短編

夢夜 雨汰湖

第1話灰色の神様

秋の澄んだ青空の元、あぜ道を竹笊を持って歩く少女が一人。竹笊の中には山で採れた茸や山菜が入っていた。笊を持つ手も質素なワンピースからのぞく両足も透き通る様な白さであった。彼女の周りに小さな羽虫が飛んで来て、手の甲に止まった。それに気付いた彼女は立ち止まって、その羽虫を見下ろす。しかし、それは彼女の手だと気づいていない様子だった。途端に少女の瞳からは涙が零れ落ちた。その雨粒が羽虫の上に落ちる寸前、それは音も立てずに飛び去って行った。

「どうしたんだ?」

 後ろから杖をついた老人が竹籠を背負って山から下りて来た。竹籠の中には薪用の枝、腰には野兎が二匹と大蜥蜴おおとかげが一匹。少女は片方の手で涙を拭って首を横に振って、歩き出す。老人もまた何も言わずに彼女の後に続いた。

 あぜ道は暫く続く。辺り一面には迷迭香まんねんろうが青々と茂っていた。冬になっても枯れる事のないこの低木は甘くほろ苦い香りを放つ。それが風に乗って、降りて来た山へと吸い込まれていく。少しすると山からは冷たい秋風がそよそよと降りて来る。それはまるで呼吸しているかの様だった。     

この一面の迷迭香まんねんろうの世話をしているのは少女と一緒に降りて来た老人、それから――

 前方に茅葺屋根かやぶきやねの家が見えた。その家は迷迭香まんねんろう畑の真ん中にポツンとあった。円形にそろえた木の柵で畑と家は区切られていた。幾つかのあぜ道が作られおり、それらは幾つにも枝分かれし、畑を手入れする為だけでは無く、街や川に行く為の道でもあった。辺りにはこの家以外には何も無い。夜になれば真っ暗な暗闇が訪れるのだ。

「おお、婆さんやーい」

 老人が軒先で佇む人影に気付いてそう叫ぶと「爺さんやーい」と前方から返事が来る。ほっかむりをして、褪せた着物を身に纏った老婆が手を振っていた。二人が辿り着くと老婆は少女の肩にそっと手を置いた。

「お帰り。疲れたろう? さあ、中へお入り」

 少女は小さく頷いて家屋の中へと入って行く。その背中を心配そうに見つめながら、老夫婦も後に続いた。

帰宅した老人は竹籠を土間に降ろして、腰に下げた野兎と大蜥蜴とかげを老婆に渡した。草履ぞうりを脱ぐと真っ先に風呂へと向かった。一方少女は土間で老婆と共に取って来た食糧の下ごしらえを始めた。慣れた手つきで野兎の毛皮を剥いで、処理を進める。水の音と小気味よい包丁の音。眉一つ動かさない少女の隣で老婆は静かに山菜を洗っていた。

「何か悲しい事でもあったかい?」

 不意に尋ねられて、手が止まった。兎の血に濡れる手は無機質な模型だった。温度も何も感じない。あの羽虫が気づかないのも当然だった。老婆は綿で出来た真っ白な前掛けで彼女の目元を拭い、それ以上は何も聞かなかった。

帰宅した老人は竹籠を土間に降ろして、腰に下げた野兎と大蜥蜴とかげを老婆に渡した。草履ぞうりを脱ぐと真っ先に風呂へと向かった。一方少女は土間で老婆と共に取って来た食糧の下ごしらえを始めた。慣れた手つきで野兎の毛皮を剥いで、処理を進める。水の音と小気味よい包丁の音。眉一つ動かさない少女の隣で老婆は静かに山菜を洗っていた。


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