終章
約束
あれから、一年が過ぎて。
僕らはまた、六月九日を迎えた。
テレビのニュース番組が、伍横町というところで起きた奇怪な事件について報道している。その町は、一夜の内に町内のあらゆる場所が原因不明の損傷を負っていたという。
「……ふむ。近頃おかしな事件が続くな」
「ですねえ。ここいらでは起きなきゃいいんですけど」
「そうね。もう危ないことは、こりごりだわ」
朝食の席。テレビを見ながら家族で談笑する。それはずっと前から変わらない、青野家の朝の光景だ。
島を出てからも。それが終わってしまうことはまだなかった。
「そういえば、お父さんはヒカルの夏休み、どこか行ってあげたい場所とかはないですか? 僕は淡路島とか、連れて行ってあげようかなあと思っているんですけど」
「はは、どこでも構わんさ。どこだって、まだ行ったことのない場所だ。きっと楽しい思い出になるだろう。だから、どこでも反対せんよ」
「そう言われると、逆に困っちゃうわよね、ヒロさん」
「いやあ、まあ……はは」
僕らは、実際には家族ではない。家族として集められた、赤の他人だった。
けれど、あの島で集い、過ごした十数年の思い出は、僕らを確かに家族にした。
だから、僕らはその名前のまま今も家族を続けている。
そして、きっとそれはこの先も続いていくのだろうと思う。
こんな風に、変わらないこともあるけれど、変わったこともある。それは他でもなく、僕に関する――というか、僕とクウに関することだ。
……チャイムが鳴る。噂をすれば、だ。
「あら、クウちゃんじゃない? 最近はあの子が迎えにくるのね。ほらほら、はやく行ってあげなさい」
「そうだぞ、ヒカル。未来のお嫁さんを、あまり待たせるな」
「あ、あのね……」
「はは、若いのはいいもんだな」
「ほら、食器は片付けておくから行ってきなさい」
「は、はい……」
急かされながら、僕はリビングを出て、自分の部屋から鞄を持ってくる。そして、玄関まで慌てて戻ってくる。
……島を出て、地主同士の決まりごとなどが意味を無くしたあと、家族は手のひらを返したように、クウとの関係を応援し始めていた。
今では未来のお嫁さんなどと勝手に決め付けて、積極的に関係を良くしようとしているほどだ。
おかげで僕としては、照れくさくって鬱陶しいことこの上ない。
恋愛くらい、静かにさせてほしいものだ。
……まあ、未来のお嫁さんは間違いないとして。
「いってきまーす」
「気をつけていってらっしゃいねー」
玄関を開ければ、そこにはいつもの笑顔が待っている。
僕だけに明るく、眩しく、可愛らしい、特別な笑顔を見せてくれる少女が。
「おっはよー、ヒカル!」
「うん。おはよ、クウ」
これもまたいつものように挨拶をして、僕らは学校を目指す。大勢の子どもたちがいる、村とは違う、大きな学校へ。
転入してもうそろそろ一年。沢山の生徒にも慣れてきたころだ。共通の友人も結構できた。
「でさ、ワタルってば、今度は負けねえとか指を突きつけてきてさ。だから、受けて立つぞーって言い返してやったの。そしたらクラス中が大盛り上がり」
「あ、あはは。相変わらずだね……」
もちろん、ワタルとツバサも同じ学校に転入している。本名は違っていても、僕らは未だに彼らをその名で呼ぶ。
そして、彼らもその呼び方を気に入っているようだった。
……あれから、ゲンキさんとカエデさんのことは、あまり聞かなくなった。
それは多分、進展がないということだとは思う。
だけど、いつか近いうちに。
カエデさんの記憶が戻ればいいのになと、僕らは願っている。
あの島で過ごした十数年は、僕らにとってだけでなく、彼らにとっても大切なものだっただろうから。
「……ねー、ヒカル」
「ん?」
「あのね、お父さんがそろそろうるさいんだよ。正式に挨拶に来させたらどうだって」
「……あ、あはは」
……クウの家もかよ。僕は心の中でツッコミをいれる。
まあ、うん。分かっていたことではあるけれど。
「……だからさ。はやく……来てね?」
「……う、うん。必ず行くよ」
照れくさくて、頬を掻きながら、わざと遠くを見ながら、僕は答える。
その答えにクウは満足して、ぱあっと笑顔を咲かせた。
……ふと、空を見上げれば。
スズメが数羽、飛び去っていくのが見えた。
……あのころよりも、鳥を見る機会は減ったけれど。
あのころよりも、多くのものを見ることができている。
そして、いつか幸せな未来を。
彼女とともに見ることができることを、僕は信じている。
僕らの胸に、今もある光景。
僕らの胸に、今もある約束。
それを信じながら、僕らはこの世界を往く。
もう僕らは、鳥かごの鳥ではないのだから――。
*
……小さな病室には、一人の男と、一人の女がいた。
男は疲れきった様子で、見舞い者のために用意された椅子に座り、俯いている。
女は清潔に保たれたベッドの中で、静かに眠っている。
二人がそんな状態になってから、もう一時間ほどが経とうとしていた。
「……」
男が、ゆっくりと顔を上げる。どうやら少しだけ、彼も眠ってしまっていたらしい。
やや乱暴に目を擦ると、彼は音を立てないように椅子から立ち上がった。
そして、彼女のそばに腰を下ろす。
「……ツバサ」
彼は、静かに眠る最愛の女性の名前を呼ぶ。
それから、優しく髪を撫でる。
「……今日も、楽しかったよ。また……来週、来るから」
楽しかった。その気持ちには、偽りはなかった。
たとえ言葉も、感情も返ってこなくとも。彼女といる時間は、確かに満ち足りたものだから。
だから、自分の目から落ちる涙も、悲しいからではないのだと。
彼は自身にそう言い聞かせながら、彼女に微笑んだ。
「……が……とう」
「…………え?」
思わず、聞き返した。
信じられなかった。
それは、彼が何十年と求めてきたものだった。
だから、きっと何かの聞き間違いだろうと、否定的に。
彼は耳を澄ませながら、聞き返したのだ。
……そのとき。
「……あり……が、とう」
彼女の口が、はっきりとそう動き。
彼の耳に、はっきりと言葉が聞こえた。
そして、彼女のまぶたが、ゆっくりと開いて。
大切なその人の姿を、光を宿した瞳で、見つめたのだった。
彼は、彼女を抱き締めた。
それから、何度も名前を呼んだ。
そんな彼に、彼女は弱々しくも、明るく笑い。
……大切な人の名前を、数十年ぶりに、口にした。
――ずっとずっと、ありがとう。私の……ワタルくん。
――了
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