来れり報復の時

 赦さない。


 赦さない。赦さない。赦さない。


 赦せるものか。


 赦してなるものか。


 何故赦せる。何故諦められる。何故、そうも簡単に――


 殺してやる。


 殺してやる。殺してやる。殺してやる。


 いつか、いつの日か、殺してやる。怒りのままに、心のままに。


 例え、我が身を滅ぼそうとも。


  *  *  *  *  *


「がぁっ! ぁ、ぁ……ぁぁぁっ……!」

「嘘だろ……」


 手加減はした。

 自分の命を狙ったとはいえ、彼の怒りは理解出来た。

 アンのように、罪人だからと割り切って殺し切る事は出来なかった。だから命を奪わないまでも、意識を奪う程度の凍結で済ませた。


 が、少なくとも意識は奪ったはずなのだ。

 手足が動かせるはずはなく、動かそうとする意識そのものを狩り取ったはずだったのに、わずかながらでも凍った体を動かし、氷の中から脱しようとしていた。


 氷結の魔法はもう出せない。

 体力的にも魔力的にも、三人揃ってジリ貧も良いところだ。何より片脚を潰されたアンに関しては、早急に手当てしなくてはマズい。本人が痛がってないのは、単に我慢しているだけだ。


 直感以外の何物でもないが、今のガルドスは何かとてつもない気配を帯びている気がして、ベンジャミンの中は避難警報が轟々と鳴り響いていた。

 それこそ胸の中のアンが何故落ち着いているのか、わからない程に。


「七つの……大罪ぃぃぃ……!!!」

「おい、姉御! 何かヤベェ! 早く――」

「逃げてどうなる。それに、せっかく迎えが来ているのだ。今逃げては行違いになるではないか」


 アンがいつから把握していたのかは知らないが、落ち着いていた理由は理解出来た。

 氷から脱したガルドスが、爛れた皮膚を気にも留める事無く突進して来た時、横から飛んで来たグレイの掌打がガルドスを横から弾き飛ばし、後れてシャルティの引く馬車がエリアスとアドレーの二人を乗せ、駆け付けて来たのである。


「アン殿……! ようやっと追いついた! 先程まで何やら派手にやっていたのでまさかとは思いましたが……貴殿は何かと、自愛に欠ける節がありますな!」

「おいおい、到着早々説法か? それとも説教か。其方は怠惰の大罪つみなのだから、もう少し肩の力を抜き給えよ、グレイ・フィルゴール」

「拙僧が怠惰を貫いたとて、彼女達が黙っておりませんが」

「アン様!」

「お姉ちゃん!」

「げ」


 まるで、悪戯が見つかった子供のような反応。それとも大人の時間に寝かしつけたはずの子供が起きて来て、何してるの、なんて言われて困る大人のような感じか。

 エリアスとアドレーに無言の圧を掛けられて、完全に押し黙ってしまった。


「アン様?」

「お姉ちゃん?」

「……フム。まぁ、そんな事もある」

「アン様?」

「お姉ちゃん」

「うぅん……」

「アン様?」

「お姉ちゃん?」

「うぅん……うん。謝る。謝るから、許してくれ」

「「反省して(ください)!!!」」


 レインコートのフードを脱いだエリアスの髪が、触手のようにうねりながら負傷したアンの脚へと伸びて、絡み付く。

 巻き付いた触手の各所から蚊の口ほどの小さな管が出て、脚に突き刺さった。


「“調傷喰バグバイト”」


 管を通して、エリアスの魔力が注入される。

 砕けた骨と骨、血管と神経までもを繋ぎ合わせ、接着。接着剤代わりの魔力が凝固して、元の形に戻って行く。

 糸のように伸びるエリアスの魔力を無視すれば、まるで時間が巻き戻っているかのよう。

 明らかに別格に至った凄まじい回復能力に、アンも感嘆の吐息を漏らす。


「勉強の成果か?」

「魔導書にあった魔法に、私の能力を掛け合わせて編み出したものです……ただ、その……回復とは違って、折られたり斬られたりした部位を繋げるだけなので、その場凌ぎでしかなくて」

「充分だ」


 ふぁ、とエリアスが今までに出した事のない声を出す。

 魔剣を置いたアンの手がエリアスの頭に置かれ、ぐしゃぐしゃと濡れた小動物でも拭うかのように撫で回す度にエリアスの顔が真っ赤に染まって、蒸気が上がった際に漏れた声だった。


「よくぞこの短期間で、ここまで至れた。其方の思い、無駄にはしない」

「……はい。でも、本当に無駄にしないでください、アン様」

「あぁ、わかった」


 最初、奴隷として扱われた時のスライムの面影は、もうほとんど見られない。

 まだまだ未熟ではありながらも、暴食の大罪つみとして逞しくなっていくエリアスの成長は純粋に嬉しいものであったが、以前より正面から文句を言って来るので困った。

 何しろ全部自分の事なのだから、叱ろうにも叱れない。むしろこちらが気を付けねばならないという話なのだから、猶更困らされた。


 まぁそれでも、これほど可愛らしく感じられる従者はそういまい。故に喉がゴロゴロ言いそうなほど撫で回し、甘やかす。

 ただ寂しいかな。そう出来る時間は、余りないようだった。

 グレイに吹き飛ばされたガルドスが、敵意以外の何物でもない視線を向けているのを感じる。


「これは一体……どうしたのだ、ガルドス!」

「ガルドス! あなた、何で、何があってこんな……!」

「魔導女王との交渉に乗ったらしい。私達七つの大罪を差し出せば、不可侵条約を締結し、魔獣をレギンレイヴに解き放つ事を止めると」

「……!」


 言ってしまって良いのか、とベンジャミンが無言で問いかけているのはわかった。

 王国の不可侵条約は、シャルティにとっても有益な話のはずだからだ。今後の安寧が約束されているなど、これ以上旨い話はない。

 ただし――


「それは、本当なのガルドス……本当に、そんな約束が実現、するの?」


 旨い話にほど毒は付き物。裏があると考えるのがむしろ自然。

 シャルティのように怪しむのが普通だが、ガルドスは信じた。

 何故そうも簡単に信じてしまうのか。悲しい事ながら、アンには理解出来てしまえた。


 人は極度に追い詰められた時、救いの声があれば例え嘘であろうと縋ろうとする。そうした人を対象とした商売が成り立っている事こそ、何よりの証拠と言えよう。

 占いだったり風水だったり霊視だったり、そんな真偽の確かめようもない神秘にさえ縋り、結果が悪ければ落胆し、結果が良ければ歓喜する。

 普通でも左右される情報を、追い詰められた人間に差し出した場合どうなるか。


 縋る。


 迷いなどない。躊躇していれば取りこぼすと勘違いして、血迷って、逡巡する事も忘れて、その時にだけ妙な決断力を発揮する。

 そうした結果自分の墓穴を掘ろうが相手の墓穴を掘ろうが、先の事はどうでも良いのだ。

 その時その瞬間に、生きる動機として成立さえしていれば。


。そんな事、わかるわけがない……!」


 そう断言した声音の中に、ガルドスが歪んだ笑いを含ませている事もまた、理解出来てしまえた。


 王族になど興味はないと言った。本心だろう。

 だが、絶望の淵に立たされた人間が旨い話をされ、更に話の奥に生まれる副産物に気が付いた時、今の今まで思いもしなかった野望を刺激される。

 長年子供達のために尽くし、彼らを率いて来たリーダーだったガルドスの負担は、想像するに余りある。

 そんな彼が、目先に吊られたえさの奥に潜む副産物に気が付いた時、何を考えるか。それもまた、想像するには難しいが――

 すでに彼の心が、そうした話の前で破綻する程に疲弊していた事だけは、想像に易い。


「だが考えればわかる事だ、シャルティ。こいつらをこのまま国に置けば、再び王国が狙われる。そうすれば、多くの同胞が死ぬ。ならば魔導女王に引き渡し、王国の安寧のためとするのが得策ではないか。考えるまでもない」

「でも……」


 シャルティはアドレーとエリアスに一瞥を配る。

 自分達が護る子供達と、ほとんど変わらぬ年齢としの子供二人を攻撃し、よりによって自国を滅ぼした敵国に売るのは気が引けたが、そんな彼女にガルドスの怒号が飛ぶ。


「何を迷う事がある! 国のため、奴らのため、俺達の果たすべき義務だろうが!!!」

「失礼」

「ちょ、あんた……」


 未だ片脚は潰れたままだが、アンはシャルティより前に出た。

 誰よりも前に出て、問い質さねばならない事があったのだ。


「ガルドス。私達七つの大罪は、残念ながら其方の要望には応えられん。が、私個人の疑問に答えてはくれまいか」

「大罪人に答える話などない!」

「いや、答えねばならない。答えねばシャルティが決めかねるからだ。問おう、ガルドス。仮に私達七つの大罪を捕まえて不可侵条約を帝国と結んだとして、


 シャルティ含め、その場の全員が質問の意味を理解出来なかったが、次に続いたアンの補足説明で理解、納得した。


「其方には王位が約束されている。王としての権限も約束されている。国の平穏も約束されたが、。食料もままならぬ。住むところもままならぬ。外交をしようにも差し出す物も何も無いこの国を、如何にして守ろうと言うのか。其方のまつりごとは、どうやって国を繁栄させる」


 そう、平和になっても安定はしない。


 荒廃した大地に芽生える緑はなく、緑が無ければ獣もいない。

 今の今まで、グレイら破戒僧が窃盗の罪を犯してまで集めた食料で、子供達がようやく食い繋げる程度の生活は変わらない。

 ならばどうやって国を安定させ、富裕とまでは行かずとも如何にして国を安定させるのか。アンはそれが気になった。


 何せアンの考え得る限り、方法は一つしか、なかったからだ。


「大罪人が、偉そうに……よくもまぁ喋る。だが、そうだな……冥土のみやげとして教えてやるのなら、!!!」


 シャルティの顔が引き攣った形で硬直し、アンは自分と同じ考えだった事に溜め息が漏れた。

 そうだ。作る事も出来ない。恵みなどない。ならば当然、奪うまで――


「二度目の戦争で帝国に肩入れし、甘い汁を啜る周辺諸国を襲い、蹂躙し、破壊する! そして奪う! 命も、金も、食い物も! 地位も、名誉も、栄光も! 男も、女も、子供も何もかも! すべて力で奪い取る、戦争だ!!! 魔導女王との不可侵条約を逆に利用し、魔獣を解き放って滅ぼしてやるだけの事! 至極、至極! 単純明快だろぉっ?!」

「が、ガルドス……あんた……あ、んた……」


 シャルティには、高らかに笑う今のガルドスが、魔獣と相違ない怪物か何かに見えているのかもしれないし、笑い声もまた、声とは違う不協和音か何かに聞こえているのかもしれない。

 ガルドスとの付き合いは過ぎるほど短いものの、きっと皆の目には、今までに見た事のないガルドスが高笑っているのだろう事は想像に難くない。

 そう思うと、アンの口から自然と吐息が漏れた。


「そうだ! 赦してなるものか! 赦すものか! 何故赦せる、何故諦める、何故止めようとする? 何故一方的に搾取される事をそう易々と受け入れられる?! 馬鹿なのか、王国の連中は! 王座を巡っている場合ではない! 責任の所在をなすり付けあっている場合ではない! 他国から奪い、他国を殺している場合だ!!!」

「そうか。もういい」


 すぱん、


 と言う音もなく、ガルドスの首が突如として飛んだ。

 大量の血飛沫が間欠泉が如く吹き出て、アドレーが短い悲鳴を上げる。


 ベンジャミンも驚き、今の今まですっかり忘れていたが、アンはそもそも、詠唱も構えも必要としない異端の魔導剣士。

 アンならわざわざ剣を振らずとも、一切の予備動作も構えもないまま、魔法だけで首を落とせてしまう。

 だから前以てわかっていたとしても、驚きは禁じ得ない。アドレーが悲鳴を上げるのも、無理はなかった。


「ならば貴様が死ね」

「あ、あんた! あんたねぇ!!!」


 シャルティが胸座を掴みかかってくる。

 が、グレゴリーの突進に比べればどうという事もなく、アンはまるで揺らがない。


「あんなもの、自分自身の正当化に他ならぬ。例え自国の利益のためと宣おうとも、戦争を仕掛けようとする王の誕生など認めぬし、そんな者のために捕まってやるものか」

【大罪人が、他国くにまつりごとに口を挟むのか? 生意気な】


 予想出来ていたのは、おそらくアン以外いなかったろう。

 本来、首を飛ばされて、頭を失って、尚生きている生物などいないのだから。


 ガルドスの首は確かに飛んだ。

 が、飛ばされた首がそのまま喋っていたわけでもなかった。

 頭を失った体が痙攣しながら立ち上がり、四足の獣が如く両手足を地面に突き立て、両断された首の断面を見せ付けて来る――まぁ、アンには見えないのだが、エリアスが吐き気を催しているのが聞こえた。


【赦さぬ、赦さぬ……赦さぬ赦さぬ赦さぬ赦さぬ赦さぬ赦さぬ赦さぬ赦さぬ赦さぬ!!! 何故赦せる!? 何故諦められる!? 何故戦おうとしない!? 何故奪おうとしない!? 赦さぬ、赦さぬぞ……!!! 赦してなるものか!!!】


 今の今までグレゴリーなどという怪物と対峙していたせいで迫力に欠けるが、首を落とされたガルドスの体が凄まじい勢いで膨張し、頭の代わりに二本の腕――もしくは脚を生やし、全身が蒼と黒の混じった瘴気のような物に包まれた巨大な怪物と化して、天をつんざく咆哮を轟かせた。

 さながら、名前だけ有名で詳細は多く知られていない混沌神話に出て来る、貌無しの獣か。


【奪う! 殺す! 穢す! 俺達が受けて来た傷を、与えられた痛みを与えよう! そう、報復の時が来た!!!】


 もはや当人は、復讐と恩讐に駆られた獣と化している。

 確実に魔導女王の仕業だろうが、果たしてそれだけだろうか。


 リーダーとして子供達をまとめ上げていた彼に鬱積していた疲労。この先の未来さえ見えない絶望感は、時間が解決する物ではなかっただろう。

 それら含め、彼の中に蓄積されていた心の傷が泥のように穢して行った結果生まれたのが、目の前の怪物なのだろう。


「さて……では第二ラウンド、か。其方はもう帰っていいぞ、アリステイン」

「ここまで来たのです。せめてこの戦線はお供しましょう」

「……是非もない。自分を大事にしろと、従者らに叱られてしまったばかりだしな。ここは素直に、お言葉に甘えさせて貰う」

「えぇ。是非、そうして下さい」


 そして――彼女はどうしたものか。


「戦えないなら下がっているがいい、シャルティ。盲目な上、向こうが敵と見定めている以上、共感は難しいが、其方が戦う意味はあるまい」

「意味なら……あるわ」


 そう言うと、シャルティは深く一歩踏み込み、足元に魔法陣を出現させる。

 魔法陣の展開した地面が砕けると高く水飛沫が上がり、後れて青い槍が飛び出して来た。

 掲げたシャルティの手に収まりながらも勢いを殺す事無く回転し、空を裂いて、切っ先をガルドスへと向ける。


「龍槍――“黒い森の怪物ネルルク・タラスコン”!」

「龍の名を冠した魔法の武具……」

「ほぉ、一体どこに隠し持っていたのか。それで? その龍槍とやらはまさか出しただけではあるまいな」

「冗談! 手を貸しなさい、七つの大罪! ガルドスの……この馬鹿の目を覚まさせてやるんだから!」

「良いだろう」


 アンの言葉を合図に、他の大罪も構えた。

 ベンジャミンは構えようとしたものの、傷が疼いた様子でその場で揺らぐ。咄嗟にエリアスが支えて、アンに施したのと同じ魔法で傷口を塞ぎ始めた。

 残り三人の大罪と騎士が、貌のない獣と対峙する。


【赦さぬ、赦さぬ、赦さぬ……!!!】

「あぁ、わかったわかった。同情して欲しいのはわかったから、少し黙れ。これから最近考えていた決め台詞を決めるところだ。冥土の土産に黙ると言い」


 アンは咳払いをして、魔剣を払う。

 舞い上がる塵や埃にまで静寂を求めたアンの要求に世界が応じたが如く、一時的静寂が支配する中、一人、緊張感に満ち溢れる現状を打ち破る権利を有したアンは魔剣を突き立て、わざとらしく右手を広げ、告げる。


「さぁ諸君。大罪を犯そう」

「貴女には似合わない脅迫めいた決め言葉ですね。もっと美しさや品のある……」

「まずは其方から穢そうか? アリステイン・ミラーガーデン」


 せっかく格好よく決まったのに、早速腰を折られたアンの心中を察っしてくれる様子なく、怪物と化したガルドスが突進して来た。

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