終演 ⑨

 ――突然、ミシミシという異様な音が聞こえた。

 反射的に上を見ると、ゆっくりと木が傾いていくのがハッキリと見えた。


「い、いけない、逃げろッ!」

 コウさんが叫ぶのと、木が倒れてくるのとはほぼ同時だった。

 何十メートルもあるだろう木が、周りの木を巻き込みながら、ズズウン、と大きな音を立てて倒れる。

 その恐ろしい音に、僕は鳥肌が立つのを実感した。


「あ、あちこちに火が回って、木が倒れそうになってる!」

「や、やばいじゃん! こんな森の中じゃ、一本倒れたら何連鎖すると思ってるの!?」


 さっきの一本の影響が、こちら側に連鎖してこなかったのが奇跡だ。もし全ての木が来ていたら、全員押し潰されていたに違いない。

 だが、そうならなかったにせよ、危険が続いていることには変わりないのだ。


「しっかりな、ツバサ……俺のせいで、こんなことになって……ごめんな。……みんなも、……本当に、すまない……俺が、こんなことをしなければ……」

「謝ってる場合でもないよ! どこか逃げ道を探さないと!」


 非情なようだが、クウの言うことが正論だ。とにかく死なないために、安全な所へ逃げないといけない。だが、一本しかない道はさっきの倒木で塞がれてしまっていた。


「ど、どこに逃げれば……いいの……!?」

「駄目だ、ここは多分島で一番高い場所だから……あの道が塞がれたら、逃げ場がない!」


 ワタルとツバサは、きょろきょろと周りを見回すが、もう火の手は全方位を覆い始めている。

 どうすればいい? 道は塞がれ、残り三方は全て崖だ。燃え落ちてくる木々を避け、ここから脱出できる方法なんて、あるのか?

 いや、考えろ。ここまで諦めずに、やってきたんじゃないか。そうして幾つもの危機を、悲しみを、乗り越えてきたじゃないか。

 決して、僕は、僕たちは諦めない。

 ……そうだ、たった一つだけ、賭けられるとするなら――。


「崖は!?」

「がっ、……崖から飛び降りると?」

「おい、ヒカル! それは危なすぎないか!?」

「でも、他に逃げ道がない!」


 僕が叫ぶと、コウさんが、


「……ヒカルくん、いい考えだ。恐らく君の言う通り、他に逃げ道はない。確か、島の構造からして、こちらの崖を下りられれば、海の近くまで出られるはずだ!」


 そう言って賛同してくれた。

 コウさんが指差すのは、村へ戻る道とは正反対の方向の崖だ。

 確かに、この先なら島の反対側に出られるかもしれない。


「……行こう。僕が下りやすい場所を探して、先導する」


 そう言うとすぐに、コウさんは崖の向こうへと歩を進め、滑るようにして降りていった。


「……コウさんについて行こう! 怖いけど、この道を行くしかないよ!」


 僕の言葉に、全員が頷き、覚束ない足取りながらも、コウさんの降りた道を辿っていった。

 コウさんが下りやすい場所を見つけ、先に進んでくれるおかげで、僕らは多少の恐怖を感じながらも、順調に下へ下へと進んでいけた。手を差し伸べ、体を受け止めながら、少しずつ、島の反対側へと向かうことができていた。

 ……しかし。


「……これは……」


 中ごろまで進んだかというところで、コウさんの足がピタリと止まる。それも当然だ。

 そこには、進もうとするものを拒絶するかのような光景が広がっていた。

 ……むき出しの岩肌。その下を覗き込むと、渓流が見える。その渓流までの高さは、見た感じ七、八メートルほどはありそうだった。


「な、……なにこれ……」

「ここ以外に道はないのか……?」


 ワタルの問いに、コウさんは首を振り、


「……だめだ。申し訳ないけれど、この崖はかなり長く続いてる。むしろ、ここが一番低いし、下に川があるから……安全なはずなんだ」


 安全とはいえ、それは他の場所と比べて、というだけだ。もし川に飛び込むことができなければ……大怪我は免れないだろう。

 それでも、背後に迫る危機から逃れるために、進むしかないのだ。


「僕から行く」


 そう言って、コウさんは躊躇いもせず、崖から身を躍らせる。その数秒後、ドボンという水の音が聞こえた。


「無事ですか、コウさん!」


 僕が崖下を覗き込みながら叫ぶと、川の波紋の中から、コウさんは顔を出し、


「問題ない、結構な深さがある! 怖いけど、飛び込んでくるんだ!」


 今更ながら、川の深さの問題もあったのだ。コウさんが身を以って証明してくれたおかげで安心できたが、もし浅ければどうなっていたことか。

 ……コウさんの勇気が、胸に沁みた。


「……よし」


 ワタルは自分を奮い立たせるように頷くと、そのまま崖から飛び出した。しばらくして、着水の音。ワタルも無事に下りられたようだ。


「……うー」


 ツバサちゃんは、僅かに躊躇ったが、崖下でワタルが両手を広げて待っているのを見て、


「……わー!」


 と声を上げながら、崖を飛び出した。水の音で、彼女も無事に下りられたことが分かる。


「……」


ゲンキさんは、しばらく考え込んだあと、隣で不安げにしているカエデさんの体を抱き、


「……大丈夫だ」


 彼女の髪を優しく撫でながら、一緒に、飛んだ。

 そして、最後に僕とクウが残る。


「……うーー、流石にこれは怖い……」

「……うん。僕も、それは同じだ。でも、一緒なら、大丈夫だよ」

「……そだね」


 僕は、手を差し伸べる。

 クウは、その手を取ろうと――した。


「きゃあっ!」


 そこで、地面が揺れる。近くの大木が倒れた衝撃だろうか、遠くから重い音も聞こえてきた。

 そして、それと連動するように、僕らの頭上から、いくつもの枝が、石が、落下してきた。


「うわあっ!」


 ガラガラという耳障りな音と、体にぶつかる枝や小石の痛みが、何秒も続いた。

 その音と痛みが治まったとき、僕は反射的に、クウの上に自分の体を重ねて、彼女を守っていたことに気付いた。


「……あ、……えと、……あ、ありがと……ヒカル」

「……うん」


 ……押し倒しているようで恥ずかしくなったので、僕はすぐに体を起こして、枝葉を払った。


「もうちょっとそのままでも……」

「馬鹿、何言ってるのさ」

「……えへへ」


 クウも汚れを払い、よいしょ、と声を出して立ち上がった。


「……ホント、ありがとね」

「……いいんだよ。だって、次は絶対に守る……それも、約束の一つだから」


 六日前の小さな約束。まさか、こんなにも早く果たすときが来るとは、思っていなかったけど。

 今だけじゃない。これからだって、守ってみせよう。だって、これからもずっとクウは、僕のそばにいてくれるのだから。


「……ヒカル、大好きっ」

「ちょ、ちょっと」


 勢いこんで、クウが僕に抱きついてくる。

 こんなことをしている場合じゃないような気はするのだが、しばらくそのままでいたいと思ってしまった。


「……僕も好きだよ、クウ」

「……うん」

「おーい! 二人とも、無事かー!?」


 下の方で、ワタルの声がする。名残惜しいけれど、もう行かなくちゃ、心配をかける。


「……行こうか」

「行きますか」


 二人で、崖の先端に立つ。


「……離さないでよ?」

「……ずっと、離さないよ」

「きゃー、照れちゃいます」

「……はいはい」

「……よーし」

「……せーのっ」


 掛け声とともに。

 僕らは二人、肩を寄せ合い、飛び込んだ。

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