鴇村 ②

 貫禄すら感じさせる、木造の平屋。

 中央を流れる、透き通った川。

 作物の育つ畑。

 長閑な光景。

 これが――鴇村。

 俺たちの住む、小さな村だ。

 山奥にある、地図にすら名前の載らない、ほんのささやかな村。

 その場所で今日も、俺の一日が始まっていく。

 学校は俺の家のすぐ北にあった。村自体が狭いので、歩いて三分もかからない。裏手に回り、ちょっと歩いて左に曲がればそこに学校が見える。掛けられた時計の目立つ、村で二番目に大きな木造建築だ。

 校門前までやってきた時、おーい、という声が聞こえてきた。耳慣れた声だ。すぐにあいつだなとわかる。

 民家の影からひょいと現れたのは、やはり俺の頭に浮かんだ人物だった。


「ワタルくん!」

「おう、ツバサ。おはよう」

「うん、おはようワタルくんっ」


 肩の辺りで揃えられた、白みがかった髪。そして眩しく無邪気な笑顔。この女の子の名は、真白(ましろ)つばさ。見た目に違わず、明るく純真で、ちょっと天然な女の子だ。


「今日は転ばなかったな」

「もう、私そんなドジじゃないよ! ……ま、行こっか?」

「ああ、そだな」


 門の前で立ち話をしていても仕方ない。俺たちは二人並んで門を通り過ぎた。

 それなりに広い校庭に、一つしか教室のない校舎。ここが俺たちの通っている、村で唯一の学校だ。

 ここ一つしかないから、俺たちはただ学校とだけ呼んでいる。

 鴇村の人口は四十人程度。子どもの数となれば、十人にも満たない。年齢もバラバラの子どもたちで編成された、一クラスの学校。けれど、それだからこそ友情も厚かったりする。

 朝が待ち遠しくなる理由になったりする。


「もう時間ギリギリだ。急ごう、ワタルくん」


 いきなり走り出すツバサに、俺は苦笑しながら注意する。


「慌てなくても。もうそこなんだからさ」

「はーい……」


 喜怒哀楽の分かりやすい子だ。

 玄関口をくぐり、俺たちは靴のまま校舎の中に入る。下足ロッカーなどはあるはずもない。

 滑りの悪くなったスライド扉を開くと、教室には既に他の生徒が全員揃っていた。


「おはよう、ヒカル、クウちゃん」


 俺はまず、一番近くにいた二人に挨拶した。二人はこちらの声に気付くと、


「あ、ワタル。それにツバサちゃんも。おはよう」

「おはよーっ、お二人さん」


 と、返してくれた。前者がヒカル、後者がクウちゃんだ。

 青野光(あおのひかる)はどちらかと言えば大人しい性格の少年だが、聞き上手なところもあり、話のネタも多いので、話しやすい。対して緑川(みどりかわ)くうは男勝りな性格の女の子で、外で遊ぶときも決して俺たちに遅れをとることはない。


「相変わらず、仲がよろしいことでねえ」

「もう、クウちゃん。朝から変なこといわないでよ」


 クウちゃんがからかうのに、ツバサは顔をほんのり赤らめて抗議する。ただの冗談だとスルーすればいいものを、こちらまで恥ずかしくなってくる。


「ごめん、ツバサちゃん。こいつの口の軽さも、相変わらずだよね」


 と、ヒカルがフォローを入れてくれたので、ツバサもうんうんと頷く。


「何ですってー?」

「ははは……」


 クウの膨れっ面が面白かったので、俺は思わず笑ってしまう。

 こうやって、他愛のない話で盛り上がるのはもう毎度のこと。この話のために、笑顔のために、俺たちは毎日学校へやって来ていると言ってもいい。勿論勉強も楽しいけれど。この村で大事なのは、知識よりも結束だと思う。

 ツバサに、ヒカルに、クウ。この三人は、特に仲のいいメンバーだ。

 それに、あと一人――


「……ん、そういやタロウは?」

「タロウくんは……窓際で外眺めてるね。元気ないのかな」


 ツバサの視線の先を見やると、確かにタロウは憂えた瞳で窓の外を見つめていた。思わず首を傾げると、


「弟くんの、病気がねえ」

「ああ、そうか……」


 クウの説明に、なるほどなと腑に落ちる。

 端の席で静かに座る彼、黄地太郎(おうちたろう)も仲の良いメンバーの一人なのだが、クウの言うように弟が病を患っているらしい。

 弟の名前は次郎(じろう)と言い、まだ学校に通う年齢ではないのだが、たまにメンバーに混じり遊ぶこともある。

 とても活発な子で、つい最近も俺たちと一緒にサッカーをして遊んでいたのだけれど……。


「クウが言うなら間違いないんだろうな」

「ま、お医者さんだからね」


 苦々しく、クウは頷く。


「すぐに良くなれば、いいけどねえ」

「そうだねえ……」


 ヒカルとツバサも、そう言って互いに頷きあった。

 俺たちの親は、どうやら村で結構重要な役割を持っているらしく、例えばクウの親はお医者さんだったりする。

 タロウの親は村の外との交易という役割を振られているし、ツバサの親は村の治安管理を任されている。

 俺の親は冠婚葬祭、主にお葬式の進行を任されているらしいし、ヒカルの親は村一番の大地主で、年に一度の祭を取り仕切っている。

 というように、俺たちの家それぞれが、村にとって結構大事な存在のようだ。

 そういう境遇が、俺たちを引き付けた要因でもあるんじゃないかと思っている。

 チャイムが鳴り、それとほぼ同時に教室の扉が開く。そして現れたのは我らが先生、宇治金枝(うじかなえ)さんだ。


「はい、皆おはよう。席に着いてね」

「あ、カナエちゃんだ。おはよー」

「こら、クウちゃん。学校では学校らしくしなさい。そんで席に着きなさい」

「はいはいー」


 コントのような掛け合いをしつつ、カナエ先生は教壇に、クウは自分の席に向かう。


「クウ、カナエさんは先生なんだからね……」

「はいはいー」

「……はあ」


 やれやれと首を振るヒカルと、お気楽な返事をするクウ。一見対照的だが、この二人は本当に仲が良い。時折こちらが照れ臭くなるほどだ。

 カナエ先生は出席簿を開くと、俺たちの名前を読み上げ始めた。元気の良い声が返る。今日も一人とて、欠けている者はいない。

 満足気に先生は微笑み、一度教室を抜ける。

 そして教材を手に再び戻ってくると、チャイムの音とともに一時間目の授業が始まった。

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