葬送 ④

 結局最後まで来なかったタロウのことが心配になり、俺は黄地家を尋ねてみることにした。両親は式後の後片付けで忙しいだろうから、家にいるとすればタロウだけなはずだ。

 もし出てこなければそれでいい。そっとしておくだけだ。

 だが、一目顔を見ておきたかった。塞ぎこんでしまっていないかだけ、確かめたかった。

 チャイムを鳴らす。

 数十秒待ったが、誰も出てはこない。

 諦めて帰ろうとしたそのときになって、ようやく扉が開いた。


「……ワタルか」


 やつれた様子のタロウが、中から姿を現す。


「タロウ……」


 やはりタロウは弟の葬儀に出ることなく、ずっと家にいたらしい。ジロウくんの遺影と、彼の静かに眠る顔と対面するのが耐えられなかったのだろう。


「……入っても、いいかな」

「……ああ」


 心ここにあらず、といったような感じではあったものの、タロウは俺を拒むことはなかった。

 家は、電気一つ点いていなかった。俺はタロウとジロウくんが一緒に使っていた部屋に案内される。そこにはまだ、色濃くジロウくんの過ごした日々の痕跡が残されていた。


「……あいつは、ここで毎日遊んだり、勉強したりしてた。まだそこまで勉強しなくてもよかったのに、勉強まで俺の真似してやりたがって、難しい問題やろうとしてさ……そういうときは教えてやってたんだ」


 ジロウくんは八歳だった。普通なら学校に行っているのだが、昔から病身だったために学校へは行かず、家の中で勉強したり、ボランティアで村の人に教えてもらったりしていた。実際のところ、俺たちと元気よく遊べていたのは調子のいいときのことであり、悪いときには一日中寝ているしかなかったのに違いない。

 俺たちは、ジロウくんの元気な部分しか見えていなかったのだろう。


「いつ体調が悪くなるかも分からないのに、いつだって元気でいようとして……それはきっと、周りがあいつを心配そうに眺めるからこそだったんだろう。あいつは、そんな顔しなくていいよって、周りの皆を安心させるために、元気でいようとしてたんだ。ずっと、ずっと」

「……」


 俺たちも、無理をさせていた面があるに違いない。いくら元気そうにみえても、苦しいときはあったはずだ。それでもジロウくんはきっと、タロウの言うように、元気そうに振舞っていたのだろう。

 安心させたくて。


「出来すぎた、弟だったよ」


 タロウは、目元を押さえる。


「そんなあいつがもういないなんて……俺は、信じられないんだ……」

「……タロウ……」


 静かに涙を零すタロウに、俺は掛けられる言葉が見つからなかった。

 ただ、タロウのそばにいて、彼の孤独と空白とを、僅かばかりでも埋めてやるくらいしか出来なかった。


「……黄地家は、地主とは言っても、いつその地位から下ろされてもおかしくない。そんな微妙な家らしいんだ」


 ふいにタロウは、そんな話を始めた。


「……そうなのか」

「交易という役目を任されていると言っても、それは命令のようなもので、権力も財力も、ほとんど普通の村人とは変わらない。だから、いつその役目を他に移されてもおかしくはないんだ」


 タロウの口調は、だんだんと暗く沈んでいく。


「たった一つの任された役割を果たすことで、黄地家はなんとか続いている。役割を急に奪われたら、他にやることはない。この家は畑一つ持っていないから。……だから、交易という役割を失うような行為は、できなかった」


 そこで俺は、タロウが何を言おうとしているのかが、朧気ながら分かってきた。

 それは、村の非情な思想。


「もしジロウが難病だったら。その治療費は莫大なものになる。この村には金銭はほとんど流通していないから、外の病院で手術を受けさせるなら、村の金を大量に使うことになるんだ。村に多大な迷惑をかける。それを危惧した両親は……外の病院に診てもらうという選択を、ギリギリまでできなかった」

「……」


 そして、ジロウくんを……救えなかった。


「緑川家が、病の兆候に気付けなかったという理由も勿論ある。だが、中々快復しないジロウの容態に決断を下せなかった両親が、やはり一番責任が重いと俺は思っている。何も……訴えられなかった俺の責任も」

「そんなことは……」

「ある。これは……俺たちの責任なんだ……」

「……」


 頭を抱えるようにして後悔を零すタロウに、俺はまた言葉を失った。


「……すまない、ワタル」

「いや、いいんだ。……お前は、ずっとずっと悩んでたんだな。ずっとずっと、辛かったんだな……。ジロウくんに顔向けできないっていう思いも、あったんだろうな」


 なるべく言葉を選びながら、それでも思ったことを口にしていく。


「だけど……そうだな。挨拶には、行った方がいいと思う。でないと……ジロウくんが、寂しがるだろうから」

「……ジロウが……」


 タロウは一瞬、目を大きく見開き、


「……そう、だな。あいつは何も知らなかった。俺の身勝手な後悔で見に行かなかったら……寂しがるよな」

「ああ……」


 俺は頷く。それからしばらくの沈黙の後、


「……ありがとう、ワタル」


 消え入りそうな声だったけれど、タロウは確かにそう言った。

 もう、大丈夫かもしれない。


「……じゃあ、俺はもう帰るよ」

「……そうか」


 玄関まで、タロウは見送りにきてくれる。


「じゃあな、タロウ。また、学校で」

「ああ、また……」

「……きっとさ」


 最後に俺は、一言だけ付け加えておく。


「ジロウくんは、今頃元気に、空を飛び回っているだろうから」


 何気なくだったその言葉に、けれどタロウはどうしてか過敏に反応した。

 しかもその反応は、俺の予想とは違った反応だった。

 彼は……苦悶に満ちたような表情でこちらを見つめてきたのだ。


「……なあ、ワタル」

「……うん?」

「お前は……村人が亡くなったら、どうなるか……知ってるか?」

「そりゃ、お墓に埋められるんだろう? 土葬か火葬か知らないけれど。それで……死んだ人は、鳥になるっていう言い伝えがあるんだよな。母さんが、何度も口にしてた」

「それで、飛び回っていると、そう言ったわけか……」

「まあ……悪い、あくまで言い伝えだよな。忘れてくれ」

「いや。……そういうのじゃ、ないんだ」


 タロウは俺の弁明を遮るようにして、言う。


「そうか……お前はまだ、

「知らないって、何を……?」

「…………」


 タロウは再び、黙り込む。それから、意を決したように、


「なあ、ワタル。お前も、いや……お前だからこそ、すぐに見てほしいものがあるんだ。この村でずっと行われてきたことを、その言い伝えが示す、本当のことを」

「……ど、どういうことだ、タロウ?」

「明日の朝……共同墓地に来てほしい。そこでまた……話がしたい」

「墓地って、……立ち入り禁止じゃ」

「分かっている。だけど……そこで、待ってる」


 そう言われてしまっては、断るわけにもいかず。


「……分かった。明日の朝、行くよ」

「ああ。……ありがとう」


 それじゃあ。タロウはそう言い、俺は彼の家を辞去した。

 解決しようとした問題は見事に解決できたはずなのに。

 俺の心の中は、新たに芽生えた疑問に、再び霧が立ち込めていた。

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