない。だからああぁぁぁぁ、僕は、)


 少年は己を奮い立たせ、ボロボロの体で立ち上がった。


「おいおい。翼の折れたお前に何ができる?その後付けの羽じゃ、俺には勝てねーよ」


 男は少年へと一瞬で近づき、右足を軸として回転して神々しい羽で少年をすぐ脇の壁へと激突させた。嗚咽を吐いて少年は壁へとひれ伏す。


「では、彼女を喰らおうか。これほどまでに旨そうな女は、久しぶりだよ」


 男は女性へと歩み寄る。が、しかし、少年は傷だらけの体で男の前へと立ちはだかる。


「失いたくないんだ。もう二度と、何かを失うのは御免なんだ」


 少年は叫び、背中に生えていたはずの蛇が抜けるようにして落ちていく。


「はははっ。とうとう偽物の翼も落ちたな。これでお前はおしまいだな」


 男は高笑いをし、天へと両手を掲げた。すると男の手には純白の光が宿り、天から白い光が男の手へと注がれる。


「神すらも俺に味方をする。つまりは、俺にお前は勝てない」


 男の両手には純白の光の球体が広がり、その手を少年へと向ける。

 男は沸き上がるような笑みを浮かべ、純白の光を少年へと放った。


「さようなら。『天裁ジャッジメント』」


 純白の光が少年へと注がれる。だが、それを女性が全身でかばう。


「ねえ。私はリーダーとして、新人くんたちを護らなきゃいけないんだよ。だからさ、私に君を護らせて」


 彼女は顔だけ少年の方を向き、笑顔で少年にそう言った。ぎこちない笑みが純白の光に照らされ、そして女性は純白に染まった。


「り、リーダー」


 純白の光に包まれた女性は、その光が消えるとともに消失した。少年は女性へと手を伸ばすも、その瞬間に女性は消えてしまった。

 雨が降り始め、少年はその雨音に苛立ちを痛感する。


「きっと、きっと、もっと良い選択肢があったはずなんだ。だというのに、どうして僕はこんな惨めな選択しかできなかった?どうして、どうして、どうして、どうして……」


 固いコンクリートの地面を叩き、少年は自分の弱さに胸を苦しめる。

 自分が強ければ、きっと彼女を救えた。

 その時、少年の目は黒く染まった。


「悪魔にでもなってやる。たとえ悪魔になろうとも、僕はお前を、許さない」


 少年の体から放たれる禍々しいまでのオーラ。

 黒くどよめく霧が周囲へ漂い始め、男は少年の姿を見て驚きのあまり体を震わす。


「お、お前……!?」


 だが既に少年などどこにもいない。

 今男の前にいるのは、ただの"悪魔"である。


「ふふふっ。これでお前を、八つ裂きにできる」


 少年の背中には漆黒の羽が二枚生え、黒い羽根が風に揺られて周囲を漂っている。その黒い羽根ですら異常なまでの殺気を纏い、男はその殺気に囲まれて身動きがとれなくなる。


「おいおいおいおい。俺は……こんな化け物を怒らせてしまったのか!?」


 男は震えすぎて足が崩れ、固い地面にしりもちをつく。


「『白光ハクア』」


 男の手から白い光が放たれ、少年へと降りかかる。だがその光が少年に触れた瞬間、光は闇に染まり、黒い液体となって地面へ落ちた。その液体はマンホールへ吸い込まれ、消えていく。


「『激痛ブラック』」


 少年は男へ手をかかげた。すると男の全身に激痛が走り、男は痛みで体を横たわらせた。


「なあなあ。お前、死んで」


「や、辞めろおおぉぉぉぉぉおおぉぉ」


 少年は横に腕を一振り。すると男の首は跳ね飛び、黒い液体となってマンホールへと吸い込まれていった。

 そして陽が出始め、少年は光に照らされた。それとともに、少年を黒く染めていた闇は浄化され、気体となって消えていく。

 少年の目の色は戻り、周囲を見渡す。


「ああ。僕……やっぱ何も、救えないじゃないか。結局僕は、弱いままじゃないか……」


 少年は壁に背をつけ、脱力したように座り込む。


「やっぱさ、生きるのって、辛いなー」


 少年はトンネルの中で、見えないはずの空を見上げ、瞳から一滴の雫をこぼした。


「ごめんね。リーダー」


「なーにを泣いているんだ?新人くん」


 その声は、少年には聞き馴染みのある声であった。

 少年は振り向いた。


「なあ、知っているか?人とは、弱い生き物なのだ。だからさ、そう悔やむなよ。新人くん。そういえば、私は君に伝えたいことがある。」


「はい、リーダー。何でしょうか?」


「私は君を、愛しているぞ」


「はい。それは僕も同じです」

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