其の二:そこはまさかの水滸伝ファンが集まる店だった
「君も『
店長の、カウンターの向こう側から乗り出してきそうな勢いに圧倒され、僕は言葉も出せず、ただ首を縦に振り続けた。
「やった! みんな、新しい水滸客だぞ!」
奥のソファ席のお客さん達が、一斉に歓声を上げた。
「素晴らしい! これで六人目だ!」
「あと一人で記念すべき七星結成ですな!」
「いやいや、ちょっと待った、二人とも。まだ彼が同志と決まったわけでは……」
「え? あの? ちょっと?」
戸惑う僕を置いてけぼりにして、何やらお客さん達だけで勝手に話を進めている。
「すみません、いったい、ここは、どういうお店なんでしょうか?」
「もちろん酒場だよ。元々スナックだったのを、僕が居抜きで買い取って、自分好みにアレンジを加えた」
「そのアレンジ、っていうのが、もしかして」
「君もご存知、水滸伝さ」
お店の一番奥の壁には、Tシャツがいくつも並んでかかっている。全部、水滸伝絡みのデザインだ。
「あのTシャツは、全部、手作りですか?」
「常連にデザイナーさんがいてね、特別にイラストを描いてもらったのを、業者へ頼んでシャツにしたんだ」
「売り物だったら、すごく欲しいです」
「ははは、残念だけど、今はインテリアの一部だよ。販売は考えてない。ところで、君は、どうして水滸伝が好きなのかな?」
「大学では中国文学を勉強していたんです。あ、でも、もともと中学の頃から三国志とか好きでした。最初三国志から入って、次に水滸伝で」
「いいねえ、根っからの水滸好きだねえ」
店長が顔を綻ばせた。まさか水滸伝が好き、というだけで、ここまで喜んでもらえるなんて。嬉しくて、グッと胸が詰まった。
「あの〜、すみません」
そこで、パンツスーツのお姉さんが手を挙げた。
「『水滸伝』って何ですか?」
盛り上がっていた場が、一気に静まり返った。
僕らはみんな、苦笑いを浮かべている。このお姉さんは普通のお客さんなのに、置いてけぼりにしていた。
「三国志、は知ってますか?」
何となくの流れで、僕から説明することになった。
「なんか中国の物語ですよね」
「あれと同じような感じです。中国の古典小説で、現地では三国志と同じくらい人気のお話なんです」
「そういえば、幻想水滸伝なんてゲームありましたね」
「やったことあるんですか?」
「いえ。名前だけ」
惜しい! と僕は心の中で叫んでいた。幻想水滸伝の一作目をプレイしたことがあるのなら、物語の流れはほぼ一緒だから、話はしやすかった。
「水滸伝は、一五世紀ごろの中国で書かれた小説で、腐敗した国家を相手に、百八人の英雄豪傑が義賊となって反旗を翻す、っていう物語なんです」
正確には、百八人全員が英雄とか豪傑なのではなく、職人とかコソ泥もいるのだけど、水滸伝をまったく知らないこのお姉さんに、細かい話をしてもしょうがない。
僕の説明を受けて、お姉さんは目をキラキラと輝かせた。興味を持った様子だった。
「面白そう! 映画だと、ダンス・ウィズ・ウルブズとか、ラスト・サムライみたいな内容? 私、そういうお話が大好きなの!」
「ちょっとニュアンスは違いますけど、圧倒的権力に逆らって戦う、っていう点では近いかも。三国志は国vs国の戦記物ですが、水滸伝は反乱軍vs国家、という構図ですから」
「それで、このお店は、その水滸伝をモチーフにしてる、ということ?」
「ですよね、店長?」
もうわかりきっていることだけど、僕が答える内容ではないので、店長に後を引き継いでもらった。
「うん、そうだよ。どうせ飲み屋をやるなら思いきり趣味を出してやろう、と思ってね」
「ちなみに、私の友達が孫二娘って呼ばれているのは、水滸伝と関係あるんですか?」
「ありもあり、大あり。さっき、彼が、百八人の英雄豪傑が国に反旗を翻した、って話をしたよね? その百八人の一人に、孫二娘って女性がいるんだ」
「へえ! そうなんですね! 意外です、古い中国の小説で、女性が主役の一人だなんて」
いや厳密には主役とは違う。と言いたいのを、喉元まで言葉が出かかったところで、我慢した。
奥のソファ席の方を見れば、そこにいる三人も、そわそわと落ち着きなく体を揺すっている。おそらく僕と同じことを考えているんだと思う。孫二娘について語りたいのを必死で我慢している様子だ。
「ここに来る水滸好きの客は、みんな、お互いに水滸伝に出てくる百八人の名前をつけて呼んでいるんだ」
そう説明しながら、店長は、カウンターの下の方からホワイトボードを取り出した。
ホワイトボードには百八人の名前が書かれている。それらのうち一部には線が引かれている。
「線が引いてあるのは、もう誰かの肩書きになってるやつ。たとえば、僕はこの
「あそこの三人も、何か名前が?」
僕の問いに、宋江店長はニッコリとほほ笑んだ。
「うん。向かって右側の、いかにも学校の先生な人は、
「専門は中国文学です。よろしく」
呉用先生は、丸眼鏡をかけた、優しげな印象の六十代くらいの男性だ。原典ではあの諸葛孔明をも超える、と言われる智者。まさにピッタリな印象だ。
中国文学の教授、というところに興味を引かれた。大学時代、僕が勉強していた分野だ。
「それから真ん中は、
「あはは、資産家だなんて、恥ずかしいなあ」
柴進さんは、呉用先生と年齢は近そうだが、細身の呉用先生に対して、丸々とふくよかな体をした、柔和そうな男性だ。見るからにお金を持っていそう。原典では、貴族であり、数々の英雄豪傑を引き合わせた陰の功労者だ。
「で、左にいるのが、
「どうも」
五十代くらいの、少し寡黙な雰囲気の男性だ。目つきが鋭い。三人の中では一番小柄だけど、服の上からでもわかるほど、肉体は鍛え上げられている。
「あの人はある会社の役員さんだけど、最近狩猟免許を取って、その世界にハマっているんだ」
「道理で。なんだか強そうです。でも、なんで李応?」
僕が尋ねると、宋江店長はにっこりと笑った。
「ほら、あだ名」
「ああ」
水滸伝に登場する百八人には、それぞれ特徴的なあだ名がついている。
例えば、李応の場合は「
たぶん、この李応さんは狩猟免許を持っている、というところから、鷲を打つイメージと重なって、その名前をつけられたのだと思う。
「だけど、それなら没羽箭
「君も、咄嗟にその二人の名前が出てくるなんて、だいぶ水滸好きだねえ。もちろん候補には入っていたけど、二人ともちょっとイメージが違う。やっぱり李応が一番合ってるかな、と思って名前をつけたんだ」
横で、クスクスと、パンツスーツのお姉さんが笑い出した。
「ねえ、君、話に夢中になるのはいいけど、何か忘れてない?」
そう言いながら、メニューの紙を渡してきた。
うっかりしてた。あまりにも話が楽しいので、まだ何も飲み物を頼んでいなかった。
さて、どれにしよう、と今更ながらメニューに目を通していると、パンツスーツのお姉さんは席を立った。いつの間にか、モヒートを飲み終わっている。
「明日早いから、今日はこれで帰りますね。でも、また来ます。このお店、すごく居心地いいから」
「おや、それは嬉しい。ぜひごひいきに」
会計を済ませたパンツスーツのお姉さんは、バッグを持ち、颯爽と外に出ていった。
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