染めゆく夜明けに

あやえる

第1話

 時は大正。  

 歳は十六。

 私の名前はお染でありんす。

 私は、殿方を知らない。 

 でも女なのさ。


 誰よりもしあわせな女なのさ。


ーーーーー


 なんで殿方を知らない私が「お染」という源氏名を持っているって?それは、私の右の頭から脇腹にかけて大きな赤い染みが広がっているから。それで姉さんが名付けてくれた。


 私は四つの時に吉原に売られてきた。

 雪の降る日だった。

 姉さん曰く、相当貧しい家の生まれだったらしくら頬は痩せこけ、肋骨が浮いていたそうだ。さらに身体は垢だらけで被れていて、かなりの異臭を放つ子供だったらしい。


 姉さんは当時六つ。禿をしていた姉さんは、売り飛ばされてきた私の面倒を見るように女将さんに言われたそうな。

 それでとりあえず風呂に連れて行かれた。うちの店は安所だから女郎達の憩場と風呂場は一緒の様なものだった。

「見てご覧よ!子供が子供の世話をしているよ?」

 女郎達は姉さんをからかった。

「うるさい!今に見てな!店に出られる様になったらアンタらなんかの売り上げなんてあっという間に抜いてやる!」

 女郎達がケタケタと笑っていた。姉さんの私の身体を擦る力が強くなるのがわかった。私は店に着いた時からずっと泣いていた。いや、家に商人が来て、家族から離されてここまで来る道中も、もう親に会えないさみしさと不安でずっと泣きながら歩いていた。

「痛い!痛いよ!帰りたいよ!」

 私は、声を大きくして泣いた。

「うるさい!アンタの臭いと垢がこびりついて普通に擦ったんじゃ落ちないんだよ!我慢しな!」

「痛い!痛い!おかあさーん!」

 とにかく大きな声で泣きじゃくった。女郎達がより声を出して大笑いした時、姉さんが風呂の湧きたてのお湯を垢を落とす為に私にかけた。その日は雪だったからいつもよりお湯はとても熱く、沸騰に近いものだった。もともと垢で被れて、強く擦られていた所に頭から熱湯をかけられた。物凄く熱くて痛くて、私は悲鳴を上げてそのまま気を失った。目が覚めたら、この頭から脇腹にかけて大きな火傷となっていて、今もそれが赤い染みとなっている。だから源氏名が「お染」。


 皮肉なものでしょ?


 こんな見た目だもの。


 吉原には、醜女過ぎて店の掃除や食事の準備しかさせてもらえない売られてきても店に出られない女もいる。


 だから女郎と醜女はよく取っ組み合いの喧嘩をしたりしている。


 表舞台で華やかに殿方に抱かれる女と、陽のあたる所に出られないまま殿方を知る事もなく終わる女。


 でも、私は違った。


 この「染み」のおかげだ。


 姉さんは、その後私への罪悪感からか雑用に回された私にこっそり自分の教わった踊りや三味線を教えてくれた。そして、姉さんが始めて女郎として殿方に抱かれる日もその瞬間を覗かせてくれた。私の身体に「染み」がなければ歩むはずだった事を全て姉さん越しに体験させてもらえた。

 その後、あっという間に人気女郎となり、店はかなり潤い出した。

 そして、女将が亡くなると姉さんが店の女将となった。私は姉さんから店の全ての切り盛りを任せられる様になった。だから店に出るのに殿方に買われる事はないが、女郎達よりも上質な着物で殿方をご案内し、雑用はしない。そんな役回りになっていた。いくら「染み」があれど年頃の女に興味を持たない殿方はいない。もちろん店に出ている私を興味本位からかはわからないが、「抱きたい」と言ってくる殿方もいた。しかし、それを姉さんは許さなかった。


 でもそれでよかった。


 私は殿方を知らない。


 でも女としての悦びは姉さんが教えてくれていた。


 いつも店の勘定の話の時は姉さんとふたりきりになる。


 誰にも聞かれず、誰も来ない部屋。


 そこで姉さんはいつも、店の話だけではなくて、心の内をたくさん私に話してくれる。


 私だけが、店だけじゃなくて、誰もが憧れ、誰もが「抱きたい」と懇願される姉さんの、本当の心中を知り、そしていつも話し終わると姉さんは「本当の私を知っているのはお染、あんただけだよ。」と呟いて私に口づけをしてくる。

 そう。姉さんと私はそういう関係だった。

 私は、殿方を知らない。

 でも、姉さんから女郎の世界を見させてもらい、店は私が切り盛り。私は綺麗な体のまま、殿方からは求められても姉さんがいる以上、それが破られる事はない。でも姉さんから誰よりも本当に愛されていて……凄い優越感だった。姉さんが私の染みに触れる度に痛みと快楽でおかしくなっていく自分がいた。


 そんなある日、事件は起こった。

 


  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る