一章 ワタル一日目

鴇村 ①

 ジリジリと音が鳴り、慣れた手つきでボタンを押す。

 煩く覚醒を催促していた目覚まし時計は、すぐに静かになった。


「んー……はあ。今日も相変わらずいい天気だな」


 俺はさっとカーテンを引き、窓から外を見やった。雲も殆ど浮かんでいない快晴。そんな青い空に、幾つもの影が動いている。


「……鳥も相変わらず、元気そうに飛んでるや」


 鴇村。トキと名が付くからかどうかは知らないが、この村にはトキを始め多くの鳥たちが飛び回っている。それは随分と昔からのようで、鴇村には鳥に関する言い伝えも幾つかあるほどだった。

 俺の家族は特にその言い伝えを信じているらしく、物心ついた頃から聞かされてきたものだ。おかげでオレは、むしろ鳥が鬱陶しいと思うようになってしまっていたりするけれど。


「……さ、朝飯食べに行こうかな」


 俺はそう独りごち、布団の乱れを整えてから自室を出た。

 廊下を突き当りまで進んで、右側にある扉をゆっくりと開く。その先のリビングでは、既に父さんが席に着いて朝食に箸をつけていた。


「おはよう、父さん」

「ああ、おはよう」


 挨拶を返す父さんの目はしかし、テレビのニュース番組に向けられたままだ。六月三日、朝のニュースをお伝えしますというアナウンサーの落ち着いた声が聞こえてくる。

 テーブルの上には、少し焦げ気味のパンが一切れと、雑に盛り付けられたサラダが置かれている。

 父さんの手料理だ。


「……いただきます」

「ああ」


 父さん――名は赤井元気あかいげんきという――は毎日朝食と弁当を作ってくれている。その代わりに夕食と、

休みの日は昼食も俺が作ることになっている。それはもう長いこと赤井家のルールとなっていた。

 母さんがいなくなってから。


「……相変わらず、料理の腕は上がらないね」


 俺はパンの端の小さな焦げをぼんやりと見つめながら言う。それは殆ど無意識で、悪口を言おうと思ったわけではないのだが。


「お前こそ、親にいつまでもそんな口のきき方をするんじゃない」

「なら、そろそろ美味い朝食を食べたいもんだよ。……もう、七年だし」


 七年か。あれからもう、七年が経つ。


「お前が作れればそれでいいじゃないか」

「やだよ、ただでさえ家事はほとんど俺がしてるんだからさ」

「……それは、そうだな」


 父さんの呟きには、怒りと、申し訳なさと、感謝とが奇妙に混じりあった感情が込められているような感じがした。


「……ごちそうさま」


 俺はさっさと朝食を平らげ、自分の分の洗い物をして、リビングから逃げるようにして出て行った。


「……はあ」


 扉を閉めるなり、俺は溜息を吐く。


「歩み寄れねえよなあ……」


 俺と親父がギクシャクするのは、ほぼ毎日のことだ。

 間を取り持つ存在は……母さんは、十年前に亡くなっている。

 か細い体。それでも頼もしかった、笑顔の眩しい母さん。

 そんな母さんが病気で亡くなってからは、いつだってこんな感じだった。

 頑固な親父だ。優しさという言葉から程遠い男なわけで、かけられる言葉に愛情を感じるわけもない。

 この関係が改善される日は、永遠に来ないんじゃないかと思ったりもしている。

 そう、とにかく頑固親父なのだ。


「……さて、と。学校に行かなきゃ。準備しよう」


 気持ちを切り替えるために、俺はそう呟いて部屋に戻る。

 漫画と教科書がごちゃ混ぜになった本棚から、必要なものを抜き出して、鞄に詰めていった。


「これで全部、と。よし……行くか」


 一人で頷いて、俺は部屋を出ようとする。しかし、扉を開ける直前で大切なことに気付いて回れ右した。

 古びた勉強机。その引き出しの中にしまわれた一冊の赤いノート。

 俺はそれを取り出すと、乱雑に入れた他のものよりも幾分慎重に、鞄の中に入れた。


「これを忘れたらあいつが落ち込むもんな。危ない、危ない」


 このノートは、俺とあいつを結ぶ大事なものだ。

 気恥ずかしい言い方だけれど。

 今度こそ部屋を出て、行ってきますの掛け声とともに、俺は外へと足を踏み出した。

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