グロウドールの結末

 怪物となったテテノの死を、変えた張本人であるグロウドールは感知していた。

 が、老体は焦らない。そもそも彼の死すら、老人の予定の内だ。


 怪物の視界と老人の視界は繋がっており、更に魔法の水晶を通じて映像をとある人へと送っていて、テテノは彼が殺しがっていたアン・サタナエルという人間を、その人へと報告するためだけに送り出した生贄だった。

 元々魔法も剣術も出来ない男に勝てる要素は少なく、怪物にしたところで、そこらの獣を相手するのとそう変わらなかっただろう事を考えると、役目としては通信用の生贄でも有効的に活用出来た方だろう。


「如何でしょう」

『うん……』


 水晶の向こうで、相手は特に反応している様子を見せなかった――いや、聞かせなかったという方が正しいか。

 リアクションがまるでないので、グロウドールは訝しみながらも報告を続ける。


「この者、先日のドボルロック暗殺事件の首謀者と見られております。側にいた狼の獣人はおそらくかの聖人殺しかと」

『フム……』

「如何致しますか」

『……別に? どうもしなくてよい』

「はい?」


 まさかの返答に、返す言葉が見つからない。

 ここで奮起して貰わなければ、彼女らを捕らえて功績を上げる企みが元から破産だ。


 何とかしてやる気を出して貰わねば、とグロウドールが捕縛を促す文句を考え始めると、向こうで退屈を訴える吐息が聞こえて、次の瞬間に魔法の水晶が蹴り砕かれた。

 映像は途切れ、声だけが老体に鞭を打つが如く響く。


うぬの名誉と功績を上げたいがためのはかりごとであろう。うぬ一人で何とかしてみせよ、老体』

「――!」


 見透かされていた。

 自分の手では負えないと踏んで手を借りようとした事も含めて、完全に看破された。

 何と釈明するべきか――迷っている最中でも、あの人は現実を突き付ける口を休めない。


『そら、もうすぐそこにベネドール家の者達が来るぞ? うぬがあの家の三男を殺めた事にして、そこを潰してしまうつもりであろう。今のうちに老体に無理の無い程度に金を持ち、逃げた方が得策ではなかろうか?』

「な!? 何故、私を?! 何故私が彼をけしかけた事がバレて――!!!」

『人除けの結界に魔力探知の結界を混ぜ込み、うぬの魔力を辿ったのだろう。直接その場に行っていれば見抜けていたろうに、歳は取りたくないものだな』


 悔しい。

 悔しい、悔しい、悔しい。


 自分の半分も生きていない奴に言い負かされるのも、グゥの音がまったく出ないことも、その手を借りなければこの状況を打破出来ない現実も、すべてが受け入れ難く、妬ましい。

 苛立たしく、腹立たしく、目尻の血管が切れそうな思いを押し殺しながら、グロウドールは老体に鞭を打って重い腰を上げ、深々と頭を下げた。


「お、お願いします……力を、力をお貸しください。報酬として、この月の売り上げの五割を――」

『言ったであろう、うぬ一人で何とかしてみせよ、と。妾はこの一件で動くつもりなどないわ』

「も、元々はあなた様の興業だったはず!」

『しかしすでに、権利はすべて譲渡した。売り上げもすべて、貴様にくれてやっているだろう。奴隷それはすでに貴様の興業である。そもそも貴様が欲を出して起こした事態、自身の手で終息させよ――』

「お、お待ちを! 待っ――!!!」


 念話テレパスが切られた。

 もう応じる事もないだろう。


「小娘がっ……!」


 悔しいが、言われた通りに金をまとめて逃げるしかない。

 手を叩いて奴隷を呼び、急いで金をまとめさせて逃げ出す準備を――と思っていたのだが、何度手を叩き、強く拍手を響かせても、奴隷が一人もやって来ない。

 いつの間にか車椅子を押していた女性も姿を消しており、グロウドールは数年ぶりに自らの手で車椅子を漕ぎ、奴隷達を呼び出すため強く扉を押し飛ばした。


「貴様ら! 何故来ない……」


 誰もいなかった。

 一人も、影も形も見当たらない。


 床には外された首輪と鎖が散乱しており、鎖の中に鍵束が落ちているのが見えた。

 鍵はいつも、車椅子の隠しポケットに入れていた。車椅子を押していた女性ならば盗み出せる位置にはあったが、盗み出そうものなら、即座に女性の首輪に電流が走って、全身を麻痺させる魔法式を施していたはずだ。


 だが鏡越しに確認して見ても、やはり鍵も、ポケットに仕掛けていた魔法式も消えている。

 女性にはとても看破出来るはずのない、高度な魔法式だったはずだ。


「誰だ! 私の奴隷を奪ったのは!」

「奪ったとは人聞きの悪い事を言う」


 それは窓辺にいた。

 いるはずのない人間が、窓辺で悠々とワイングラスを傾けていた。

 グラスの場所も、秘蔵にしていたワインの場所もどうやって当てたかなどどうでもいい。問題は、どうしてたった今まで、自分が怪物の眼越しに見ていたアン・サタナエルが、数キロ離れた屋敷の窓辺にいるのか、と言う事だ。


「私は彼女達に鍵を渡して、やりたいようにやればいいと言ってやっただけだ。鍵を外したのも出て行ったのも彼女達の選択。そうされるなご老人。寿命が減るぞ?」

「貴様、どうやって、どうやってここに……!」

「何、怪物を通して居場所はわかっていたからな。座標がわかっていれば、転移魔法テレポートでひょい、だ。その前にベネドール家に寄り道したりもしていたので、もう逃げだしたかと思っていたのだが、悠長に誰かと念話テレパスしていたので安心したよ。お陰で良いワインが飲めた」


 天井から伸びて来た黒い魔の手を斬り裂き、魔の手を生み出す魔法陣を斬り捨てる。

 話の最中にもグロウドールが魔法陣を仕掛けていたのは、“憤怒の魔眼”で見通していた。


「話の最中でも仕掛けるか。忙しないな、ご老人。だが自分だけが仕掛けているなどとは思わない事だ」


 グロウドールは焦った様子で周囲を見回す。

 だが背後を振り返ろうとして車椅子がまったく動かない事に気付き、背後を振り返ると、巨大な獣人の手が車椅子のハンドルを力強く掴み、ゆっくりと持ち上げていた。


 すぐさま飛び退くが、車椅子を失っては脚の弱った老人に逃げる術はない。

 そんな老人にも容赦なく、追撃の魔法。這いつくばる状態から逃げようとしたグロウドールの衣服が床に出現した粘着質な液体に絡め取られ、完全に動きを封じられた。

 グロウドールはアンの側で魔杖ロッドを握るエリアスを見つけ、強く歯を食いしばる。


「無理をするなご老体。別に獲って食おうという訳じゃあないんだ。我々はただ、其方をベネドール家三男殺害の罪で、捕えたいだけなのだから」

「こ、この私が、たかがスライムの魔法如きに捕まるなど……!」

「傲慢だな」

「あぁ、そしてその心の在り処こそ憤怒なり。エリアス、ご老体を黙らせるんだ」

「え……で、でも」

「案ずるな。殺せとは言っていない。其方は暴食の罪。故に、

「……は、はい。アン様」


 深く頷いたエリアスは、魔杖ロッドの先で床を突いた。


「何だ?! 何をした、ぁぁっ、ぁぁああっっっ!!!


 グロウドールを捕まえていた粘着質な液体が、生き物のように――それこそスライムのように蠢き、触手のように伸びてもがく老体に絡みつく。

 伸びた触手の先が老体に吸着し、液体の一つが魔杖ロッドへと伸びると、液体の中を青白い光源が老体から魔杖ロッドへと流れ始めた。


「貴様まさか、私の魔力を……!」


 そう、喰らっている。


 スライムという低位モンスター最大の特徴は、餌が魔力であると言う事。

 人型の希少種を除き、基本的なスライムは大気に浮遊していたり大地に染み込んでいる魔力を餌として吸収し、それを食事としている。

 魔物と類される生物以外でこの特性を持つモンスターはなく、スライム特有の個性と言っても過言ではない。


 そして人型のスライムも、基本的には食事を必要としない。

 口に入れた物を分解して栄養源とする事は出来るものの、本来は不要な行為であり、餌は他のスライムと同じ魔力である。


 違う点があるとすれば、一度に必要な魔力の総量だ。

 普通のスライムに比べて、個体差はあるが、人型の希少種は十倍近い量の魔力を必要とする。

 そしてエリアス・エクロンの最高魔力貯蔵量は、基本的な。単純計算で、基本形の百倍だ。

 老体に貯蓄された魔力など、優にである。


「安心するといい。収監される監獄は最近看守長が代わってな。一度膿を吐き出して綺麗になった故、老体に鞭を打つ者もいまい。安心して、老後を檻の中で過ごせ」


 筋力維持。身体能力向上。

 その他生命活動をより長く維持するための魔法を、幾つか自身に施していたらしい老人は、エリアスに魔力を喰われ続け、ミイラのように干からびて動かなくなってしまった。

 死んではないようだが、このままでは死ぬだろう虫の息を繰り返している。


 そこにタイミング良く、オークション会場を占拠したらしいベネドール家の長男、フェナメルラが数人の兵士を連れて入って来た。

 見ただけで状況を悟ったらしく、変わり果てたグロウドールを兵士に連れて行かせ、ワインを嗜むアンに頭を下げた。


「オークション会場は、コルトスに任せました。他の奴隷達も解放され、父の下で見合った職業に就かせて貰える事でしょう」

「フム、ならば良かった。裏で回っていた奴隷制度もこれでめでたく廃止されたわけだ。困るのは奴隷を買うような貴族だけだ。なぁ、ベネドール家次期当主殿」

「……仰る通りですね」


 フェナメルラは頷くしか出来なかった。


 テテノの財産のすべてを奪い取ってやらんとベネドール家に向かったアン一行を、当主のガネーディッタは退散させようとした挙句、息子を殺した大罪人として処刑するとまで言い出したので、アンは交渉を持ち掛けた。


 自分達はテテノを怪物に変えた張本人を知っている。今からそこに乗り込んで何もかもを破壊して来るが、そうすればベネドール家の物も含めた奴隷売買の記録が、警官隊に渡るだろう。

 そうなれば果たして困るのは誰か。奴隷を買っていたのはテテノだけではない。もしも当主のガネーディッタまでが裏の業界に手を染めていたとなれば、国からの信頼は地に落ちるだろうが問題ないだろう、と。


 それを聞いたガネーディッタは蒼白となった顔面で交渉に応じ、今回の件ですべての奴隷を解放し、オークション会場を閉鎖する事を約束した。

 自分達の手で終わらせれば、自分達の保身はまだ出来る。奴隷を手放す事で自分達の未来を護る事を選んだガネーディッタだったが、彼の思惑通りに事を運ばせる気など、アンには毛頭なかった。


 ガネーディッタは、兵士や警官隊を動かせる権力として使っただけ。

 アンの真の交渉相手は、長男フェナメルラと次男コルトスだったのだから。


「ベネドール家の奴隷売買記録……奴隷に手を出さないで良かったな。ガネーディッタの奴隷売買と長年許していた事実。そして奴隷を買うための資金として国民の税金を使っていた事実とを其方が公開する事で、ガネーディッタは失脚し、其方達三兄弟妹きょうだいは護られる。素晴らしい提案だと、思うだろう?」

「……テテノ同様、父の事が許せなかったのは事実です。ですが、ここまでする必要が――」

「あったとも。なかったとしても今日まで何もせず、ただ傍観していただけの其方の責任。憐れむのなら早々に手を打ち、軽い刑罰で済むようにしなかった過去の自身に怒れ」

「……返す言葉が、見つかりません」


 とは言っても、彼には父ほどの権威も権力もない。

 仕方ないと言い捨てる事は簡単だが、それでも何もしなかった事も事実。

 父を許せなかったと強い言葉を使うだけの彼の怠惰が、招いた結果だ。


 最悪、まだ幼い妹だけでも護られるのだから、納得して貰う他ない。


「では、約束通りテテノ・ベネドールの財産は貰い受ける……と、そうだ」


 今回の件でアンに苦手意識が出来たか。表情にこそ出ないものの、フェナメルラはアンを恐れているように見えた。

 気持ちは、ベンジャミンにも理解出来た。


 ほんの時々、アン・サタナエルは悪魔のような冷酷さを見せる。

 それもまた、憤怒の大罪を背負う者としての責務として振舞っているのか、それとも本当に怒りに狩られての衝動的言動なのか。

 アンの本心が、見えない時がある。


「其方、英雄に関して繋がる場所を知らないか。この近くでだ」

「七人の英雄に、ですか……? ここから南方の地に、聖母アリア・マリアが営む孤児院があると聞きます。教会もあるそうなので、修道士や修道女を育てる施設かと、思いますが」

「そうか。情報の提供に感謝する。ではな。其方達も、上手くやると良い」


 その後一旦宿に戻り、改めて休息を取ってから出立した。

 国を出る際にガネーディッタ・ベネドールを称える声が聞かれたが、近いうちに失脚するだろう未来を知っていると気分としては複雑で、何とも言い難かった。


「あの家は、これからどうなるんだかなぁ」

「なるようになるだろう。七人の英雄を倒そうと言う私達に、貴族の家が没落しようと発展しようと関係はない」

「冷てぇなぁ」

「それよりも問題視しなくてはならぬ事があるからだ。あのグロウドールという老人の念話テレパスの相手……おそらくは七人の英雄が一角、賭博師ブラック・ドラッグだ」

「な――!? じゃあ俺達が孤児院に向かってる事もバレてるんじゃあねぇか?!」

「かもしれぬ。例えバレてないにしても、私達の存在が、すでに英雄の一角に知られている事は確かだ。これからの行動も、常時監視されていると考えた方が良いだろうな」


 アンは淡々と告げる。

 どうしてそうも平静なのかと思ったが、疑問に思う事もなかった。


 アンは元より、英雄を倒すため旅に出たのだ。

 盲目の身になりながらも一人で監獄に忍び込み、貴族の怨みを買う事も厭わず奴隷を買った。


 最初から最後まで、命を賭した旅路だ。果たしたところで称賛はなく、栄光もない。

 この旅に出る時に彼女がどれだけの勇気を振り絞り、覚悟を決めて一歩を踏み出したか。想像するにはまだ、彼女の事を知らな過ぎる。

 だが、盲目ながらしっかりと前を向き、見えていないはずの道を見据えてしっかりとした足取りで歩く彼女の横顔には、腹を括った様が見て取れた。


 半分は冗談で言っているのだろうと、思っていた自分もいたかもしれない。

 だから彼女の言動に驚き、冷や汗を掻いていたのだとしたら、彼女の事を一番馬鹿にしていたのは、もしかしたら――


「なぁ、姉御。姉御はこの旅で英雄を倒して、どうしたいんだ?」

「うん? 決まっている。私は憤怒の罪だぞ? 英雄と呼ばれて調子に乗ってる連中に、言ってやりたい事が山ほどあるんだ。うんとな」

「そっか……なら、傲慢の罪である俺もついて行かないとな!」

「もちろんだ。そのために連れ出したのだぞ? 途中で抜け出されては困るからな」

「おぉよ! 任せとけ!」


 エリアスの事を云々言っている場合ではなかった。

 心配されるべきは、奴隷の首輪も主従の契約も結んでない自分だった。


「あの後雨でも降ったのか、足場が悪いな。エリアス、手を貸してくれ」

「はい、アン様」


 新たにスライムの少女――暴食の罪、エリアス・エクロンを仲間に加え、大罪の旅路は続く。


 向かうは南方。七人の英雄が一角、聖母と呼ばれた女性の営む、孤児院兼教会である。

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