鴇村 ②’
「いってらっしゃい、ヒカル」
「うん。いってきます」
母に見送られ、僕は学校へ行くために出発する。但し、まず向かうのは学校の方角ではない。いつのまにやら、これもリズム化されてしまっている行動だ。実のところ、迷惑な話なのだが。
学校がある日は毎日、僕は友だちを迎えに行っている。お前がそんなことをする必要はないのに、と家族には言われるのだが、何となく足を運ばないといけない気がしてしまうのだから仕方がない。
別に、好きで行っているわけではないのだ、決して。
家を出て徒歩数分。僕の友人――緑川くうの家が見えてくる。玄関前に立つと、僕は躊躇いもせずに扉をたたく。当たり前だ、いつものことなのだから。
「おはよー、ヒカル」
扉が開いて、クウが姿を見せる。普段は綺麗な長髪はまだボサボサで、寝惚け眼をこすりながらとろんとした声で挨拶してくる。
「ん。おはよう、クウ」
「ちょーっとだけ待っててね」
言うなりクウは扉を閉めてしまう。バタバタと廊下を走っていくらしい音だけが聞こえた。
クウは僕とは違い、時間通りに起きるということがどうしてもできないらしい。そこで僕が毎日、同じ時間に迎えにきているのだ。こんなことをする理由は薄いと思うのだけど、クウの方からお願いされるのでどうにも断れない。あいつの頼みは何故か断りづらいのだ。
しばらくして、クウは食パンを口に咥えるという漫画っぽいだらしなさで、僕の前に再登場した。殆ど食べ終わってはいるものの、本当にこんな子が現実にいるんだなあ、と妙に感心してしまう。
「んじゃ行こうか、ヒカル」
「了解」
最後の一口を食べ終えると、クウは迎えに来ている俺をさっさと抜き去って歩いていく。僕は小さく溜息を吐いてから、傍若無人なクウの後に続いた。
村の真ん中に流れる川は、北と南、そして中央に架けられた橋から渡ることができる。クウの家は真ん中辺りの位置にあるので、真ん中の橋を渡るルートを使っていた。クウを迎えにくることがなければ、僕はそもそも川を渡らず学校に行けるのだが……まあその辺は諦めている。
通い慣れた道を十分ほど。鴇村唯一の学校に辿り着く。
八時十五分。まあ、ちょうどいい時間だろう。
「さー、今日は何の遊びになるかなー?」
「体育は三時間目だって。まったく、勉強もしっかりしなくちゃいけないよ」
「その点はヒカルがいるから心配してないのだ」
「そういう意味じゃないんだけどなあ……」
クウと話していると、いつも彼女のペースに流される。僕の言葉が真っ直ぐ彼女に届いたことはないような気がするし、けれども彼女の言葉は僕を動かすのだ。
それを、何故だか快いと思う自分がいるのが悔しい。
学校に入ると、何人かの生徒と、それからタロウの後ろ姿が見えた。タロウは窓に背を向けて、何となく近寄りがたい雰囲気を纏わせている。普段は気さくな男の子だが、今は心配事を抱えているのだ。
「……病気、なんだっけ。ジロウくん」
「うん。……結構、重い病気みたい」
クウは途端に暗い表情になって頷く。もし事情を知らなければ、元気付けてあげようだとか言って突っ込んでいきそうだが、タロウの弟の病気に関しては恐らくクウが、いやクウの家族が最もその事情を良く知っているに違いない。
クウの家は、この村でただ一つの医院を営んでいるのだから。
「実際、すぐに治るような病気?」
「……ううん。治すには、もっと大きな病院に行くのが前提だと思う。病気、見つけたのがかなり遅かったみたいだからね……」
「そう、なんだ……」
明るいのが取り柄のクウが、こんなにも弱気な発言をするのだから、ジロウくんの病気は相当重いのだろう。
つい最近まで、一緒に遊んでいたというのに。
「良くなると、いいけどね」
「だねー……」
見つめるタロウの後ろ姿は、相変わらず重苦しい。
また、いつものように五人で遊べるようになってほしいものだ。
そんな日が早く戻るように、僕は願う。
「うーん。暗い話題はこれくらいにして、なんか他のこと話そ?」
「あ、うん。……そういえば、もうすぐ鴇祭だね」
「あー。私はあれ、雰囲気は好きだけど、式の間ずっと立ってなきゃいけないのが嫌だなあ」
「って、十分もやらないじゃないか。それだけで嫌って……」
「堅苦しいのがしんどいんだよー」
「は、はあ。まあそうだろうね……」
確かに、クウに堅苦しい場は全くといっていいほど似合わないだろう。
今日二度目の溜息を吐いたとき、ガラガラと教室の扉が開く音がした。
振り向くと、ワタルとツバサの姿があった。
「おはよう、ヒカル、クウちゃん」
ワタルが僕らに向けて、挨拶をしてくれる。僕も二人に向かって挨拶を返した。
「あ、ワタル。それにツバサちゃんも。おはよう」
「おはよーっ、お二人さん」
僕らの学校生活が、今日もまた始まる。
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