は、幸せである。

狗条

1…モーニングルーティン

 広島市西区横川 マンション島風302号室


 鉄筋コンクリート12階建ての新築賃貸マンション。

 家賃6万7千円。

 2K南向きの洋室16畳のリビングと同じく洋室5畳の趣味の部屋。

 カウンターキッチン3口コンロ。

 バストイレ別。浴室広め。

 山陽本線横川駅徒歩10分。バス停目の前。駐車場完備。


 3人暮らしのこの空間は、彼ら、彼女の絶対的信頼の安息の地。

 この場所を荒らすことは何人たりとも許されない。


 AM5:40


 高校教師をしているあけぼのの朝は早い。

 アラームを止め、クイーンサイズのローベッドで寝ている2人を起こさないようにそっと布団から抜け出し、リビングを出て洗面所に向かう。顔を洗って、少し伸びている髭を剃る。

 リビングに戻りカウンターキッチンでコーヒーを淹れる。優雅な朝には挽きたての豆から入れたものが良いが、平日の朝にそんなことは出来ないのでインスタントコーヒーで我慢する。

 電気ケトルでお湯を沸かしながら、朝食とお弁当を作る。今日の朝食は目玉焼きと昨日の残りの味噌汁と冷凍庫に保存していた白米。ふりかけでもかければ問題はないだろう。

 お弁当はお気に入りのパン屋で買ったベーグルでも使うとするか。


 AM6:30 


 アパレル店員であるさざなみはいつも2番目に起床する。

 腰に回る腕をそっと解き、同じく静かに布団から抜け出す。


「おはよう」

「おはよ」


 キッチンで2人分のお弁当を作っている曙の背後に回り、自分よりも20センチ以上高い男の腰に腕を回す。グリグリと少しやせ気味の背中に茶色の頭を押し付けると目の前の体が180度回転し、漣の小さな体をすっぽりと包み込む。


「今日のお弁当どんなの…?」

「ベーグルサンド弁当」

「あのパン屋のベーグル?」

「そう、ハムサンドとあんバターとポトフ」

「あんバターはあんこ多めが良いな」

「はいはい。作っとくから顔洗って来なさい」

「はーい、せんせー」


 曙から離れると、洗面所に向かい洗顔ソープで顔を洗う。化粧水で肌を潤し、ドラム式洗濯機を回す。3人分の洗濯物となれば、1日に1回は回さないといけない。

 化粧ポーチを手にリビングに戻る。ローテーブルにスタンドミラーを置き様々な塗料を駆使し、今日の顔を作っていく。

 ベースを作り、一番大切にしているアイメイクに取り掛かる。ポイントは目尻に紅いアイシャドウを付けること。


「漣は化粧しなくても可愛いのに」

「社会人だから仕方ないのよー。全く…高校生まではしたらいけなかったのに、なんで社会人になったらメイクするのが当たり前になるのかしら」

「そこは男にはわかりません」

「それこそ、あんたたちの髪と一緒じゃない?」

「髪?」

「ワックス。私の学校だとワックスとツーブロが禁止だったわよ?」

「あー…僕もだったかな。確かにね…今の学校でもその二つは禁止になってた気がする」


 理解できないことは多いが、世間の『普通』から外れることはあまり良しとはされないらしい。世間一般と言うルールを守り皆と同じように生きる。


 AM7:00


 書店のアルバイトをしているおぼろの朝は2人よりもゆっくりだ。自主的に起きるというよりは、漣に布団を取り上げられ強制的に叩き起こされる。


「俺…今日午後から…」

「曙が仕事に行っちゃうわよ。あんた、この前起きて曙がいなかった時『いってらっしゃいのチューされてない』って拗ねてたじゃない」

「寝てる朧のおでこにはしたけどね」

「起きてないとノーカンだもーん」

「じゃぁ、早く起きなさいよ」

「お姫様は王子様のキスじゃないと起きません」

「いただきまーす」

「はい、どうぞ」

「まって…やだ…」


 無視されたことが悲しくなり、朧は勢いよく起き上がった。

 リビングのローテーブルには曙が作った朝食が並べられていて、味噌汁の匂いで起こされるとはこのことか。と朧は、今だに覚醒していない頭でぼんやりとそんなことを考えた。曙は出勤時間が迫っているため、既に朝食を食べ始めている。

 大きなあくびをこぼし、布団からのっそりと出る。朧は顔を洗うために洗面所へと向かった。数秒後、「ナミちゃーん!洗顔貸してー!」という叫び声が聞こえた。


 AM7:20


 ダークグレーのスリーピーススーツに身を包み、黒髪を緩くオールバックに撫で付けた曙は、クローゼットの扉に貼り付けてある姿見で自身の姿を確認する。襟もネクタイも問題ないようだ。

 薬指の指輪も忘れていない。


「いってきます」

「いってらっしゃーい…んっ」

「いってらー…んーっ!」


 それぞれの唇にキスを落とし、一足先に家を出る。

 部屋は3階にあるため、エレベーターで1階に降り駐車場に停めている愛車に乗り込む。アストロブラックのミニクラブマンクーパーS。

 エンジンをかけここから30分掛けて勤めている高校に向かう。


 朧は白米を口いっぱいに詰め込みながら、朝のニュースを見ようとテレビをつけた。女性アナウンサーが爽やかな笑顔で天気予報を伝えている。そんなテレビの横では、「あーでもない、こーでもない」と姿見の前で漣が一人ファッションショーを繰り広げている。

 アパレル店員ということもあり、クローゼットの半分以上は漣の服で占められている。特別なことがない限り、あまり見ることのない落ち着いた色合いのチャイナドレスや、着物を思わせる和柄のロングカーディガン。そのどれもが漣の普段着である。


「バイト、午後からなら洗濯物干しておいてよね」

「わかった。ナミちゃん俺の服も選んでー」

「はいはい。今日はどんな感じが良いの?」

「うーん…今日は帰りに買い物して帰りたいから…動きやすくておしゃれな感じで」

「動きやすくておしゃれね…ワントーンで…スニーカーだけ派手なのにすれば良いかしら…」


 黒スキニーに大きめの黒のスウェット、最近お気に入りのナイロンのロングパーカー。足元は蛍光グリーンのラインが入った黒いスニーカーで良いだろう。


「あんたの頭の色、今派手だから選びずらいのよね」

「だからナミちゃんに頼んだ」


 朧の髪はプラチナアッシュの緩くパーマのかかったミディアムマッシュだ。確かに、コーディネートには迷ってしまうかもしれない。

 漣に向け「ありがとう」と笑う朧はとても可愛く見えた。ふわふわとした髪と口いっぱいにご飯を頬張る姿がまるで小動物のようだ。


「ん?ナミちゃんどうしたの?」

「よーしよしよし。ほら、ご主人様って言ってみな?」

「ご主人様ー!わんわん!」


 朝食を頬張る朧の前にしゃがみ、漣は寝癖のついた金髪をよしよしと撫でた。その撫で心地がよかったのか、朧はもっともっとと言わんばかりに目の前の漣の腰に腕を回し、ぐいっと引き寄せると膝の上に座らせた。


「よーし。良い子の朧にはキスのご褒美をあげましょー」

「わーい」

「んー…って!ちょっと…!」

「ナミちゃーん!チュー…」


 朧の頬を両手で包み込み、目を瞑った顔を数秒堪能し触れるだけのキスをする。唇が離れると、朧はパチリと目を開け今度は漣の後頭部に手を添え勢いそのままにキスをしながら下のラグに押し倒した。

 そんなところまで今は許していない。と、漣は背中をバシバシと強めに叩いた。


「そこまでしてたら仕事に遅れるじゃない!」

「ナミちゃんがかわいいことするからー」

「ほら!起きてよ!」

「はーい」


 漣の上から渋々体を起こし、残っていた朝食に手を付ける。少し冷めてしまった味噌汁に朧は顔をしかめた。

 同じく起き上がった漣は壁にかけている時計の時刻を見て、慌てて立ち上がり、迷いに迷った黒のチャイナ服風のワンピースに着替えた。首回りや袖がレースになっているロング丈のセクシーなこの服は最近のお気に入りで、迷った時にはこれを着ている。曙と朧には「セクシーすぎる!」と怒られた。

 ちゃんと上にはショート丈のマウンテンパーカーを羽織るし、アクセサリーリングと一緒に薬指には指輪も嵌めている。


「じゃぁ、私もそろそろ行ってくるね」

「待って待って!行ってらっしゃいのチュー!」

「はいはい…んー」

「んっ…!」


 曙が作ってくれたお弁当とハンドバッグを持って足早に家を出る。

 バスの時間には間に合いそうだ。


 AM8:00


 洗濯終了を知らせるメロディは数十分前にすでに鳴っていたらしい。

 2人を見送り一人残された朧は3人分の食器を洗い終えると、洗濯機の蓋を開く。

 家事全般はある程度ではあるが得意だ。だが、唯一洗濯物を干すことが苦手だ。


「ナミちゃんにわかった。って言っちゃったしな…」


 洗濯物は干せなかった。という言い訳を考えようとしたが、2人に嫌われるのは嫌なので、渋々ではあるが干すことにした。

 取り出した洗濯物を洗濯カゴに詰め込み、洗濯ハンガーとワイヤーハンガーを持ちベランダに出る。少し肌寒い気がしたが、天気予報では快晴だった。


「お!あっちゃんのシャツ…ボタン取れかけてる。ナミちゃんに言って直してもらわないと…」


 パンパンとシワを伸ばしながら一枚ずつ丁寧に干していく。朧は最近、几帳面な曙に干し方が違うと怒られたばかりだった。

 曙曰く、洗濯物は風通しをよくするためにアーチ状に干し、間隔をあけると早く乾くらしい。他にも、ポケットは出す。フード部分が重ならないようにする。などなど、こだわりがあるようで大雑把な朧と漣に熱弁した。

 一日中外に干していたら、そんなことも関係なく早く乾きそうな気がするな。と朧は思いながらも、せっかく曙が言っていたので実践はすることにした。


「出たな…ナミちゃんのブラ…」


 朧が洗濯物を干すことが苦手な1番の原因はこれだ。


「イマイチ干し方分かんないんだよな…どこを挟んだらいいの?ここ?それともこっち?」


 自分で使うことのないそれはどう扱って良いのか分からない。

 もちろん、そういった行為の際には触れたりするが、洗濯物としてまじまじと見て触れるのはなんとも生々しい。しかも、レースを基調とした黒色。

 正しい干し方は分からないが、紐部分ではなくホックのついた方を洗濯バサミで挟み、パッド側が下を向くように干す。3階で周りから見られることは少ないとはいえ、ちゃんと漣の下着が外から見えないように真ん中あたりに干し、周りを朧や曙の洗濯物で囲む。


「よし、これで完璧だろ」


 ベランダに干した洗濯物を眺め、満足したように鼻を鳴らした。

 アルバイトに向かうまでにはまだまだ時間があるため、ベッドに背を預けテレビとスマートフォンを見てゆっくりすることにした。


 AM11:00


 気が付いたら二度寝をしていたらしい。

 アルバイトの時間までに起きれたことが奇跡に近い。


「ふぁ…そろそろ準備するか…」


 立ち上がり、体を伸ばすと洗面所へと向かい更に酷くなってしまった寝癖を直すために頭からぬるめのお湯を被った。

 適当に髪を湿らせるとドライヤーで髪を乾かす。朧はドライヤーをかけることが好きだ。この暖かい温風がなんとも心地良い。二人の髪の毛も時間が合えば朧が乾かしている。

 髪が乾くと曙と一緒に使っているワックスで髪の毛をセットしていく。


「うわ…根元黒くなってんじゃん…髪も切りたいし…次の予定確認しないと…」


 つむじの辺りは髪が伸びてきて地毛の黒色が見えてしまっている。この髪色に染めたのは確か2ヶ月前だったような気がする。アルバイト先の書店は朧の副業を理解してくれているため何も咎められることは無かったが、生活していても目立って仕方がない。


「よし、こんなもんかな!またパートのおばさんたちに褒めてもらえるかな」


 髪の毛のセットが終わると、右耳のピアスホールにお気に入りの三角形のピアスをつける。もちろん、薬指には漣同様アクセサリーリングと一緒に指輪も嵌める。

 漣の選んでくれた洋服に身を包み、必要なものをリュックに詰め込む。電気やガス、鍵のチェックをしスニーカーを履いて家を出る。

 天気予報の通り、今日は変わらず快晴のようだ。

 早めのお昼ご飯は駅前のファストフード店で適当に済ませるとしよう。

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は、幸せである。 狗条 @thukao0710

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