呪殺少女の椅子取りゲーム
約束の時刻に体育館に入ると、汚ならしい殺意を浴びせられた。上等だ。相手のお膳立てはすでに整っているようだった。芝居がかった舞台装置。ステージの上が、
私の敵はステージの下にいた。劇でも眺める観客のように、ステージ正面に置かれたパイプ椅子に、ひとりきりで、ふんぞり返るように座っていた。
ぱちぱちぱち、と拍手の音が響いた。
「ようこそようこそ、クソにも劣る殺人狂いのひとりぼっち女、
こちらを振り返ったその顔は、見慣れた同級生の品性劣悪な嘲り顔だ。呪者の嫌らしさが満面に溢れている。
「演出過剰ね、
しかもやたらと達筆だった。楠守鼎、午前零時に体育館へ来られたし。来ないと殺す、来ても殺す。かしこ。などといった、賢い猿でも書けそうな頭の悪い文面だったが、ともかくも達筆ではあった。しかも丸文字だった。丸文字でかつ達筆だった。奇妙にアンバランスで舌足らずな果たし状だった。
「あんた、ゲームが好きなんでしょ? 魂を賭けた殺害遊びが。決闘を申し込まれたら断らないって、もっぱらの噂だからね。殺意の公衆便所ってね。だから、あんたのために、こうやって楽しいゲームを用意してあげたんじゃない。受け取ってくれるよね、楠守さん。わたしの精一杯の殺意」
悪寒のするような猫なで声で、小林は舐めまわすように
「ええ、もちろん。遊びは人生の花だからね。私がゲーム好きだなんて、だれから吹き込まれたのかは知らないけど。ところで、あなたはあなたの自由意志によって、私を殺そうとしているの? だれかに
最後の確認だ。もっとも、答えはわかりきっている。だれもが自分は意志を持っていると主張する。その真偽をつゆ疑うこともなく。玩具の自由意志。家畜の優越感。クソ忌々しい。
「なに言ってるの? 当たり前でしょう。あんたを殺しても、だれも哀しまないし
パイプ椅子にふんぞり返ったまま、小林茉哺呂はにやにやと笑う。
「――そう。よくわかったわ。あなたがゲスな精神の持ち主だってこともね。小林さん、あなたの申し出、たしかに承った。
「名づけて、椅子取り大罪ゲーム。カモンッ、七人の悪魔!」
ぱちん、と小林が指を鳴らすと、体育館の暗がりから、ぞろぞろといかつい
「おいおい、びびって声も出ないか、楠守鼎? 安心しろよ、いますぐ取って食いはしないから。なんせゲームだからなあー、ゲームだから。あんたが食われるのは、楽しい遊びが終わってからよ。そいつらは、わたしの呼び出した屈強なる悪魔。七つの大罪の霊妙なる
「悪魔? ふーん……悪魔、ねえ……」
「なんだ? 含みのある言い方ね」
「いや、別に。私の知っている悪魔とは、ずいぶん違うなって、それだけの話」
「そりゃそーだろーなあー。おまえが言ってるのは毎日見ている鏡のことだろ? 人の魂ばかり奪いやがって、恥知らずで
「お好きなように。それで? その珍妙な牛頭たちと、椅子取りゲームをやれってこと?」
「そのとおり! 察しがいいねー。察しがいいやつは大好きだよ、殺すけど。椅子取りゲームのルールはご存知?」
「音楽に合わせて椅子のまわりをまわり、音楽が止まると椅子に座る。早い者勝ち。座れなかった参加者は脱落。椅子の数を減らしていき、最後に座れる勝者はひとりだけ。そんなところ?」
「そのとおり! 完璧だ! そしてここには椅子がある! 参加者もいる! 賭け金も揃っている! さて、足りないものはなんでしょう?」
「音楽」
「そのとおり! カモンッ、ミュージック!」
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
聴きなじみのあるフレーズが、ステージ片隅のピアノによって奏でられ、止んだ。バッハの教会カンタータ第140番。『目覚めよ、と私たちに声が呼びかける』。鍵盤の前に座っているのは、妙に細身な黒い影。文字どおりの影で、顔も指先も胴体もなにもかもが真っ黒に塗りつぶされている。等身大の黒い紙人形のようだ。
「あのピアニストは?」
「そこらをうろついていた低級霊さ。なにもできない死せる凡夫ってところ。ピアノを弾くくらいしか取り柄のない鈍物ね。ゲームの伴奏くらいは務まるでしょ」
「へえ……」
それにしては、なかなか余裕のある演奏だった。グールドとギーゼキングとリヒテルを足して三で割って床に置いて足蹴にしたような、つまり特にだれとも似てはいない朴訥さで、高みから含み笑いしているような、聴衆に舌を出しているような、皮肉たっぷりの指づかいだ。なるほど。なにもできない影か。知らぬ存ぜぬというわけか。たちが悪い。クソ忌々しい。
「で、小林さん、あなたはそこで見学? 低い場所から高みの見物ってわけ?」
「わたしのかわいい悪魔たちがゲームを担い、勝利を奪う。文句があるか? 屈服させてみろよ、楠守鼎」
「ええ、いいわ。特等席で死を待てばいい。座して死ねるなら、下卑た呪者には本懐でしょう」
「優しいことだね、豚のくせに。さてさて、準備は整った」
私はステージに上がり、牛頭の怪物たちも配置についた。椅子をめぐって、牛たちの円陣に混じる。バカみたいだ。マヌケにも程がある。クソ忌々しい。
「ゲームスタート!」
小林茉晡呂が、開幕を告げた。
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
ピアノで奏でられるバッハに合わせて、私も牛頭たちもまわるまわる。勤勉な時計の針のように、気まぐれな運命の車輪のように。限られた椅子の周りをまわる。椅子に座った敵の目前でまわる。いつだって座れない存在が生まれる。いつだって椅子は限られている。いつだって世界はそうだった。パンや魚を増やす奇跡を、神は椅子には適用しなかった。
音楽が止んだ。ピアノが途切れた。バッハが黙った。
牛頭の怪物たちは、意外なほどに俊敏だった。大柄な体躯に似合わず、
「あははははははは! なんだよ、弱すぎるぞ、楠守鼎! いきなり負けてやがる! 初戦敗退かよ、やる気あんのか、恥ずかしくないのか、それでも呪者かよ、殺人狂ののろま女が!」
椅子にふんぞり返った小林茉晡呂の、勝ち誇ったような、耳障りな高笑い。堕罪者は死ね。地獄で笑ってろ。
「汚らわしき嫉妬に命じる。
私の呪文によって、椅子に座っていた牛頭の一体が、音を立てて爆散した。眼のない頭が砕け散り、顔のない四肢が塵と化した。ぶざまな悪魔はぶざまに散るものだ。
椅子がひとつ空いた。私はその椅子に悠々と座った。これでいい。椅子は人間が座るもので、罪が座るものではない。
「……なんだよ、それ」
小林茉晡呂が顔を引きつらせている。
「座りさえすればいいのでしょう? 座りさえすれば。私は座り、生き残った。あなたのかわいい嫉妬の悪魔はみじめにどこかへ消え去った。それがすべて。さて、ゲームを続けましょう」
「……やっぱり、あんたは薄汚いよ。噂どおりの腐れ外道だな」
「ご期待に沿えて、嬉しいわ」
小林は気を取り直すように、手で合図を出し、立つように促した。牛頭たちが無言で立ち上がった。私もそれに倣う。
小林はもう笑みを取り戻していた。嘲笑が義務であるような、凝り固まった形相。
「なるほど、せこせこ必死に座らなくても、悪魔を退ければ椅子は空くってわけか。それで最後まで勝ち残るつもり? 悪魔は鏡だ。あんたが嫉妬の悪魔を殺せたということは、不可解でむかつくことではあるけれど、たしかにあんたには妬みの感情が薄いようね」
「あなたとは違うから」
なにを妬むことがあるというのだろう。だれもが無意味で、だれもが死ぬ。羨むべきことなんてなにもない。
「でもね、欲望と完全に無縁な人間なんて存在しない。するわけがない。あんたがどこでつまずき、どこで化けの皮が剥がれるか、見ものだよ」
「お好きなように」
「ゲーム再開!」
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
音楽が止んだ。牛頭たちが座った。私は立ったままだった。
「汚らわしき色欲に命じる。
牛頭の一体が爆散した。脆いものだ。哀れなほど無意味。椅子から色欲がこぼれ落ちる。空いた席に、私は座った。
「ほおー、色狂いの雌ガキではなかったってわけね。悶々と孤独を慰めてるような顔つきのくせに、分際を知らない生意気なやつ」
「お好きなように」
私は息をする肉が嫌いだし、肉に触れるのも嫌いだし、肉に触れられるのも嫌いだ。なにを求めることがあるというのだろう。
「いいさ、いいさ、その調子がどこまで持つかな。あんたみたいな人殺しが、すべての罪から逃れられるわけがない。必ず負ける、悪魔に屈服する。そして魂を奪われる。数かぎりない魂を葬ってきたあんたが、無明の暗闇に突き落とされる番だ。今夜が記念すべきその夜なんだ」
「ずいぶんお喋りね、小林さん。昼間の教室でもその能書きを聞いてみたかったわ」
「ほざいてろ、豚が」
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
「汚らわしき怠惰に命じる。
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
「汚らわしき強欲に命じる。
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
「汚らわしき暴食に命じる。
ゲームも佳境だ。五体の牛頭たちが姿を消して、ステージに残った椅子はふたつ。悪魔と呼ばれた牛頭はあと二体。この無愛想なハンバーガーたちとも、もうすぐお別れだ。肉の頭領、小林茉晡呂の耳ざわりな笑い声とも。
「……やるねえ。まさかあんたが、ここまで生き残るとはね。感心したよ。頭がおかしくなりそうな矛盾した事実だけど、欲深で殺人狂のあんたは、同時に欲望を切り捨ててもいるらしい。だが、それもここまでだな。残るは高慢と憤怒。おまえが、高慢じゃないなんてあり得るか? おまえが、憤怒していないなんてあり得るか? 悪魔は鏡だ。だれも自分を乗り越えられはしない。おまえは醜い自分に負けて、醜い魂を売り渡すんだ」
「お好きなように。早くゲームを続けましょう」
「……始めろ」
小林の合図で、黒い影のピアニストが、バッハを奏でる。素知らぬ顔で淡々と弾く。クソ忌々しい。楽しいか? 凡夫が虫のようにもがくのが。
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
音楽が止み、椅子が埋まる。私の座れる場所はない。どこにもない。敵を殺して除かないかぎり。
「汚らわしき高慢に命じる、
牛頭が爆散し、椅子が空いた。私は座る。残りは一体。
小林茉晡呂の顔に、焦りと恐怖が浮かんでいる。
「……嘘だ、嘘だ、嘘だ! あり得ない! ふざけんな、おまえが高慢じゃないわけないだろ、楠守鼎! いつも他人を見下しているくせに!」
「見解の相違ね。見下してなんかいない。私を含めて、だれもが生まれたときから死の奴隷で、愛の受け皿。あなたのようなゲスな堕罪者でもね。そこに上下なんてない。他人を見下している暇なんて、人生には片時もない」
そう、見下してなんかいない。私は単に、あらゆる他人が嫌いで、あらゆる生存がおぞましいから、死んでしまえと願っているだけだ。低き場所からの低き祈り。ささやかな。
「おかしいだろ? 間違ってるだろ? おまえみたいな、罪にまみれたクソのなかのクソが……」
「お好きなように。ゲームを続けましょう」
椅子は残りひとつ。生き残るのはひとりだけ。楽しいゲームももうすぐ終わる。
ためらいがちに、小林が合図を出した。ピアノで奏でられる、バッハの教会カンタータ第140番。『目覚めよ、と私たちに声が呼びかける』。
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
たららんらんらんらんらんらん、たららーらー、らーらーらー……
音楽が止んだ。罪が座った。私は椅子の前に立っていた。
「汚らわしき憤怒に命じる。
座った牛頭は、そのままだった。頭が砕け散ることもない。私の呪文にも反応しない。椅子をわがものとしてとどまっている。ここまでか。
小林茉晡呂が、意外そうに戸惑った後、乾いた笑いを洩らした。
「……やっぱりだ。そうだよなあ。おまえに、罪を殺せるわけないよなあ。悪魔を退けられるわけないよなあ」
「なるほど。たしかに、一理ある。私はこの世のすべてに怒っているし、怒りを抑えようとも思わない。決して怒らないとは、さすがに見え透いた虚言だったわね」
呪文の効力が消失するほどに、私の言葉は私の意志に背いていた。こんな牛頭を殺せないほどに。
「そうだろうよ、ここまで来れたのもなにかの間違いだが、それも終わりだ。やはり正義は存在した。やはり神は公正だった。ゲームオーバーだ、楠守鼎! 賭け金はいただくぞ! 魂を喪って泣き叫べ!」
「うおりゃっ!」
談判破裂して暴力の出る幕だ。こんなこともあろうかと、私は懐にしのばせていた、全国の少年少女呪者必携、呪いの七つ道具その一である『猿の手』を取り出し、目の前の牛頭の頭蓋を殴り飛ばした。『猿の手』とは、一見すると枯れ枝のようなサイズのしなびたミイラの細い腕だが、実際は、人間の五倍の力があるというオランウータンよりも更に強力な、呪力を込めた殺傷武器である。
椅子に座っていた牛頭の怪物の頭が音を立ててちぎれ飛び、四肢は椅子からくずれ落ちた。私は悠々と空いた椅子に座った。勝利。
ステージ下の小林茉晡呂が憤然と立ち上がり、安っぽいパイプ椅子が倒れた。
「……なんだよ、それ。なんなんだよおまえ」
「見てわからない? あなたの悪魔たちが負けたのよ。つまり、あなたの敗北ってわけね。ご愁傷さま。魂に別れを告げなさい」
「嘘だ! 反則だ! いんちきだ! こんなことが許されるものか!」
「許されるかどうかは神に任せて、あなたは速やかに逝きなさい。あなたのかわいい悪魔の手によってね」
ぱちん、と私は指を鳴らした。体育館の暗がりから、消えたはずの牛頭たちが現れた。だが、その頭はもうない。七体の首なしの毛むくじゃらの怪物が、円を描くように小林茉晡呂を取り囲んで、じりじりと近づいていく。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 魂を喪うのは嫌だ! 魂を喪うのは嫌だ! 魂を喪うのは嫌だ!」
私の敵である哀れな少女は身をよじって泣き叫んだ。
「魂を賭けなければ、人は殺せない。私に殺意を抱いた時点で、あなたは終わっていたのよ」
毛むくじゃらの首なしたちが、
ふと見ると、黒い影のピアニストは消えていた。クソ忌々しい。悪魔はさまざまな姿で顕現する。私にとっては、こんな牛頭の低級霊たちよりよほど厄介だ。
血の饗宴は終わったようだ。首なしたちも姿を消した。私は椅子から立ち上がり、ステージを降りた。ゲームは終わりだ。私はこころ優しいので、首なしたちの散らかした、かつて小林茉晡呂だったものに近づき、言葉を発した。
「ラザロ、ラザーロ、ラザロラロ!」
私の呪文によって、片づけ忘れた食べ残しのような死体が、ラザロのごとくに甦る。バラバラの肉体も元どおり。魂がないというだけだ。私の敵である少女の魂は闇に葬られ、私と関係のない少女がそこにいるだけだ。
「……あれ? 楠守さん? ここは……」
「こんばんは、小林茉晡呂さん。さようなら、小林茉晡呂さん」
マヌケな果たし状を送りつけてきたクソ生意気なあの
夜の学校を後にして、私はセバスチャンの待つ家へと歩いた。
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