六章 ヒカル三日目

葬送 ①’

 朝、僕は普段より早く目覚めた。どうしてか、嫌な夢を見ていた気がするのだが、思い出そうとしても思い出せない。

 まあ、夢というものは得てしてそういうものだ。何だか虫の知らせめいた焦燥感もあったが、ただ怖い夢に胸が早鐘を打っているだけだと、僕は気にしないようにした。

 二度寝するにも中途半端だったので、僕はさっさと着替えて一階に下りることにした。

 一階にはお祖父様がいて、どうやら丁度自室から出てきたところのようだった。


「おはよう、ヒカル」

「おはようございます」


 僕は軽く頭を下げる。やはり村一番の人間、という威厳がお祖父様にはある。


「今日は早いな」

「嫌な夢を見ちゃったみたいで」

「そうか」


 お祖父様は、短い顎鬚を擦りながら、


「少し、話をしても構わんか?」

「え? は、はい」


 僕が頷くと、お祖父様は嬉しそうな表情で、僕を和室へと招きいれた。

 ここは家の中とはいえ、軽い気持ちでは入れない場所だ。見るからに高価そうな掛け軸などが置かれている。子どもながらに、これをもし傷つけるとどれくらいの損害になるか、どれくらい怒られるかは容易に分かる。


「お前も鴇祭について、覚えていこうと意気込んでくれているようなんでな。祭のことを、今の内にある程度教えておこうと思う」

「ああ……」


 正直、意気込んでいるとまではいえなかったが、知らないことがあるのは気になっていた。眠くもないし、断る理由もないので、僕はその話を大人しく聞くことにした。


「この村が出来る前から、この辺りには鳥が沢山棲み着いていたらしい。その中でも特に珍しかったのがトキだ。だが、トキが棲むからという理由だけで、鴇村になったわけではない。鴇がこの村で神格化されたからこそ、村は鴇村となったのだ。分かるかい?」

「はい」

「では、何故トキは神格化されたのか。実はな、そこにはむしろ別の鳥が大きく関わってくるのだ。その鳥が何か想像できるか?」

「いや……さっぱり」

「カラスだよ。色が黒く、獰猛な鳥だ。トキとは正反対だろう。そのカラスが度々村を襲うことがあったために、村人たちはカラスと反対の性質を持つトキを神格化することにしたんだ。村人たちというより、当時の青野家が、だが」

「そうだったのか……」


 理解はできる。カラスという敵と逆の性質を持つトキを味方と考え、頼ろうとする。実際にはトキにカラスを退ける力などないものの、それで村人たちの、カラスに対する怒りは幾分鎮まるわけだ。トキ信奉は、そうしてできあがっていったのか。


「カラスは今も、夜になると人を襲うことがある。だから、夜はなるべく出歩かないように徹底させているし、カラスの棲み処である森の中へは、陽が出ているときでさえ安易に入らないようにと警告している。現実にはカラスに襲われたとて、トキは助けてはくれないのだしな」

「ええ、それはそうですね」


 あんな臆病な性格の鳥に、カラスをやっつけることは到底できない。人を見た途端逃げ出すのがせいぜいだろう。

 ……僕達の前に、つがいのトキが姿を現してくれたのは本当に奇跡的だ。


「とまあ、この村で鴇が信奉され、祭が催されるのは、そうした経緯があるというわけだ。簡単な説明だったが、それほど難しい理由があるわけでもないだろう? このことだけでも、今は覚えておくようにしなさい」

「……はい。お話、ありがとうございました」


 意外と有意義な話だったと思う。覚えておいて損はないかな、という程度に聞いていたのだが、長年疑問だったことが氷解したような感じだ。

 お祖父様の言ったとおり、今はこれだけでもしっかり覚えておこう。

 そう心に決めた、そのとき。

 電話の音が鳴り響いた。

 こんな朝から、誰だろう。

 廊下に出て、僕は電話を取る。


「はい、青野ですが」

「……あ……ヒカル」

「……クウ?」


 どうやら電話の声は、クウのようだ。だが、何だか様子がおかしい。いつものような、過剰気味の覇気がない。

 酷く落ち込んでいる、或いはショックを受けているようだ。


「どうしたの? 電話なんて……」

「……じゃった」

「え?」


 掠れた声は聞こえづらく、僕は聞き返す。

 すると今度は搾り出すような声で、クウは僕にこう告げた。


「死んじゃった……ジロウくんが……死んじゃったよ……!」


 その刹那、世界が突然に色を失くした気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る